土曜日, 8月 27, 2005

メディアと対話と和平と -ガザ撤退にあたって- (O)

日本ではもうお盆も過ぎて、夏の終わりが近づきつつあるのでしょうか。イスラエルはまだまだ夏真っ盛り、11月の末まで雨粒の一滴も空からは落ちてこない、長い長い夏です。

さて、ここしばらくはヨーロッパへと話が流れてゆきましたが、ここらでちょっと方向をイスラエルへともどして見ましょう。イスラエルでは、先週からのガザ地区撤退でごったがえしていましたが、ユダヤの住民とIDF(イスラエル国防軍)の両方があの土地から撤退するという話は、遠い日本でも様々なメディアを通して耳にすることもあったのではないでしょうか。そのお陰で私の頭と心はかなり憔悴しました。私の憔悴の理由のひとつは、今回のことを通して改めて感じた「いかに人というものは都合の良いものか」ということで、そこにはメディアという避けがたいものがありました。

インターネット上の数々のウェブで、そして本屋の棚にも、イスラエルとパレスチナ問題に限らず、真実と題されてはいるものの、どう見ても自分たちに都合の良いように書かれたものが恥ずかしげもなく並んでいる。しかも、それなりに名の知れたジャーナリストと称した方ですら、言ってしまえばまるで偏ったゴシップ並みの記事を、それらしく発表されている。そういうものを書く側もそれを出版または報道する側も、自分の名を上げたり何かの利益に繋がればそれでよいということなのでしょうか。個人の求める様々な情報が、インターネットなどで簡単に手に入る時代といえば、一見とても豊かな時代のように聞こえますが、実際はなんだかとても混乱しやすい難しい時代になったように思います。一昔前まではオブジェクティヴだったメディアがサブジェクティヴとなったご都合主義の情報のあふれる現代では、情報を与える側にはもう期待は出来ず、情報を与えられるこちら側の目を養うしかないなのでしょうか。出版に携わっていらっしゃる大黒さんは、そのあたりの裏の世界はよくご存知でしょうし、そういうメディアのプロパガンダにある程度免疫のある私でも、このような状態を目の当たりにすればするほど、がっくりと気が萎えてしまうのです。

イスラエルとパレスチナの問題では、日本を含めた世界中で、メディアと政治の思惑によってイスラエルという国や入植地と呼ばれるものは、イスラエルがパレスチナから奪い取り占領している土地なのだから、当然パレスチナの人々に返還するべきだと謳われます。そして例に漏れず、イスラエル国内のメディアも、自分たちに都合よく振舞います。1970年ごろでは、イスラエル政府は国民にガザの入植地への居住を勧め、それにあたり様々な面でのサポートを行いました。当時、それに賛成していた左派のメディアは、それから1993年のオスロ合意までの20年間以上に渡り、入植地の住民をまるで国のヒーローのように扱いました。しかしオスロ合意が失敗に終わると、左派のメディアは入植地は政府の提案だったことすらをあやふやにし、入植者をまるで和平の障害物のように書き立て、その思惑通りに国民の多くは入植者たちを非難します。このようにこの土地ですら、メディアによって事実を見極める目を人々は失い、混乱しているのですから、それらを情報源とする日本のメディアやジャーナリストと称する人たちの発信する情報は、さらに偏ったものとなって日本の人々に伝わるのは、ある意味どうしようもないのかもしれません。

日本などでも見られるイスラエルとパレスチナに対する多くの意見では、1948年のイスラエル建国以前のことは一言も触れません。その理由が何であれ自分たちには都合が悪いので、1948年以降だけを拾い集めて事実として、この土地はイスラエルがパレスチナから奪った土地だとします。そこにイスラエルは悪者で、パレスチナはかわいそうという白黒のイメージが出来上がってゆきます。それをニュースで見たり何かで読んだ人々は、それ以外の異なった意見を聞く機会が少なければ、盲目的またはほぼ自動的に「なるほど」とそう思い込みます。この土地に住むすべてのパレスチナの人々は、占領者イスラエルの圧力に日々苦しめられ追い詰められた状態の、かわいそうな難民なのだろうと。覆面をして銃を取りマーチングし、まだ何もわからない小さな子供たちにも、侵入者イスラエルを憎めと銃を持たせ、ジバクするのがすばらしいと教えることは、もっとも理解できることだと涙を浮かべます。同じように、先週に撤退をはじめたガザの入植地についても、あの土地はもともとイスラエルがパレスチナの人々を追い出した奪った土地なのだから、パレスチナの人々に返還するのが当然だとも思い込んでしまいます。しかし、それほどこの土地の現実は、短絡的なことではないのではないでしょうか。

