グロスマンを読みながら (対話への対話)

水曜日, 10月 22, 2008

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより

先月の9月に読者さんのNaojiさんというDJをされている方から届いた手紙です。TBSで放送されたイスラエルとパレスチナの関係を取り上げた番組を観られての疑問です。Naojiさんと同じように何らかの疑問をもたれた方が他にもいらっしゃるかもしれないし、そうではないかもしれない。

以下、Naojiさんの質問と大桑の返答です。


Naoji始めましてこんばんは。
福嶋直次といいます。

コメントなどはしたことが無いのですが
以前から大桑さんのBlogを読ませていただいております。
僕は自分自身を怪しいものでは無いと思いたいのですが
確固たる自信がありませんのでその判断は大桑さんにゆだねます。
身元不明も不安材料になるかもですので
始めに僕のこと紹介しておきます。
下記のリンクが私が管理しているプライベートスペースです。
http://djnaoji.ddo.jp/
http://us.myspace.com/djnaoji

ここから本題に入らせていただきます。
先日私は日本のTBSのNews23を見ていたのですが
その番組内でイスラエルとパレスチナの関係について
20分ほどの放送がされました。
私にとってその番組はパレスチナサイドからの視点に感じられたのですが
実際に過去イスラエルで過ごされていた方は
どのように感じられるのか知りたいと思いメールしてみました。


→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらからその番組が観られるようにと
Naojiさんが設定してくださったのですが、
残念ながらこちらからは観られなかったため、
イスラエルとパレスチナの問題を扱った報道の裏側について少々。

わたしをはじめ在イスラエルの邦人は、
各々様々な理由でイスラエルに住んでいるわけですから、
イスラエルという国に対する思いも様々だと思いますが、
こういった報道に対する意見の多くは
「現状とはかなりちがうのでは」というものです。
例えば、以前にも他のブログなどでも書いたのですが、
よくニュースなどで映し出される
パレスチナの少年たちが
イスラエル軍に向かって投石する姿すらも、
報道カメラマンたちがずらりと待ち構えるところで
指示に従って少年たちが「ハイ、いっせーのーで!」
遠くに向かって石を投げ、
向こう側はIDF(イスラエル軍)の兵士がいるように
あとで編集する。
それが事実として報道される。
そこには報道側とアラブ諸国やパレスチナとの
なんらかの利害関係があるのかもれません。
もちろんこういう作られたものがすべてではないですし、
実際に目に当たりでもすれば失明しかねるほど思いきり
IDFの兵士目がけて投石している場合もあります。

また、ラマッラというパレスチナ自治区の街では、
テレビで見る悲惨な土地とは思えないほど裕福で、
豪邸が建ち並んでいる一郭に
瓦礫の山の場面用の場所が作られている。
そんなこともあります。
この土地に関する報道の何をどこまで信じていいのか、
まずそこに疑問が起きますね。

Naoji報道されていることは真実の一面であるとは思っているので
それらが完全な嘘だとは思えないのですが
国などの争いの場合お互いの主張で争いの理由が
複雑な場合が多いと思います。
しかしながら僕にはそのNews23の報道がイスラエルが
酷いことをしていると報道しているように感じるのです。
実際にイスラエルがワンサイドで殺害などをしているのでしょうか?
パレスチナの人々はいわれのない虐待を受けているのですか?
その報道では60年前にフォーカスが当てられているようなのですが
それらの問題は60年前以前については重要視されないのでしょうか。。。
僕個人はTV Newsがディレクターの一思想を
民衆に一方向的に押し付けるものではないと信じたいので
大桑さんに感想を聞かせていただけたらと思いました。
図図しいですね。僕、、、


→大桑:いえいえ、本当に図々しい人は
自分で図々しいとはいいませんから大丈夫です(笑)。

世界の視線を集めたいパレスチナ側は
イスラエルによる虐待などを
まったくの事実だと主張するでしょうし、
国家としてのイスラエルはそれは事実ではないと言うでしょう。
だけどもしかしたら、
イスラエルの左派はパレスチナ側と同じく
それは事実だと言うかもしれません。
どこまでなにが本当なのかは
外からでは非常にわかりにくいのも事実です。
どちら寄りのメディアが伝えるのかによって
まったく事実ではないことが
まるで事実かのように伝わることはよくあります。

