土曜日, 7月 31, 2004

今日を生きる自分、過去とのつながり (D)

まずはわたし自身への問いかけとして。今、ここ、にいるこのわたし、この人間はどのようないきさつでここに存在し何を(目的と)して生きつづけているのか。考えます。考えます。考えます。うーん、でてこない。つかみどころがみつからない。生まれた場所、育った場所、父と母、祖父母。それぞれの地名や名前を思い浮かべても、それは自然のなりゆきと家族のことに収斂していくだけで、それ以上の広がりをもって横につながっていったり、過去に深くさかのぼっていったりはしそうもないのです。

大桑さんの前回のポストに、ユダヤの人々にとって過去は記憶ではなく、現在もひとりひとりが個々の生の中に具体的に取り込んで生きる指針としているもの、その背景には歴史的事実がある、というような記述がありました。だから多くのユダヤの人々は、わたしの言う「彼らの故郷とは、幻想としての故郷ではないのか」という見方を受け入れられないだろうと指摘しています。これはもう想像力を働かせて、働かせて、彼らの言う意味を知ろうとするしかないのですが、最初に書いたように、それを考える土台がわたし(という日本人)には持ち合わせがないのです。

これはわたしが日本人として少し特別なのか、それとも多くの日本人がこのような状態なのか、はっきりとは言うことはできませんが、わたしの想像ではおおむねの日本人は、今の日本人は、そうはわたしと変わらない気持ちで生きているのではないかと思うのです。(いや、それは違う、という方がいたら、ぜひ教えていただきたいです。皮肉でもなんでもなく) つまり、日々生きる個人としての自分と、日本というコミュニティ(国)に属する、現在までの長い歴史を共有する日本人としての自分を、重ね合わせ照らし合わせて暮らしているかどうか、そのことに現実感があるのか、というようなことです。実際にはそうではないのですが、わたしたち日本人は、国家という外皮をぼんやりと意識はしているものの、自分は自分であって自分は自分の意思で生きている、のように思って生きているような気がします。そして国家がその外皮を変化させたときは、またその中で、自分は自分であって自分の意思で生きている、と感じることができるのです。それは本当のことではないのですが、実感としてそのように(受け入れ)感じて生きていくことができるということです。

そのような土台をもつ(として)日本人は、パレスチナとイスラエルのことを考えるとき、それぞれのたどってきた歴史と、その解釈によって起こる激しい対立について、立ち入ることができないと感じるか、ただ単に嫌悪感を感じるか、のどちらかに落ち着いてしまうように思います。

さて、ここまで書いてきてふと、これを読んでいる人は、おまえはユダヤ人と日本人の違いには再三ふれているけど、パレスチナはどこへいった、と思うかもしれないな、と思いました。ユダヤのことについては、日本人というアイデンティティをもちながらそれについて深く学んだガイド役の大桑さんがいるから、こうして対話を通じて少しでも近づくことができるけれど、パレスチナについてはどのように知っていけばいいのか。正直なところです。この対話を始める前に、パレスチナの成り立ちを知るために手にとった参考書は、「世界史年表・地図」(吉川弘文館)。これは紀元前3000年から現在にいたる世界史対照年表(世界の各地域が縦軸に、年代が横軸に配されて、時代ごとの各国、各地域がどのような状態だったかひと目でわかるようにしたもの)と、おおまかな時代ごとの世界史地図から成っています。わたしは人と話をしていて、本を読んでいて、テレビを見ていて、わからないことがあると、この本を取りだして事実関係を調べます。わたしの持っているのは1998年度版で少し古くなってしまいましたが、1300円という値段のわりには、とても重宝する参考書です。これを見て、パレスチナについて、どのような理解を得たかについては、次回ゆっくり書くことにします。(大黒)