もし仮に、パレスチナについてのこのような日本の意見が現実ならば、エルサレムの近辺のパレスチナ自治区内の町に住む、難民でもなく武器も取らない多くのパレスチナの人たちは、暑さでボケた私が見る砂漠の中の幻想なのでしょうか。また、イスラエルによって圧迫されているとされる、追い詰められたパレスチナの人々が、小さな子供たちと共に武器を取ることやジバクはすばらしいと教えることへの賛成が、イスラエルとパレスチナのふたつの民族の和平と共存にはつながらないと思うのはおかしなことなのでしょうか。それよりも、パレスチナ自治区に住む人々がこれまで以上に保障された生活を送れるように、ヨーロッパや日本からの巨額の寄付金が、するりと当たり前のように政治家のポケットへと消えてゆく自治区政府を建て直すことのほうが、遥かに意味のあることなのではないかと思う私がおかしいのでしょうか。プロパガンダをそのまま思い込んでいる人たちと、そうではないのでは?と思っている同じ日本の人との間でさえ対話は果たして可能なのか、そんなことを思いました。

ガザ撤退にあたり、日本では未だにプロパガンダにうまく乗せられたパレスチナに同情する意見が大多数なのだと思い知らされて、ちょうど一年ほど前にこのブログで書いた「パレスチナ問題の発端」「それぞれの思惑」、そこからの私と大黒さんの一年はまったく無駄だったのかと、またまたここでがっくーんと落ち込んでしまったわけです。もちろん、大黒さんと私がインターネットとメディアの大海の片隅でちょこちょこと、でもがんばって、意見を述べ合ったところでどうだというのだ、と言われればそれまでなのですが・・・。

さて、以前には左派と右派のメディアの特色がはっきりと分かれていた、イスラエル国内のメディアを追ってみました。今回のガザ撤退と共に、左派のメディアはイスラエル社会の価値を探すことに、フォーカスを当てているように思います。そこでまたまたグロスマンの登場となりました。現在のイスラエル社会は傷つき、国民はしばらくの間は喪に服すべきであるとメディアで語りはじめた第一人者のグロスマンと、左派のその他の作家たちは、左派のスポークスマンとして、今回のガザの入植者たちと右派の負けを祝う必要があるようです。しかし、そこで他の左派の作家とグロスマンが異なるのは、8月15日の「The Jerusalem Post」に彼が投稿した文中(このポストの一番下にあります)に見られるように、グロスマンは入植者たちについて、一言すらも理解を示してはいないことです。グロスマンはイスラエルの世俗社会と共に、家を追い出される同じユダヤの入植者たちに対して同情するでもなく、“頭のよい”入植者たちは、ユダヤの人々が祖国を持てなかったことや、その離散の歴史を都合よく使う、イスラエル社会のパラサイトであると冷たく非難しています。これまでのユダヤの人々の歴史では、常に彼らは他民族の政府によって住んでいた土地を追い出されて来ましたが、今回のガザ撤退ではユダヤが同じユダヤを追い出すという、ユダヤの歴史上初めて起きたことであり、そして自国の政府によってその自国民を自国の軍隊を用いて撤去させるという、世界史上でも初めての出来事について、他の左派の作家たちとは異なりグロスマンは明確な意見を述べていません。

グロスマンは、入植者たちを政治と和平プロセスの邪魔者としてではなく、「人」として扱うように、そしてこれまで数十年に渡って作り上げてきたイスラエル社会の傷つき-これから入植者たちが引きづりながら生きてゆくであろう壊れされた夢と、グシュカ・ティフなどの入植地を作り上げた危険性、そしてそのような状況に陥ったこと、同じユダヤ人同士が対立してしまったことなど-に対して喪に服すようにとイスラエル国民に伝えました。そして、すべてのイスラエルの国民のひとりひとりが、デモクラシーとして、入植地を撤去する責任を担い喪に服すべきだと。それがイスラエルがこれからもひとつになって生き残る方法なのだと。

このグロスマンの意見は、一見すばらしいとも思えますが、これを深く掘り下げていくと、実はこの意見はとても混乱したものだということが見えてきます。まさに方向を失い、混乱したイスラエル社会そのものを反映しているように。グロスマンは「イスラエル社会の深刻な疾患」と文中で繰り返しますが、それが一体何かは明確にしていません。しかし、他の左派の作家(またはジャーナリスト)たちは、そのことについてはっきりと考えを述べています。例えば左派の作家の中でも著名なアリ・シャヴィットは、グロスマンと同じように、入植地の撤去については賛成ですが、入植地の建設はパレスチナに対してフェアではなく、イスラエル史上でもっとも間違った行動だったと指摘します。しかしガザの入植地撤退が完了し、それが入植者と兵士たちの双方に、そしてイスラエル社会と人々に一体どのような傷と影響を与えたのかは、誰にもわかないと、イスラエルの世俗社会の入植者たちに対する冷たく蔑むような扱いには彼は同意していません。そして、さらにシャビットは、自国民である入植者の危機の時に対して、何の同情や少しの慰めをも示さなかったグロスマンなどのイスラエルの知的エリート層の人々を非難し、イスラエル社会は入植者たちから何かを学ぶべきだといいます。イスラエル社会で失われてしまったコミュニティー、または自治体としての絆、友情、目標や理想、努力など、日本でもおそらく失われてしまったものたち。グロスマンの言葉を借りるならば、これがイスラエル社会の深刻な疾患ではないかと思います。