わたしはIDF(イスラエル軍)の行動の
すべてが正しいとは言いません。
正直言ってなんてバカなことをしてと
呆れることも多々ありますし、
イスラエルに対して「もっとかしこくなれ」と言いたい時も
たくさんあります。
ですが、とどのつまり「軍」というもの、
アメリカにしても国連にしても、
かつての日本軍にしても、
かなり身勝手でバカなことをするものだと。
ですが、イスラエル側による自治区の民間人を殺害せよという
指令はないと思っています。
軍を退職した友人などからもそういったことは
聞いたことはありませんし、
現役で兵役に就いている20代の男の子に聞いても
そんなことはないと言います。
ですが、人生経験の少ない若い兵士たちの行動は未熟で、
間違いも多いでしょう。
(沖縄で起こる様々な事件をみてもお分かりだと思います)
戦闘中に民間人を巻き込んでしまうこと、
思い違いはあるでしょう。
敵の主要人物を暗殺する、
その時に民間人が巻き添えになったりする、
戦争や紛争とはそういうものだと思います。


虐待について。
番組を観ていないので
何をどう虐待と言っているのかわかりませんが、
例えばガザ地区などのゲート封鎖による物資断絶、
仕事の激減などによって起きる
自治区の生活苦などの問題ですが、
これをイスラエル側による虐待と非難するのか、
それとも自治区が独立して経済を立て直してゆけるように
サポートするのか、そのどちらが大切なのかと。
イスラエル非難ではなく、
どうしたらそんな自治区が独立してゆけるのか、
そういった視点で語られなければいけないのではと。
そしてこういった封鎖が起きるには、
その前にハマスなど自治区側による
イスラエルに対する攻撃やテロがあるということ、
そのリアクションであるということ、
しかしそれらはニュースにもならなかったり、
語られないことも多いということ。
そして、もう一つ踏み込んで言えば、
なぜ他のアラブ諸国は
それほど酷いという自治区の立て直しをサポートしないのか、
なぜ彼らは同じ宗教を持つ者として、
せめてムスリムのパレスチナ人の受け入れをしないのか
(パレスチナ人にはキリスト教徒もいます)。
そのことはなぜ誰も指摘しないのか。
(このブログでは過去にそれについて触れていますが)


60年前以前について。
イスラエル建国前後のこの60年以前を持ち出すと
一方的にイスラエルを非難するのに都合が悪くなるわけで、
それでたいていは無視されています。
もし誰かがこのイスラエルとパレスチナの問題について語るとき、
私個人としてはそこをきっちりと見直す必要があると
思っています。
この対話ブログでも
で、60年前よりもっと前の、
この土地の歴史について書いていますので、
ご興味があればぜひ読んでみてください。
いかにねじ曲げられたかということが少しは見えて来ると思います。

Naojiただ不思議なのがTV Newsなどで頻繁に言論について
責任を持つべきであると言っているTV局関係者が
自分たちが世界に向けて発信しているNews発言について
その議題の番組を再確認しながら討論する機会を
民に与えていないのが理解できないところがあります。
(有料ならば可能なのでしょうが、
多くの民衆は映像使用料金や制作費を作ることが出来ないでしょう。)


→大桑:そうですね、
本当に解決に向けてのための報道であれば
一方的な視点でなく、
様々な角度や過去の時代からの視点も含めるべきではないかと。

ですが、中東問題についての報道は複雑ですね。
イスラームの石油大国のスポンサーや
その他様々な利害関係がバックにあるなど、
外国の大手、BBCやCNNにしても
「真実を伝えるための報道」ではないと思っています。
TBSのくわしい立ち位置はわかりませんが、
日本の報道の90%もしくはそれ以上が親パレスチナの視点、
「かわいそうなパレスチナとイスラエルの悪事」
にスポットにあてての報道でしょうね。
そのほうが視聴率も上がるし、
番組のコンセプトとしてはおもしろいのかもしれません。
そういった報道の意味とゴールがわかりませんし、
わたしからすれば、パレスチナ自治区のあり方の問題定義をして、
そこからの改善をしていく時期だと思っています。
いくらイスラエルを非難しパレスチナの
お涙ちょうだい物語を語っても
堂々巡りなだけではないでしょうか。
パレスチナ自治区を立て直すことを目的として
自治区の一部の市民の悲惨な状況を世界に知らせるのであれば、
それはそれでよいと思いますが。

Naoji極端に言うと
放送が終わったらその映像について知りませんのようなのは
なんとなく私にとって不可解なのです。
そのような勝手な理由でメールいたしましてすみません。
怪しいものかどうか判断してご対処ください。
それでは宜しくお願いいたします。
長文失礼いたしました。
ふぅ疲れた。。。僕は何をしているのでしょう。。。
すみません。
Naojiより


