日曜日, 5月 30, 2010

「宗教と和平の対話」in マケドニア(O)

先日ふとしたきっかけで、インターネット上でとある短い北朝鮮旅行記をいくつか読むことがありました。これまで北朝鮮に行ったこともなければ、一般的な日本のメディアによる情報(拉致問題や軍事問題など)ぐらいしか接点がなかったわたしには、旅行記に登場する平壌の地下鉄、しかも市民がふつうに毎日使用している、そんなふつうのことすら知らなかったと自覚したことが「平壌を走る地下鉄」の事実と同じぐらいにかなり衝撃的でした。

さて、話は変わりますが、5月初旬に欧州バルカン半島中央に位置するマケドニア共和国(Република Македонија)の、オフリドという大きな湖のそばの赤い瓦屋根の小さな町を訪ねて来ました。バルカンのエルサレムと呼ばれるその町のモスクの塔や古いイコンが壁にびっしりと描かれた正教会、修道院、真っ青な空とまばゆい太陽の光に、久しぶりにイスラエルを感じました。そして世界でももっとも古い湖のひとつだと言われているオフリド湖は深く静かで碧く輝いていました。今回、このオフリドを来訪したのにはちょっとした理由がありました。ユネスコ支援でマケドニア政府主催で3年毎に行われる「THE SECOND WORLD CONFERENCE ON INTER-RELIGIOUS AND INTER-CIVILIZATION DIALGOUE 」という、宗教と文明との対話、和平への宗教と文化的貢献、相互の尊重と共存を主題としたカンファレンスに出席するためでした。このカンファレンスでは世界各国から集まった様々な宗教家たち(キリスト教各宗派司教、ユダヤ教ラビ、イスラム教シェリク、他)や学者たちのスピーチを2日間に渡り聴講しましたが、わたしの関心はやはりイスラエルとパレスチナの問題についてでした。発表者の中には予想以上に多く(といっても両手の指の数よりも少ないですが)のユダヤ人がいたのですが、その中でも印象的だったのはエルサレムのオリーブ山在住のイスラエル国籍アラブ人(イスラム教スフィー派指導者)とユダヤ人の二人が供に手を取り合い和平を訴えたスピーチで、彼らはイスラエルでも同じようにして人々に共存と和平を訴えているということでした。

これまで2004年から(気がつけばもう6年です!)大黒さんとわたしはここで主にイスラエルとパレスチナについて語って来たわけですが、わたしが何百回同じことを(または似たようなことを手を替え品を替え)言うよりも、そこに住むまたはそれに関わる他の人たちの声が必要なのかもしれないと思っていたので、この機会を逃す手はないと、先述のエルサレム在住のスフィーのシェリク(指導者)で平和活動家、カイロのユダヤ教教授(エジプト人)、イスラエル在住のユダヤ人、米国在住ユダヤ人学者など異なるバックグラウンドの5名にイスラエルとパレスチナ問題の解決法について、その答えの核心だけを簡潔に話してもらいました。以下、5名の答えです。(*ハッサン・マナスラ氏とモハメド・ハワリ教授はムスリム、他3名はユダヤ)

(1)ハッサン・マナスラ(Ghassan Manasra) イスラム教スフィー派指導者(シェリク)/ イスラエル国ナザレ市 アンワル・イル・サラアム・ムスリム平和センター所長 (The director of Anwar il-Salaam (Lights of Peace), a Muslim peace center in Nazareth promoting tolerance and interfaith dialogue)

「解決法は二つの国家に分けることですが、諸外国からの援助金が個人資産として消え失せ、汚職まみれの政府、デモクラシーなどまったく存在しないパレスチナ側での生活を強いられるなどまっぴらごめん。居住するなら?と聞かれれば断然イスラエル側だと即答しますよ。自分たちだけでなくこれからの子供たちの将来的な希望や可能性という点で考えても、パレスチナに住むなど考えられないこと。それについては私だけではなく、私と同じ多くのイスラエル国籍のアラブ人と、そしてパレスチナ人すらも同じようにイスラエル国内で普通の生活をしたいと切に願っています。事実、壁が建設される前には多くの裕福なアラブ人たちは壁の向こうになることを避けてイスラエル側に購入した家に住まいを移しているのです。

私はアラブ人であり、またイスラエル人であり、イスラエルがわが祖国です。しかしこの土地の和平について私がユダヤ人と対話することが必ずしも自分と自分の家族にとって良いこととは言えない。ハマスはイスラムの主流でなはいスフィー派の指導者である私を敵対視し、ユダヤ人をここから排除したいパレスチナ人からは裏切り者として袋だたきにされたこともある。息子の命をも奪うと脅されることもある。しかしそれでも自分の信念を変えるつもりなどないのです。」

(2)マーク・ゴーピン教授(Marc Gopin)/ 米国ワシントンD.C. ジョージメイソン大学(George Mason University’s Institute for Conflict Analysis and Resolution (ICAR)

「イスラエルとパレスチナの独立した二国家が現実的な解決だが、一つに統合した国家という方法もまったくないわけではない。一国家にイスラエルとパレスチナ両方の警察(セキュリティーシステム)を儲ける、またはユダヤとパレスチナの連合(同盟)、連立政府を設けることも一国家案の実現に繋がる。いずれにしろ、現状問題としてはイスラエル国内に居住するアラブ人(イスラエル国籍)に対するイスラエル政府(左派)の扱いであり、その女性の多くは男性(アラブ人)と平等の権利、デモクラシー社会を求めているが、それを実現させるのは厳しい現状。またイスラエル国内のアラブ人の若者(〜50歳代)は抑圧により非常に過激化している。従ってアラブ人たちに適合した住みよい社会へとイスラエル政府は大変革を行う責任がある。」