そして、何よりも今回のガザの撤退が露にした事は、イスラエルという国は、異なる二つのグループの祖国だということではないでしょうか。左派と右派、または世俗と宗教社会というふたつの相容れないグループのギャップは深く、まるで異なる二つの民族のようにさえ映ります。そして、これが現在のイスラエルという国の本当の悲劇ではないのかとさえ思えてしまいます。イスラエルのメディアを徘徊してみて、もうひとつ決定的なことに気がつきました。政治家やグロスマンなどの和平を唱える人たちは「なぜ将来建国されるであろうパレスチナという国に、ひとりとしてユダヤの人は住むことが許されないのか」という問いについては、まったく触れていないのです。ガザの入植者たちは、ガザの家に残れるのならば、そこがもはやイスラエルでないのならばパレスチナの住民となってもよいとまで表明しました。しかし、パレスチナ政府はこれを拒否しました。もし、本当にふたつの国の実現と和平を現実にするつもりがあるのであれば、なぜパレスチナには一つの民族しか住んではいけないのか、EUのように多国籍に多文化が謳われる時代になったにもかかわらず、本当にこの土地の和平をみな願っているのだろうかと問わずにはいられません。現在、この地球上には約200近い国が存在しますが、そのどの国を取っても単一民族の国は見当たりませんが、将来のパレスチナという国だけはそうなるということです。今、こうしている間にも、この土地ではまた、イスラエルとパレスチナの双方に新たな死者が増えました。もう一度聞き返さずにはいられません。人々は、そして世界は、この土地についてのどのような和平をめざして対話しているのでしょうか。 (大桑)



以下は8月15日のイスラエルの英字新聞「The Jerusalem Post」のグロスマンの記事です。


「Something to mourn By David Grossman Last Update: 15/08/2005 14:21

For decades, the settlers have excelled at finding the weak points and illnesses within Israeli society and exploiting them to their own advantage. With a keen intuition, they operated in the gray areas of the Jewish-Israeli soul, in the places where fears, past nightmares, the urge for revenge and hopes for redemption are intertwined. They succumbed to the temptation - usually suppressed - of being drunk with power after thousands of years as a humiliated people. They indulged the human desire to bend rational considerations and the demands of reality to the unyielding concepts of messianic religious faith. Above all, they shined at exploiting the deep wound of the Jewish experience - that of the sacrificial victim - and convinced many into believing that sacrifice itself justified any action or injustice.

The lawless struggle being waged by West Bank settler activists against the disengagement plan, and their dismissive attitude toward what is dear to the majority of Israelis undoubtedly makes it more difficult to respond to the evacuation itself, to the violent uprooting, and sometimes obstructs the natural tendency simply to identify with the pain of those who are being uprooted.

Perhaps this is also because the settlers have often turned themselves into a kind of monolithic, impersonal body. They do not even hesitate to use their children as accessories to their protests and provocations. Nevertheless, supporters of the withdrawal and all those who for years have struggled against the settlers would be erring if they were to deny the human and ideological complexity of their political rivals in their most difficult hour and treat them like political and religious arguments rather than human beings. That would only aggravate the serious illness of Israeli society, the overwhelming and mutual dehumanization process that is the necessary precondition for any confrontation - and, God forbid, for war.

We should all take a deep breath right now and remind ourselves that, in the final analysis, the days to come are days of mourning for all Israelis. Mourning for the personal and ideological pain of the settlers whose dreams have been shattered; mourning for the fact that Israel was drawn into such a dangerous and unrealistic adventure like the creation of Gush Katif; mourning for the fact that the state brought itself to the place where it was forced to do such a violent, warlike and brutal thing to thousands of its citizens; mourning for the abyss that is being created inside our home, and for the disaster that could befall us very soon; mourning for the situation in which we are trapped, Jew against Jew with a foreign, naked hostility that stands in complete, existential contradiction to our own interests.