→大桑:テレビ局の報道も以前のように
真実を伝えるための物ではなくなりつつありますし、
責任ある報道は少ないのではないでしょうか。
報道だけに限らず、視聴率をあげるために
おもしろおかしく構成される番組も少なくはないでしょうね。
いま自分たちはそういう時代に生きているわけですから、
その番組を観られて、それをそのまま鵜呑みにされず、
こうして疑問を持っていただけるのはよいと思います。
ただ、Naojiさんのように疑問を抱いても、
それを解いてゆく手だてがあまりにも限られているため、
どうしようもないことも多いのかもしれません。

どうもありがとうございました。

(大桑)

大黒さんへの返信 (O)

6月30日の大黒さんのポストを読んでいくと「たくさんの宿題を出された夏休み」そんな気分です。

さて、まずは個人的なわたしの気持ちの変化について少々。今年の冬の終りにエルサレムを出てから半年以上過ぎたわけですが、予想どおり、これまでの「生活の場としてのイスラエル」で見失っていたものが見え始めた、大げさにいえば汚れを取り除いてきれいになった石みたいなものでしょうか。今こうしてイスラエルとの距離を少し置くことによって、イスラエルのよい面がふたたび光りはじめて来ました。そしてイスラエル人でもアメリカ人でもないちがうタイプのユダヤの人たちや、そういったユダヤのコミュニティーを知ること、それによってさらにグローバルでダイナミックなユダヤ世界とその他の世界の関わりが見えて来るのでは、そんなことを思っています。

ザグレブに来てからここしばらく、わたしはクロアチアの一政党の党首でもある友人の話しから考えさせられることが多く、「過去の歴史を忘れ、互いを尊重しあい、そこから共存が生まれる」とその彼は言います。たしかにそうだと思います。わたしもこのブログで似たようなことをイスラエルとパレスチナの解決策として言って来たと思います。世界が、いかにイスラエルがくだらない悪事をし続けているかを声を大にして非難し続ける結果は解決には結びつかないでしょう。それよりもさらに憎しみが生まれると。しかし過去を謝罪し互いを認めあう、これは現実として可能なのか。人はなかなかそう簡単に自分や家族に対して行われたことは忘れませんし、墓場まで持って行ってもまだ足りない。子や孫、子孫にその憎しみを受け継がせる。身近なところでは日本と韓国と中国の関係、国内では部落問題、在日韓国人や中国人への差別など、過去に基づいたそれを双方が引きずっての今ではないでしょうか。

クロアチアのユダヤ人たちをみていても、彼らはまだゲットーに住んでいる、時々そんな気がします。ファシスト思想のウスタシェ(一般的に英語や日本語ではウスタシャですが、クロアチア現地の言葉ではウスタシェが組織の総称。ウスタシャは単数個人を指す)の色濃いクロアチアで、戦後60年以上たってもユダヤ人はホロコーストを忘れず、ホロコーストをテーマにした学会や展示会、家族を自民族を虐殺された記憶はいまだに薄れることなく語り継がれます。それまで存在していたユダヤ社会と文化、家族を失った側とすればそれは当然のことなのかもしれませんが。また、90年はじめにユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの人たちの隣国セルビアの人たちへの排除の念もいまだに沈下することなく燻り続けています。きっかけさえあれば、また同じことがくり返すされるでしょうね。自己の利益やエゴ、憎しみ、痛み、それらを乗り越えてまで本気でその紛争を終えようとしている人たちはいるのか。以前、戦争のない世界は来ると思うかと尋ねられたことがありましたが、来ないでしょうというのがかなり楽観的な人間であるわたしの答えでした。くり返される人の歴史からも隣近所のいざこざからも、それははっきりしています。文明は進化しても人は進化しない。

さて、今回の投稿はすでにあれこれ詰め込み過ぎですが、前回大黒さんが書かれた「イスラエル/パレスチナ問題についてのリベラルな発言」と「アメリカと日本のイスラエル/パレスチナ問題の受け止め方のちがい」について。もしかしたらわたしが呆れ顔かと言われますが、そんなことはないですよ。誰にでも「ピン!」とくる話しとタイミングがあると思いますから。大黒さんが聞かれたオバマ氏のスピーチは聞いていませんが、ニュースの記事には目を通しました。イスラエルではアメリカの政治家のイスラエルに対しての発言がテレビで放送されることがあったり、イスラエルの英字新聞 Jerusalem Post ではそれらの発言がよく取り上げられていて、大黒さんが驚かれたという彼らの視点はそれほど珍しくもなく耳にします。それよりも、そういったアメリカの発言が新鮮であるということが、わたしにとっては新鮮で興味深かったです。

