金曜日, 1月 27, 2006

シオニズムとユダヤ教。黒豆と無宗教。(D)

前回の大桑さんのポストからずいぶんと日がたってしまいました。間があいてしまったことで、さらに書くきっかけがつかめず、またこの5ヶ月間この問題について書くことから離れていた分(書くことは考えることなので、考えることから離れていたことにもなります)、回りからの情報がわたしの中に入りこみやすくなり、自分の中でこの問題に関する焦点のあれこれに、巻き戻しが起きているような気がしていました。それがまた、書くことに向かうことを遠ざけていたように思います。

前回大桑さんは、入植者のガサ撤退にあたってメディアがいかにご都合主義にふるまうか、日本の報道関係者や学者や知識人もふくめた寄稿者、著者、出版社たちがいかに安易にこの問題について発言しているかについての焦燥感を書かれていました。「巻き戻し」と書いたのは、日本にいて新聞、テレビ、雑誌などのメディアに日常接していると、そして能動的に考える態度を少しでもゆるめ、受ける一方の状態になっていると、流れて来る情報に自分が侵食されそうになるのです。

最初にわたしがこの対話ブログをはじめたいと思い、大桑さんに声をかけた理由も、あまりに日本語で流れている情報や発言がどのメディアでも、一方的かつ一種類しかない、ということが一番にありました。わたしにとっては、ユダヤ系イスラエル人作家のこの問題に関する著書が訳された、というだけでトピックであり貴重でした。違う視点に触れられると思ったからです。(前回のポストで大桑さんが書いているように、グロスマンにも問題があったとしても、です) その当時も今も、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードの日本の知識人への影響力は絶大に見えます。この問題に関する日本の知識人の拠り所はサイードの発言とその著書のみにあるのではないかとさえ思えるほどです。大桑さんが指摘するように、あの人が、と思われるような(進歩的と見られているような、海外の大学で教鞭をとったり西欧知識人との対話を本にしているような)知識人たちでさえ、「圧倒的な軍事力でパレスチナを虐待するイスラエル」という単純な構図からしか発言していないこと、それも詳細がない発言であること(その定型文だけを繰り返すというような)は、事実に近いとわたしは感じています。

ポストがあいてしまったしばらくの間、繰り返し(と言っても取り上げられる機会は少ないですが)これらの見方に接し続けていると、大桑さんとの対話を1年以上にわたりしてきたわたしでさえ、問題の見方に揺らぎが起きる瞬間があるのです。それほど日本で得られる発言や情報は単一です。自分自身にしっかりとしたものの見方や、メディアに接するときの能動性(書かれていることの背景や、記事の公表の意味なども含めて情報を受け取ろうとする)がなければ、いとも簡単に(多分意図されているであろう)同一性指向の渦に巻き込まれ、「自分」を見失います。

そんな中、2、3週間前のことですが、四方田犬彦著「見ることの塩 - パレスチナ・セルビア紀行」(作品社)を手にしました。2004年に数カ月間、イスラエルに滞在してテルアヴィブ大学で教鞭をとっていたときのことが前半約半分に書かれています。最初の方で、サイードの名前があがったことや、中東問題でよくメディアに登場する酒井啓子による朝日新聞の書評で首をかしげる部分はあったものの、またとない最近の現地レポートなので読んでみることにしました。四方田氏のまえがきには、自分のまわりには「パレスチナ人とイスラエル人の錯綜した物語について充分な知識をもっている者は皆無」であり、自分もふくめて「支配者であるユダヤ人と悲惨な犠牲者であるパレスチナ人によって、きれいな形で二項対立が構成されているものだと漠然と信じているだけで、それ以上のことは知らなかった」との記述があり、日本の、未知の社会に対する閉鎖的かつステレオタイプな認識を感じていたようで、それがイスラエル滞在を選択するきっかけとなっていたとのことでした。そのあたりの動機を信じて、でも批評的に読むことは忘れずに、とそんな心づもりで、少しずつ読み進んでいるところです。

読んでいていくつかの未知のことにぶつかり、そのあたりを大桑さんの口から話を聞いてみたいという好奇心が沸いてきました。そのひとつは「正統的なユダヤ教とシオニズムが歴史的に対立してきた」と書かれていたことです。前回の大桑さんの記述の中にも「世俗と宗教社会というふたつの相容れないグループのギャップは深く」とありました。「見ることの塩」では、現在のイスラエルで世俗派(日常的にシナゴーグに行かない人々)が全体の7割を超えているとありました。つまりユダヤ教徒として宗教的な生活を送る人は、イスラエルの中でむしろ少数派ということになります。教会(シナゴーグ)に行かない世俗派が主導する国家がイスラエルとするなら、世俗派の人々はいかにしてユダヤ人なのでしょう。グロスマンも確か無宗教つまり世俗派の一員だと思いますが、このあたりはもうひとつ理解しにくい点です。

シオニズムというのはユダヤ人の国家をどこかにつくるという思想と理解していますが、この本の中では、イスラエル建国のきっかけとなったヘルツルという活動家の考えを「西欧文明を代表するエリートのユダヤ人のみからなる国家を地球上のどこかに建設すること」として記述していました。またヘルツルは「ユダヤ教徒の退嬰的な映像を払拭し、従来のユダヤ人をめぐるステレオタイプから解放されるために懸命であった」とのことで、このあたりがシオニストとユダヤ教徒との対立のあらわれの一つなのかもしれないと想像しています。ユダヤ教徒の中には、宗教上の教義と相容れない現在のイスラエル国家を否認する傾向もある、とこの本には書かれており、そのあたりのことも大桑さんの考えをぜひ聞いてみたいと思いました。

この年頭、ぼんやりと国家と家族の関係について考えていました。わたしは無宗教ですが、お正月をどのように過ごすかについては気まぐれです。ここ何年かは神社にも行っていませんが、おせち料理は習慣で少し食べます。今年は気まぐれついでに、圧力鍋というものの成果を試したくて、黒豆を煮てみたりもしました。それが宗教的な気分とどれくらいリンクしているのか、考えてもよくわかりません。たぶん、強い否定はないのでしょう。でも近所の神社のお正月のチラシに厄よけに関する記述がずらずらと書かれているのを見るのは、気分を害されます。そういうものに対して大きな距離を感じるからです。ふと、デュシャンもシェーンベルク(あるいはケージ)もないんだろうな、厄よけの世界に生きていたら、と思いました。でも厄よけで神社に通いつつデュシャンを熱心に論じる人だっているだろうな、それが現実だろうな、とも。もしわたしが、確信犯的に無宗教で、ナショナリズム的国家幻想に直結する伝統的な家族観を全否定していたら、お正月をはじめとするさまざまな季節行事のときは、日本人内異邦人として「無味乾燥」に過ごすはめになることでしょう。人の生活とはそういうものなのだな、と思うから。でも、それでもいいではないか、そこから先には何があるのか、そこから先にたとえばどんなものが建設できるのだろうか、という好奇心もあります。ひょっとしてそれを考えるのは、原理主義者のすることかもしれませんが。(大黒)

<ノート>
デュシャン, マルセル:1887-1968。フランス出身で後にアメリカ定住。既製品の便器に署名した『泉』などの作品で知られる。
シェーンベルク, アルノルト:1874-1951。ハンガリー出身のユダヤ人で後にアメリカ移住。調性を放棄した作品をつくり、後に12音音楽を発明。
ケージ, ジョン:1912-1992。アメリカ生まれの音楽家。何も音を発しない作品など。南カリフォルニア大でシェーンベルクの教えを受けている。