Both "blue" and "orange" Israelis can mourn today for the passion, the pioneering spirit, the purposefulness that for years pulsed through Gush Katif and which will soon dissipate like smoke, and for the fabric of life there that will be shredded come tomorrow. Mourn, too, for the enormous energy that could have achieved so much had it been directed toward reality and not illusion; for the evacuees whose lives have been changed forever and who will probably always bear the scars of what will be done to them tomorrow; for the men and women and children who gave their lives for their faith - or for their naivete; and for the hundreds of soldiers who were killed defending the hopeless settlement enterprise. We should all mourn bitterly for the terrible human and material cost to the entire nation.

At the end of the day, the uprooting of the settlements and the people is an act in which all Israeli citizens have a role and responsibility, whatever their beliefs. Anyone who is part of the democratic system that made this decision is a signatory to it. Perhaps the most humanitarian and ethical way for any Israeli to participate is to expose himself to these feelings of mourning, to attempt to confront them in all their unbearable contradictions. Maybe that is the way to enable us to continue together in this painful and irreversible process, to heal some of the wounds and to save ourselves from the landslide whose boulders are perched just above our heads.」

月曜日, 7月 04, 2005

ヨーロッパの反ユダヤ伝承文化 (O)

ここしばらくガザ撤退の賛否で揺れているイスラエルですが、さて、大黒さんの前回のポストでは、文化価値の異さから起こる各国への知的移住の話でしたが、これをEUに当てはめてみるとどうなるのでしょうか。EU移民の層をピラミッドでたとえるなら、知的移住者は上部のほんの一握りであって、大半の移民つまりピラミッドの下部は、おそらく、生きるためには切っても切れない金銭、つまり経済的な問題での移住なのではないでしょうか。

現在、EU統一後のヨーロッパではそのような移民とEUの住人との問題を抱えています。そこには政治問題はもちろんのこと、経済問題、アイデンティティー問題、そして宗教問題が右往左往している状態で、しかもそれらの問題の一つ一つがバラバラなのではなく、互いにリンクしあっています。たとえば、トルコのEU加入反対の理由としては、彼らがヨーロッパには馴染まない(つまり彼らがキリスト教文化とは異なるイスラームであること)、男女不平等、そして彼らの加入によってEUに起こりうる経済的なダメージの問題、移民の流入の問題などでした。

オランダで2004年11月に起きたある事件は、ある意味でその象徴的なものでした。画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホの遠縁にあたるテオ・ファン・ゴッホ映画監督の製作した、イスラム社会を批判した映画に反発したムスリムの若者が、アムステルダムの路上で監督を殺害するという事件がおこりました。それを期に、ヨーロッパの大衆は、増え続けるムスリムと相容れることのできないイスラームの価値観に対してようやく目を覚まし、異民族そして異教徒であるムスリムとの共存、そしてトルコの加入を、キリスト教のEUでは快く受け入れるムードではなくなってしまいました。

さらにEU憲法の批准への反対理由を見ても、オランダはEUの中でも他国より多文化共存の道を説いて来たにもかかわらず、オランダとフランスの両国では国民の55~60%がEU憲法の批准を反対しています。その一番の理由はオランダのEU拠出金が高くなることでした。そして、オランダの政治が自分たちのものでなくなること、EUへの依存度が高まること、オランダのアイデンティティーがなくなることなどが挙げられました。アイデンティティーと経済問題としては、ドイツやイタリアではユーロではなく各々の通貨を復活させる動きが盛んになってきています。

では、大黒さんの前回のこの質問、

「ヨーロッパでの反ユダヤ人感情が、第二次世界大戦以降では最悪の状態と大桑さんのポストを読んで、驚いています。それはどのような経緯で強まってきているのでしょうか。」

ですが、これを説明するには一体どこからはじめたらよいのかと、思わず、うーむ、と小さな頭を抱えてしまいました。

そもそも、今また、どうしてヨーロッパでの反ユダヤの感情は起こるのか、そしてそれがどうしてこれまで以上に高まっているのか、この疑問の明確な答えというのは、実は正直なところ私にはわかりません。でも、それは私がヨーロッパの文化やアイデンティティーに馴染みのない異邦人、アジアの人間、であるからではなく、むしろヨーロッパに住む反ユダヤの運動に賛成する人々に「なぜ今また反ユダヤなのか」と突き詰めてみたところで、実際その答えや理由はかなり曖昧で根拠のはっきりしないものではないのだろうか、と思います。