「日本のリベラルな発言」というもの一般について、実はわたしはそれがどういうものなのかよくわかりません。大江氏のサイードに対する理解も「ピン!」とこず、リベラルと言われる報道やジャーナリズムも偏りが目につくだけで「これだ!」と思うものに出会ったことがない。2000年あたりのイスラエルとパレスチナのきな臭い頃、同じ事件をいくつかの新聞で読み比べても、朝日新聞は意図的なフィルターがかかり過ぎていてとにかく在イスラエルの邦人の間では不評でしたし、客観的で中立とも言えそうなのは読売、それよりもさらに事件の詳細のみを伝えるのに徹底しているロイター、そんなところでした。イスラエルに住む者からすれば、日本は他人の火事を横で冷やかし楽しんでいるような、どこかの夫婦げんかにわざわざ首を突っ込み感情的にそのどちらかだけに加担しているような、そんな気がします。もし日本にもユダヤの人が多く住んでいたり政治家にいたりすると現状とはまたちがった報道や意見が出るのでしょうけど。少し前にひとりの読者から日本の報道に対し疑問を感じられるという手紙をいただきました。まさに大黒さんとのこの対話の意図するところの一つだと思うので、わたしの返答と供にまたのちほどこちらに掲載しますね。

そして、一方では賞賛され、もう一方では歴史をねつ造しているとんでもない嘘つきであるとすら言われることもあるサイード。彼が日本でそれほど賞賛されている間は、このイスラエルとパレスチナの問題を理解することは無理ではないかとも思えます。誰が誰を賞賛してもかまいませんが、そこからどう真の和平に繋がるのか、そこから生まれるものは何なのか。これから大黒さんとサイードの本を読んでいくうちに、もっとなにか具体的にそういうことが見えてくればおもしろいと思います(この対話をはじめてからサイードの本を実は一冊読みました。今手元にないのでどの本だったか題名は忘れましたが、自伝のような一冊でした)。

大黒さんはサイードとグロスマンはちがった立場だと言われますが、わたしからするとサイードもグロスマンも同じサイドの人間だといっても過言ではないと。というのは、グロスマンはイスラエルの左派、しかも極右という言葉に対しての極左、つまりパレスチナ側にかなり近い意見の持ち主であるといってもいいかもしれません。2年前にグロスマンの息子さんがレバノンで戦死した後、果たしてグロスマンはそこからどう変わるのか、そこに興味がありましたが、テル・アヴィヴで(だったと思いますが)行われた息子さんの追悼スピーチではむしろさらに反イスラエル、イスラエル否定の思いが強まったように映りました。今年はイスラエル建国60周年ということで、わたしもそれにちょっとだけ参加させていただきました。いま生活しているクロアチアの首都ザグレブでイスラエルの写真展「No Concept 60」を5月〜10月まで行いました。しかし主催側の左派のユダヤ人女性とのイスラエル建国と現在に対する意見の違いから、写真の選択は主催側に任せたのですが、左派の反イスラエルの主張は理解に苦しみます。グロスマンの時にも思ったように、その時も今後イスラエル国内の分裂はさらに拍車がかかるだろうなと思わずにはいられなかった。長くなるので詳細はまた他の機会にでもお話ししますが、建国60年が過ぎて、かなりの数のユダヤ人ではないロシア人の移住や年々進むユダヤ人の世俗化によって、イスラエル=ユダヤ国家というコンセプトは過去のものになる可能性すらある。今のイスラエル、これからのイスラエルがどうなるのか、ユダヤのアイディンティティとその混乱という意味もあって未来展望がNo Conceptなイスラエルとしたのですが、ユダヤ人国家としてまたは単にイスラエルというひとつの国の100周年は来るのか、どうでしょうか。40年後のその時、誰かがこのブログを読み返すことがあったらおもしろいでしょうね。

(大桑)

月曜日, 6月 30, 2008

大桑さんの旅、わたしの旅、答えではなく(D)