(3)ロウレンス・ウェインバウム博士(Laurence Weinbaum)/ イスラエル国エルサレム市 ワールド・ジューイッシュ議会リサーチ研究所及びイスラエル協議会外交事務長(The World Jewish Congress and The Israel Council on Foreign Relations)、The Israel Journal of Foreign Affairs 編集長

「ゴーピン教授の一国家案は賛成できない。一国にまとめることで起こる人口数移動(ユダヤ人・アラブ人)などによって引き起こる社会的な大混乱は明白であり、その他様々な理由より現実的な解決法ではない。アラブ人の若者の過激化については、仮にイスラエルが彼らの望む状況に変わったとしても、覆水盆に帰らず、一度ある状況に陥ってしまった人々をそうなる前の状態に戻すことはほとんど不可能に近く、またアラブ人女性のデモクラシーについてはアラブ人社会(男性社会)がそれを認めないことにはどうにもならないため、イスラエル社会の変化により改善されるとするのは非現実的でナイーブな見解。

イスラエル・パレスチナ問題の解決法はイスラエルとパレスチナの二つの独立した国を作ることだが、将来的にそうなるかどうかはまったく別問題。そして、互いをtolerate(耐える)だけでは十分ではなく、respect(尊重)できるように向うべき。「耐える」ということは例えば、キッチンに出没するゴキブリにはどうしようもないが耐えている、そういうことで、「耐える」とは嫌いなものを嫌いな状態のままで受け入れているわけで、私は他人に「あなたの存在を耐えてあげましょう」とは言われたくない。それを越えたレベル、つまり「あなたを尊重します」と言われることを望む。パレスチナとイスラエルも互いにそうなる道を進むべきでしょう。」

(4)モハメド・ハワリ教授(Mohamed Hawary)/ エジプト国カイロ市 アイン・シャムス大学ヘブライ・ユダヤ教理学(Ain Shams University)

「イスラエルの歴代首相たちはこの問題を終結させようとは思っていないわけで、パレスチナ側がなにを提案しても満足しない。先のわからない将来に期待するよりも現時点で解決することが重要でしょう。」

(5)レイセル・ウェイマン博士(Racelle Weiman)米国フィラデルフィア市 テンプル大学・ダイアログ研究所グローバル・エデュケーション&プログラム開発副主任(Dialogue Institute Temple University)

「二つの国に分ける以外に方法はあり得ないでしょうね。イスラエルという国はユダヤ人が暮らせる唯一の国であり、そのためユダヤ人にとってなくてはならない国。イスラエルではこれまでもそこに居住するアラブ人たちとは混ざりあう部分とそうではない部分を保ちつつ共存して来たし、これからも共存して行けるはず。個人的な経験では、イスラエルで息子を出産した際、ユダヤ人である私、ドゥルーズ、そしてアラブ人の3人の女性が同じ病室にてベッドを並べ、その病院にはユダヤ人たちに混ざり多くのアラブ人医師も勤務していてたなど、それほど社会的な問題は感じられない。もちろん地域によって異なることもあるだろうが。

各国で問題として取り上げられている防御壁について。この壁の存在でこの5年間ただの一人も自爆テロの犠牲者が出ていないことがその結果といってよいが、決して壁が最終的な手段ではなく現状で必要性があってのことであり、将来的にその必要性がなくなれば取り壊せばよい。自治区の難民について。確かにそういうことになってしまったことには胸が痛むが、なぜ他のアラブ諸国が彼らの移住拒否するのか、そういったことなども考えてみるとこの問題がさらに見えて来るのでは。」

以上です。ここでわたしの意見を入れるべきかそのまま各自で考えてもらうか迷うところですが、少しだけ補足しておこうと思います。(1)のハッサンの意見は過去に「大衆の思いと混乱、そして光」のお終いで書いたこととほぼ同じです。(2)ゴーピン教授とイスラエル人作家ディヴィッド・グロスマンの考え方になんら違いは見いだせず、イスラエル批判が主の左派の典型的意見でしょう。そして(3)でもウェインバウム博士も話しているように、わたしにもゴービン教授の意見は現実的なものとは受け取れませんでした。(「それぞれの思惑」の最終段落参照)。(4)エジプト人のハワリ教授の言葉はごくごく一般的なアラブ諸国民の意見であって、まあそんなところしょうという以外にありません。(5)レイセル・ウェイマン博士のイスラエルでの経験について補足しておきますが、彼女の住んでいたのはイスラエル北部のハイファというキリスト教系アラブ人も多く住む街であり、ハイファの状況がイスラエル全土に渡り同じということでもない。例えばエルサレムでは、アラブ人とユダヤ人の二つの街(社会)が個々に存在しているように。

オフリドでの「宗教と和平の対話」という場でのスピーチにどんな意味があるのか、スピーチを聴けば聞くほど「だから?そこから先、現実的にはどうするのか?」との疑問が大きくなっていたところ、この学会役員でもありインタヴューにも答えてくれたレイセル(ウェイマン博士)が壇上から「この学会後に和平について何らかの行動を起こしたりいくらかの結果を得られなかった方は、次回、3年後のこの学会へは戻って来ないで。そういう人には参加しないでほしい」と訴えたことが心に残りました。オフリド滞在中、レイセルやロウレンス(ウェインバウム博士)たちと食事を供にし毎晩夜中すぎまで語り合い、別れ際にレイセルが「これからザグレブに戻ってまずなにをするのかしら?」とこちらのモチベーションを上げてくれたことに感謝しつつ、この先、どういった行動に移るべきなのかを考えています。(大桑)