では、なぜヨーロッパで昔もそして現代においても、このように反ユダヤが深く染み込んでいるのか。それを少し明らかにするには、歴史をずっと昔にさかのぼってみましょう。

キリストがこの世を去ってから2000年ほどもの間、ヨーロッパではユダヤの人々がキリストを受けいれなかったことへの憤慨、そして彼らを「キリスト殺し」と呼び、常に宗教差別の対象としてきました(実のところ現在においてもそのようにユダヤの人々を呼び、キリストを受け入れなかったことはバチカンがイスラエルを国として認めない理由ともなっています)。そしてユダヤの人々は彼らのいう「この世界の王」である神に対しては頑なまでの忠誠心を見せても、その土地の権力者や王などには易々と平伏すことはない。そうなると、やはり王やその家臣や他の民衆はおもしろくありません。そして多くの民衆や農夫などが字も読めずに学もなく生きていた時代にも、ユダヤの人々は聖書を読み、そこから様々な知識を学んでいました。中世では教会によって定められた法において、ユダヤの人々は普通の職業に就くことや土地を所持することを禁じられていました。また、キリスト教徒同士が金貸しをしてはいけないという理由から、シェイクスピアの著書「ベニスの商人」にあるように、ユダヤの人々が商人や金貸しのような職業に就くしかなかったのですが、往々にしていつの時代でも金貸しとは嫌われるものです。

ここまでサッと少し挙げただけでも、ヨーロッパでユダヤの人々はキリスト殺しと呼ばれて以来、嫌われる要素をたくさん持っていたのがわかります。ヨーロッパに根付いたキリスト教文化の生活の中で、このように彼らは常に妬み嫌われ、蔑まれ、ことあるごとに迫害する格好の的になりました。そして今からさほど遠い昔ではない60年ほど前、現代になって、ヒトラーがヨーロッパで受け継がれてきたこの反ユダヤ文化にとどめを刺し、大衆に対して「ユダヤ=それだけで嫌うもの」というホロコーストを成し遂げるための完璧な方程式を打ち出しました。そしてそれは驚くことに、決して忘れ去られた、または過ちであったと認められた過去のものではなく、現在のドイツなどでもいまだ生き続けています。

1998年に私がベルリンに住んでいた時ですら、あるドイツ人の友人の祖母は、ヒトラーが消えアウシュヴィッツが解放され、ベルリンに大きなユダヤ博物館が建てられてすらも、いまだに反ユダヤを当たり前のように唱えていました。その理由はいうまでもなく、彼らがユダヤだから、という以外の何でもなく、私の友人である孫に「くれぐれもあの角の店で買い物をしないように。あそこはユダヤだからね」といつも言うのです。彼の祖母にしてみれば、そういう観念の中に育ち、戦後半世紀が過ぎた今でも変わらず、そこにいちいち深い理由づけはいらないのでしょう。そしてドイツ人には珍しくどこかユダヤの風貌をした若い女性の友人は、ネオナチらしい数人の若い男性のグループを通りの向こうに見かけると、「ユダヤにまちがわれるから鼻を隠さなくちゃ!」と慌てて言いました。もちろん大多数のドイツの人々がこうだとは思いませんが、大衆の日常生活のレベルでこのような観念がいまだに続いているということです。

前回のポストでも書いたように、どれだけEUが多文化国のスローガンを掲げていても、ヨーロッパという土地は、やはりキリスト教とその文化が奥深く根ざした土地だということは紛れもないことでしょう。そこでこのようにヨーロッパの人々が彼らのアイデンティティーと経済と文化を保持しようとする時に、当然のことながら、排除する対象になるのは常に異邦人であり異教徒であり、これまではイスラームとのかかわりが少なかったために、いつもその矛先はその土地に共存してきたユダヤの人々となってしまいました。

そして現代では、そこには政治の絡んだマスコミの思惑も見え隠れし、2002年4月にフランスで起こったシナゴーグ襲撃事件では、メディアは1938年に起きた「クリスタルナハトの前触れ」との物々しさで伝え、大衆はそれにうまく踊らされてしまいました。

EUの統一により起こっている諸問題と、そして今回は触れませんでしたがイスラエル・パレスチナ問題に関するヨーロッパのかけ引きにおいても、ヨーロッパで2000年ほども受け継がれてきた伝承文化ともいえる大衆の反ユダヤの感情を利用し、それに加えてヨーロッパに移住したムスリムによる反ユダヤ主義が拍車をかけ、またもや歴史はくり返している。人はいい加減ここらで未来に向けて過去から学ばなければならないのですが、なかなかそうは行かないのが人というものなのかもしれません。 (大桑)

日曜日, 6月 12, 2005

アイデンティティの行きつく先とは・・・ (D)