前回の大桑さんのポスト「終りは新しい始まり」を読んで、その率直な書きぶりに少なからず驚き、心うたれた。自身のユダヤへの道のりについての気づき、そしてイスラエルの現状と未来についての考え、最初に大桑さんに出会ったときから聞いてみたかったこと(でもそんなに簡単に聞くことも、答えることもできるものではない、とも思っていた)、それがこうして今、率直に誠実に語られている。そのことに驚きもしたし、何かひとつ突き抜けたような、あるいはふと気づいたらそこにあった山を越えてその向こう側の景色を眺めていた、というような気分になった。終りは新しい始まり。エルサレムを離れたことで、新たな視点が引き寄せられたのかもしれないと思った。人は自分が足を置いている地面、地形、風景、気候、地理条件、それらのものから思っている以上に影響を受け、木や草や野生動物同様、土地の一部として存在しているのかもしれない。

それと大桑さんの今回のポストを読む前になるが、わたしの方にも変化があった。ここでも何回か書いてきた自分の「無神論」あるいは「非宗教」的指向に対して、顧みる機会があった。それはその思考の内容そのものに対してというよりは、そう「宣言」する自分の態度、考えの示し方に小さな疑問をもったのだ。何らかの信仰を持つ人々に対して、もともと否定する気持ちはなかったけれど、理解があったかと問われれば、それもなかったように思う。ことさら「わたしは無神論者である」と「宣言」しなければならない理由はどこにあったのか。そう言わずにおれない気持ちというものがはっきりあるとするなら、神の存在や宗教をめぐるもろもろのことをおおまかに括って、おおざっぱに否定し嫌っていた、という可能性もある。

このことに思い至ったのは、ある本を読んでいるとき、シカゴの黒人教会に触れた部分があり、教会というものがその地域の中で担っている役割に目を開かされたからだ。社会の最下層で暮らし、貧困や慢性的な差別の中でかろうじて日々を送っているアフリカ系アメリカ人の人々の面倒をなんであれまるごと引き受けている、それが地域の黒人教会ということであった。そこでは個人的救済と集団的救済をわけて考えられるような贅沢はなく、精神生活だけでなく食料や着るものなど日々の生活や生命維持に欠けているものを埋め合わせていた。こんなことは初めて聞くことではないし、そのこと自体に驚いたわけではない。日本という環境の中で、「自分の自由意志」で信仰を否定したり、信仰にのめり込んだりすることとは決定的に違うものが存在するのではないかと思ったのだ。

宗教一般に対する自分の敬遠や拒否的な気持ちは、もしかしたら子ども時代、家に病人が出たときどこから聞きつけたか宗教関係の勧誘者が次々やって来て、入信を勧め、迷惑を顧みず居座り、日参する、その執拗さや人の弱みにつけこむ精神の貧しさに呆れ、怒りを感じたことが元になっているのかもしれない。自分の宗教観について今回考える過程でふと思い出したことで、一要素にすぎないかもしれないが。

大桑さんと東京でお会いしたとき、大桑さんのパーソナリティとその基本的な考え方に触れ、そのこととユダヤの思想を結びつけて考えることはなかったが、前回のポストを読んで納得がいった。そして、たとえば物質(文化)との希薄な関係性(物欲のなさ)、人と争うことへの絶望感、拒否的な気持ち、が違った価値観の世界への旅の始まりになっていたのだと知った。濃度は別にして、どこの国の人であれ多くの現代人が空気のようにまとっている物質主義、競争社会、そういった逃れられない環境に対して異議を唱えることから始まった旅なのだということがわかった。そしてわたしも、葉っぱの坑夫を始めた理由の根本を思い返せば、市場至上主義や日本社会の一様性、排他性への拒否感が強くあり、違う道を探したい、オルタナティブな可能性を見つけたいということから始まったものだった。文学やアートそのものから出発したのではない。いやそうではなくて、文学やアートの中に光が、道が、可能性があると感じたのだ思う。

信仰のあるなしや宗教観の違いは、根本の違いとはならないのかもしれない。どっちを向いて歩いているのか、何を探し求めているのか、そのことが問題なのだ。そう考えると、今更だけれど、何年か前に大桑さんが葉っぱの坑夫を見つけてくれたこと、メールを送ってくれたこと、作品を送ってくれたこと、そのことと今はしっかり繋がっていると感じる。