ヨーロッパでの反ユダヤ人感情が、第二次世界大戦以降では最悪の状態と大桑さんのポストを読んで、驚いています。それはどのような経緯で強まってきているのでしょうか。またEUの基本的な考え方が、一方で多文化を標榜しながらも、実情はキリスト教文化を根強く残し、移民などに対して排他的な側面を持ち続けていることも知り、異なる文化的背景を持つ国々の共同体が、そうそう簡単にまとまるわけもなく、理想主義だけでうまくいくはずもないことを改めて思いました。

ふと思い出したのは、スウェーデンのことです。スウェーデンという国は、移民に対して非常に排他的で、外国人が居住を許可されるのは難しいという話です。スウェーデンに対して豊かで、福祉先進国で、自由な思想を持つ、(伝統に根ざした)ヨーロッパ諸国とは少し違った価値観をもつ国、という未来的イメージがあったので、この話は意外な感じがしました。話をよく聞けば、いわゆる保守的思想(植民的な?あるいは人種差別的な?)の持ち主ということではなく、国民が高い税金を払って自国の社会のシステムを整え支えているのだから、他から来る者に邪魔されたくない、仕組を壊されたくない、ということのようでした。

EUを拡大しつある今、法律や政治まで含めた超国家的な存在に発展させていこうという過程にも、どことどこを入れて(囲い込んで)どこを外すか、のような問題として、スウェーデンの排他性と同じようなことが起きているのでしょう。また各国々にとっても、自国の文化性とEUのそれとの間で、相容れないことがたくさんあって、先日のフランスとオランダの憲法草案否決という国民投票の結果に結びついたりもするのでしょう。

国としてのアイデンティティや排他性、ということでもうひとつ思い出したのは、フィンランドに40年近く住んで演奏活動をしているピアニストの館野泉さんの話です。音楽大学を卒業してすぐの20代初めに、文化的に日本や西欧諸国がもっているような伝統や歴史認識から自由な国だからと、フィンランドという国を選んで移り住んだ人です。フィンランドの作曲家シベリウスの他、現代日本の作品も弾いていますし、またブラジルの作曲家ナザレーの日本への紹介者でもあります。20才代で、しかも今から40年も前にそのような選択をした館野さんの自発性と見識には驚かされます。フィンランドという国は調べてみれば、700年以上スウェーデンなどに支配され続けて1917年にやっと独立した国、とのこと。そういう国が、何のゆかりも持たない外国人が、「歴史や伝統に惹かれて」ではなく、「歴史や伝統から自由である」という理由で移り住む国になっているのは興味深いことです。

そしてもう一つ、オーストラリアに移住したイギリス人と日本人のカップルの話。妻はイギリス出身で大平洋アジア関係の研究で知られる人文社会領域の研究者、テッサ・モーリス-スズキ。夫はばくち打ち兼作家兼主夫の森巣博。この二人は、オーストラリアは他国と比べて国家の管理や文化的押しつけの壁が低そう、ということで家族三人で移住してきたそうです。

こうして見ると、昔ながらの価値観の中に住む人々の間では、ある国の文化や伝統が留学や移住のときの理由づけになっていたりするわけですが(旅行にしてもそうでしょうが)、そうではない逆の発想、つまり「いかに文化的、歴史的押しつけを受けずにすむか」の基準で、学びの場や生活圏を選ぶという思想がありうることがわかってきます。極論すれば、基本にそのこと(押しつけがないこと)がなければ、どんな「立派な」文化も、どんな「誇りある」歴史も、意味が薄れるということかもしれません。

大桑さんも書いているように、アイデンティティ(国家にしろ、個人にしろ)を語る難しさは一筋縄のことではないと思います。自国のアイデンティティを強く語れば、ナショナリズムとの境界を問われるでしょうし、個人のアイデンティティにしても、その基本要素となるものは何なのか、国籍なのか、言語なのか、肉体的特徴なのか、性格や能力なのかを仔細に詰めていっても、その先には何もない可能性もあります。最後に行きつくのは、DNA鑑定かもしれません。

自分のアイデンティティを探して納得しようとするよりも、個人とアイデンティティの関係性について考えていく方が、実用的な気はします。自分という、他と区別される個があって、それが他者やコミュニティと、さらにはコミュニティの外の世界と、どのような結びつきをしていくことが望ましいのか、ということを考えていくことです。

ユダヤという独自性も、キリスト教という独自性も、イスラムという独自性も、自己の独自性が、他者の独自性とどのように関係を結んでいくべきかの思想が完結した時点で、真のアイデンティティを獲得できるのではないか、とこれを書きながら思いました。
(大黒)

木曜日, 6月 09, 2005

EU村の多文化共存とアイデンティティー (O)

まずは私から謝らなければならないことがあります。一月、そう、今年の初めに大黒さんが「国という垣根の低くなった後の世界では・・・」を書かれてから、気がつけばなんともう6月。5ヶ月もの月日が経ってしまいました。私事(仕事?)でごたごたしておりまして、今まで頭をクリアにできずこんなにもの時間が経ってしまったことをお詫びいたします。歳を重ねるにつれて時間がどんどんと早く加速されるよう過ぎていくように思います。本当に申し訳ありませんでした。


さて、前回の大黒さんがおっしゃる二重的アイデンティティーと共同体についてですが、確かに国と国という垣根は昔と比べると非常に低くなっているように思います。私が子供のころでは考えられないほど毎日たくさんの飛行機が世界各国の空を飛び、アジアへ南アフリカへノルウェーへと人々は地球上をあっちへこっちへと移動しています。ちょうど大黒さんが前回の記事を投稿されてからすぐに、私自身も中東からヨーロッパを経由してアジアの日本まで30時間以上の旅をしました。毎回何年ぶりかで自分の国に一歩足を踏み入れる途端に、まちがいなく日本人であるのにもかかわらずクラクラと目眩がするくらいの文化のギャップにぶつかります。思いっきり、カルチャーショックです。まるで外国の人が映画に見る「Japan」というどこか滑稽なものを見ているような、そんな感覚に襲われて、長い間他の国で暮らしている自分はいったい何者になってしまったのか、日本人としてのアイデンティティーが薄れてしまったのかと不安にさえなります。

アイデンティティー。そこで、はたと、自分とは一体なんなのだろう、そしてアイデンティティーってなんなのだろう、と思うのです。ぼんやりとはわかるのですが、それは故郷というもの(それが物理的なものであっても精神的なものであっても)から来るものなのか、しかしそれすらもうつろいで行くようなものなのか、またはその他にも色々なエレメントを含んでいるのか。アイデンティティーという言葉はよく使われますが、なかなか手ごわい相手のようにも思います。おっと、少し話がずれてきました。

話を元に戻しますが、昔のように村から一度も出たことのないような時代、おなじ土地のおなじ言葉のおなじ文化や価値観を共用しあう共同体(コミュニティー)に生きていたのであったなら、そこに他人とはまったく異なる確固たる自分を見出す必要はなかったかもしれませんし、反対にそうすることは共同体に生きるには面倒なものですらあったのではないでしょうか。しかしそういった社会体系が変わりつつある現代に生きる私たちは、大黒さんもおっしゃるように、ひょっとすると各自のアイデンティティーを問い直す必要に否応でも迫られているのかもしれません。こう考えてみると、他との異なりによって見出す「自分とはこういうものだ」というアイデンティティーは、異なる目の色の隣人同士、または生まれ育った以外の他の土地で暮らし、国と国との垣根が低くなればなるほどさらに重要になってくるのではないでしょうか。

EUにおいても、国境を取り払うというアイデアはすばらしいと思いますし、EU村の共同体の一員としてはこれまでの国籍や民族などはあまり意味を持たないものになるとも言えるかもしれません。しかし、もともと異なる文化を持つヨーロッパの国の人々が、EUという大きなひとつの新しい垣根の中に吸収されて生きていく時に、互いの異なりを認め合い理解して共存してゆくのは大変な時間も努力も必要なわけです。それよりも、異なる文化の隣人と同化するのではなく、反対に各自の文化とアイデンティティー、それぞれのテリトリーを確保したいのではないかと思うのです。

ヨーロッパのユダヤのアイデンティティーという面から見てみれば、歴史的に見てもドイツなどのユダヤの人たちの間でも、他の人々とのアイデンティティーを区別するためにユダヤの言葉であるイディッシュ語などが生まれましたし、例えばオーストリアに育ったフロイトは、そこに生きながらもヨーロッパの文化や思考とは異なるユダヤとしてのアイデンティティーをしっかりと自覚していたようです。そして現在、ヨーロッパでは、その政府はMulti-culture(多文化)を説きながらも、EUに移住する人たちはキリスト教に則ったヨーロッパ文化を認めることを条件とされ、オランダとデンマークではオランダとデンマークの文化を受け入れない人には永住権を与えないという新しい法律を発表しました。また、同性結婚を公で認めたオランダではそれに反対する人々による同性愛者への暴力が恐れられ、ドイツでは若者の間で再びネオナチのムーブメントが怪しくうごめき、外国人やユダヤの人々を襲い、ロシア、セルビア、フランス、英国などでの反ユダヤの感情は第二次大戦以後では最悪の事態となりつつあります。