* * *

ところで、大桑さん、6月初旬にアメリカのユダヤ人ロビイストの前で、アメリカ大統領候補バラク・オバマ氏がやったスピーチを聞かれましたか? あるいはそちらのユダヤ人社会の中で、この演説が話題になったりはしていませんか? わたしはたまたまテレビで見る機会があったのですが、アメリカからみたイスラエルという国、イスラエル/パレスティナ問題、周辺アラブ諸国についての考えがわかって興味深かったです。もちろん政府見解ではなく、オバマ氏という大統領候補、民主党上院議員の語ったことですが。オバマ氏独自の話法というものもあり、またユダヤ人ロビイスト(AIPAC=アメリカ・イスラエル公共問題委員会)の前でのスピーチということもあって、そこに照準を合わせて話していることは間違いないですが、それを差し引いても、全体として非常に面白かったです。イスラエル建国の正当性や現在のイスラエル国民の置かれている状況と安全確保の重要性、そしてこの問題の解決法と将来の青写真について耳にすることが、こんなにも衝撃的であるとは自分でも驚きでした。いかに日本では違った側面からこの問題が語られているか、ということなのでしょう。

イスラエル建国60年ということで、日本でも新聞などに関連記事が掲載されることも少なくないですが、朝日新聞では少し前に「歩く/パレスチナ60年/シャティーラの記憶」というシャティーラ難民キャンプを訪ねてインタビューしたコラムが15回に渡って載りました。一般に、そしてリベラルと日本で見られているメディアや知識人、それを信望する読者にとっては、この視点こそがパレスチナ/イスラエル問題を見るとき語るときの、唯一といっていい「ジャーナリスティックな」ものと思われている節があります。そういう日本に住むわたしだから、オバマ氏のスピーチが不思議な響きをもって聞こえてきたのでしょう。これだけこの対話ブログで話し、学んできたはずのわたしがこんなことを今更言うなんて、大桑さんはさぞかし呆れ顔をされているでしょうね。でも日本に住んでいるということがどういうことなのか、それを知っていただきたくて正直に書きました。

朝日新聞に限らず、日本でリベラルとされている主流の論調を紹介すると、日本でそこそこまっとうと思える発言をしたり、本を書き、記事をメディアに載せているリベラルな人々、わたも一読者であったりする作家や学者、批評家たち、その人たちの多くが絶対的信望を寄せているのが、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードです。四方田犬彦や姜尚中、大桑さんも読者という大江健三郎もサイードの賞賛者であり、友人でもありました。「グロスマン」を始めるとき、大桑さんにサイードについて聞いたら、まだ読んだことがないと言われていましたね。わたしは何冊か本は持っており、イスラエル問題に関する部分も読んではいますが、いまだ汲み取れるものを得ていません。もともとこの対話ブログでイスラエルのユダヤ人作家、平和活動家のグロスマンを選んだのも、サイードとは違った立ち場でこの問題について語れる知性、ということがありました。この対話のきっかけのひとつでもあるデイヴィッド・グロスマンの「死を生きながら/イスラエル1993ー2003」は出版後4年たっていますが、日本ではそれほど話題にもなっていませんし、グロスマンの名前もメディアで見ることがほとんどありません(2年前、グロスマンの息子がレバノンで戦死したとき小さな新聞記事になりましたが)。そこで思ったのですが、グロスマンをいっしょに読んでから4年、サイードを読んでみるというのはどうでしょう。適当な著書があるか少し探してみて、もし見つかれば日本語版をクロアチアにお送りしますが。

この対話ブログを読んでいるかたは、この書き手二人は、二人の真意はいったいどこにあるのか、いったい何派なのか、と疑問に思われているかもしれません。何か発言する人は、ある目的があって、ある立ち場があって、それにそって論理を展開し、その正当性を訴えるものだからです。でもわたしたちは(大桑さんもそうではないかと思うので)、さまよい、さすらい、横道へもときにそれ、ときに勘違いも起こし、でもそうやって問いを発しながら考えるということをやっているのだと思うのです。問いをもち、考えつづけることが、答えを得て安心することより大切ではないかと思っているのです。間違った発言をすることにも、それほど大きな恐れは抱いていません。ただし間違ったと気づいたら、その考えの経緯を書き、なぜそう思うに至ったかを書くと思います。それは自分一人に起こる間違いではなく、他でも、他の人の中でも起こりうる考え、理解の仕方だと思うからです。

野次馬的な興味をひとつ。バラク・オバマ氏は日本でも著書が翻訳され、リベラルな知識人、論客、そして朝日新聞の記者などからも、かなり好意的な支持を得ているように見えます。しかし上にも書いたように、オバマ氏はアメリカ大統領候補であり、アメリカ人という立ち場から常にものを語ります。イスラエル問題への発言のように、それは日本のリベラルな知識人のこれまでの考え方の基本とはかなり違ったものが含まれています。その亀裂を論客たちはどうやって埋めながら話しを展開していくのか、もしオバマ氏が大統領になったときには、注意深く観察していきたいと思っています。

水曜日, 3月 26, 2008

終りは新しい始まり (O)

*3月26日に一度投稿したのですが、どうにも未完成だったため、勝手ながら下記のものに差し換えさせていただきました。(3月28日)


前回の大黒さんが仰っているように、大黒さんとわたしは同じ日本人とはいえ明らかに異なる世界の住人かもしれない。しかし、だからこそこの対話プロジェクトに意味があるのではないかと思っている。

私個人としては「異なる世界の住人の話を聞くこと=様々な気づき」であり、そういう機会を持てること自体すらとても興味深いのだが、しかしみながみなそういうわけでもないらしい。たいていは対話相手を客観的に見れなかったり、どちらかが(または互いに)自分の価値観を押し付けようとしたり、または、「こんなおかしな人とは二度と話すもんか、こんちくしょう!」と憤慨したりする。その個人レベルの延長線が、この世界全体で起きている民族や宗教の争いなのだろう。そういう意味でも、これも大黒さんが仰っているように、ほとんど違和感を感じることなく、しかももっと時間があればとさえ思えたあの青山のカフェで、無神論者であると言われる大黒さんと過ごした時間は、その後、信仰の街エルサレムに戻ってからも非常に有意義なものとして継続していた。

エルサレムに住むようになってから、会う人ごとに「なぜイスラエル、なぜユダヤの世界なのか」と問われ、その度に「なぜでしょうね?」と冗談ではなく自問自答してきたのだが、あの日の大黒さんとの対話の向こうに、ゆっくりとその霧が晴れはじめた。子供のころから寺という、物質や競争社会とはほとんど関りのない世界で生きてきたのだが、20代で惹かれ、その後の人間形成に大きく影響したのは他から見れば特異にすら映るユダヤの思想と価値観を礎にした社会であり、人々だった。現代社会では失われつつある多くのもの、例えば十戒に見られる基本的モラル、が厳粛に守られ、これからも守られようとしている世界とその住人たちとでもいえばいいのだろうか。このことについて話すと長い長い話になってしまうのだが、早い話、かくあるべき人間社会を探す旅の途中で見つけたのが、そんなユダヤの世界だったのだろう。と、そういうことが青山以来、ようやく言葉として表現できるに至った。

しかし、2008年2月に、その約9年間のエルサレムのお山のほぼ隠遁生活に、とりあえず一つの終止符を打つことになった。その主な理由は、世俗化、欧米化、競争社会化が急速に進むイスラエルに、かつて見い出した輝きと方向性を失ってしまったことにある。ここ数年そのことに悩みながらようやくこの結論に至ったのだが、イスラエル、そしてエルサレムと少し距離を置くことで再び見えて来るものに出会いたい、とここらで惰性の生活に区切りを打ち、思い切って拠点を変えてみることにした。そんな過程で旧ユーゴスラヴィアのクロアチアの首都ザグレブに移ったのだが、しばらくここでホロコーストとその生存者であるユダヤ人のお年寄りの話を記録していきたいと思っている。

このクロアチアという国もまたイスラエルに負けず劣らず民族紛争が激しく複雑なのだが、クロアチア人の知人たちに、隣国のセルビアやセルビア人の長所を少しでも言おうものなら、瞬時に苦虫をつぶしたような表情をされる。ユダヤ系イスラエル人にパレスチナ人を褒める(またはその反対)のがタブーに近いのと同じように、それも口にしてはならないタブーということなのだろう。また、在クロアチア・ユダヤ人に対するクロアチア人の反応は様々で、しかし本音はいまだにヨーロッパに根付く反ユダヤの文化、そして第二次大戦で勢力をふるっていたウスタシェというクロアチアのナチズムからも「このユダヤ人め!」と思っている人も少なくないのではないかと感じることがある。しかしこれらの土地に限らず、「他者または隣人の排除、差別」というのは、世界中で起きているわけで、身近な日本でも在日韓国人や中国人に対する偏見、また関西圏ではそれに加えて部落問題などもある。