ここ数年のイスラエルでは、ユダヤに対して圧力のかかっているフランスからの移民が増大する一方です。確かに、以前のシオニズム概念はもう過去の意識でしかないとも言えますが、やはりそれでもEUの統一が行われた今日において、それによって起こりつつある新しい危機をユダヤの人々は感じています。この土地でユダヤと他者とがどう共存していくかももちろん別の大きな問題点ですが、やはりヨーロッパのように他者を恐れる必要が少ないイスラエルという土地への帰属を願うのではないでしょうか。これからもユダヤの人々のイスラエルへの帰還への思いは続いていくのではないでしょうか。 さて、大黒さん、どうでしょうか。 (大桑)

日曜日, 1月 23, 2005

国という垣根が低くなった後の世界では・・・(D)

自分のルーツについて考えること(そしてそれに沿って生きること)と、ルーツの違う人々と共存して生きていくこと、この二つには矛盾や相容れないことがたくさんあるのでしょうか。

世界標準で言うところの年も改まったことでもあるので、こんなところから始めてみたいと思います。

今の時代に生きている人間はみんな少なからず、二重的なアイデンティティのもとに身を置いているのではないかと思います。たとえばヨーロッパの人間は、EU成立後、それぞれの属する国家の市民である意識と同時に、ヨーロッパ市民であるという気持ちが強まっているといいます。とくに若い層では、ヨーロッパ人であるという意識が自国への帰属意識より優先されているという話しも聞きました。

あるいは世界各地の移民の人々。彼らは自分の出身国というルーツをもちつつ、言語や文化の違う国外で生活を営む二重的なアイデンティティをもつ人々です。人の移動は、20世紀終盤になって個人レベルにおいても非常に活発になり、昔は旅行するのも難しかったような国も、自分の意志で生活圏として選びとれるようにもだんだんなってきています。また、仕事や学業などを目的に国外の何ヵ国かを生活圏として選び、そこに定住するのではなく、状況や目的によって移動していく人々も珍しくありません。

そして自国で暮らす人にとっても、自分の国に多くの外国人が訪れたり暮らしたりすることで、社会の構成要員が変わり、国内の状態や境界が少しずつ変質していくのを経験しています。自分はじっと同じ場所で自分のアイデンティティを守って生きているつもりでも、その地盤自体が変化しているのです。

たとえ自国にいて母語で暮らしていたとしても、自分のアイデンティティを問い直さなければならない時代、それが今という時代なのかもしれません。

こういう変化の多くの部分が、経済の論理によるものだったとしても、(そのことも含めて、良くも悪くも)総体としての人間という生き物の意志の方向性のようなものを感じます。個人レベルでも、国家レベルでも、人間は豊かな経済の方にむかって動き、移動していくという法則があるということなのでしょう。

最近読んだ新聞のシリーズ記事に、旧東欧圏でユダヤ人街が復活しているというものがありました。ユダヤ人の生き方の選択肢として、「イスラエルに帰る」こと以外に、イスラエルの外で共同体を復活させそこでユダヤ人として暮らすこともありえるとの考えが出てきているということのようです。東ベルリン、ブタペスト、プラハ、クラクフ(ポーランド)、ビリニュス(リトアニア)などで戦前のユダヤ人街が復活し始めているのだそうです。

それもひとつには経済が関係していて、EUが東欧圏にまでひろがってきていて、ユダヤ人街が復活している都市も豊かさの恩恵を受けられる見込みがあるからかもしれません。長らく問題を抱え、解決のめどがたたないイスラエルに帰るより、より現実的な幸せに近い場所で生きることを考えても不思議はありません。

またそれとは別に、EUという超国家的共同体のモデルが育ちつつあるヨーロッパ諸国では、国、言語、民族などの違いが、よそ者と自分とを隔てるものではなくなりつつあり、その結果、差別や偏見も徐々に無化されつつあるのかもしれない、という想像もできます。

そういう経済をベースに置いた共同体の中では、ユダヤ人にかぎらず、何国人、何民族、ということがそれほど大きな意味を持たなくなるのは、ありえることだと思えます。そうであれば、ユダヤ人にとっても、そこがイスラエルでなくとも、ユダヤ人として生きるのに満足の得られる地域社会が存在するのなら、他のローカルグループ(他の宗教、他の言語など)ともども、共存して幸せを築いていく道があると考えるのは自然なことかもしれません。

世界的な民族移動の傾向は今後も強まるでしょうし、民族間の出生率や労働人口などの違いからも、民族分布が大きく塗り替えられていく国があらわれることも想像できます。国という枠組とその構成要員の関係が、民族や言語というものではくくりきれなくなったとき、国家という思想も後退していくのでしょうか。そして国という思想が世界的な傾向として今後後退していくとしたら、ユダヤ人たちのシオニズム運動にも変化があらわれてくるのか、それとも変わることなく約束の地、故郷イスラエルに帰ることを願い、親から子、子から孫へとその思想は受け継がれ続けていくのでしょうか。
(大黒)