さて、その民族と紛争の中心のひとつでもあるイスラエル / パレスチナの近況はというと、相変わらず一歩進んで一歩下がり、そしてまた半歩進む、といった状況ではあるものの、一応、パレスチナ自治政府が「イスラエル抹消派」のハマスを抑えて独り立ちする方向へと向かっているように見える。以前から言っているのだが、現状で「卵が先か鶏が先か」を争っても解決にはならず、アラブ諸国が声を荒げている「イスラエルを抹消しパレスチナのみ存在」という選択肢も非現実的でしかない。互いから完全に手を引くこと、そしてパレスチナが完全に独立した一国となることでこの延々と続く無意味な争いを終わらせ、そこから双方に新しい始まりが訪れるだろう。そう思っている矢先にまた、3月にエルサレムのユダヤの宗教学校でアラブ人による乱射事件が起きているし、イスラエルもガザへの攻撃を行っている。

本を読むことについて。本は知識であり、知識は酸素と同じほど人の成長に欠かせないエレメント。昨年の春の帰国時には、雑誌ともなんともいえないいわゆる情報誌が大半を占める店舗が圧倒的になっていた本屋の様変わり、そして京都の四条河原町にあった丸善など大手の書店の閉店など、かなりその状況に驚いたのだが、これからもその中から良い本を選択し、それを糧にしていきたいと思っている。昨年読んだ本の中に「四季(李 恢成著)」という、在日朝鮮人としての「私」を描いた一冊があるのだが、残念ながらなぜか途中で挫折してしまった。大黒さんが前回の投稿でも触れられている内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」は以前から気になっていたので、今度Amazonで購入してみようと思う。ぶらりと本屋に寄って本(特に日本語で書かれた)を買うのは、外国に住むわたしには夢のような話になりつつある。
(大桑)

月曜日, 10月 08, 2007

書く糸口、考える立ち位置を探しながら

ここに自分の考えたことを投稿をしていなかった間も、ユダヤについて、イスラエル/パレスチナについて、異なるものの間の対話について、世界各地で起きている紛争について、考えていなかったわけではない。ただ、書くのが最初の頃より難しいと感じることが多くなってきた。自分の得たわずかな知識や情報をもとになにほどのことが語れるのか。そういう疑問もつねに沸く。ただ書くことは、考えることであり、この企画にはその考えを聞いてくれる対話者がいる。また開架式で公開しているので不特定多数の読み手もいる。なにほどのことがたとえ書けなくても、まったく無駄というわけではない、そうも思う。

そもそもこの企画を始めたのは、ユダヤというもの、イスラエル/パレスチナが抱える問題、そのことにどのように自分がアクセスしていったらいいのかという関心からだった。きっかけとなったのは、このプロジェクトの対話者である大桑千花さん(ユダヤという生き方、その思想やあり方に関心と共感をもち、ベルリンやニューヨークをへて現在はエルサレムに住む)と知り合ったこと。その世界をよく知る一人の人間を介して、なんとか未知の世界へ近づきたいと思った。普段の気楽なメールのやりとりの中では必ずしも話題にならない、しかし大桑さんにとって核心の問題を、真面目に正面から話し、何か汲み取りたいという思いだった。

今年の5月には、帰国した大桑さんにお会いする機会ももった。青山のカフェで、いくつかの、大桑さんが身をもって体験した心の漂流と旅の軌跡のエピソードを聞いた。それは初めての話ばかりだったけれど、この何年間のあいだにインターネットを通じてやりとりした書面と地続きのものであることを実感した。そして別々の地に住む今後も、大桑さんの話をもっと聞いていきたいという思いを強くもつ機会ともなった。

大桑さんとわたしはしかし、かなり異なる人間であることも確か。大桑さんがユダヤの世界に惹かれて旅立ったのに対し、わたしは日本の中に暮らし何とか外部の目をもって日本を見たいと願ってきた者だ。またそれなりに徹底した無神論者でもあり、具体的に無宗教であるだけでなく、日本において風俗や慣習、習慣の中で混然一体となっている祭事や文化行事にもめったに参加しない。宗教にかわるものとして、精神の支柱として、生きていくときの夢として、アートというものと長年かかわってきたように思う。このように大桑さんとは大きく立ち場を異にしているが、書面でも対面でも、少なくともわたしの側からは大きな違和感を感じることは少なく、まだ知り得ていない大きな謎を感じながらも人間として魅力を感じ、信頼を寄せている。大桑さんとの真摯な対話の可能性を信じている。

書かなかった間も本を読むことはしてきた。この対話とは直接関係のないテーマのものであっても、直接間接にユダヤについて、イスラエルについてのトピックが登場することも多く、世界で起きている問題はひとつとして互いに無関係なことはなく、大きくは地続きではないのか、という思いにもなった。最近読んだ本の中で強く印象に残ったものに、次のような言葉がある。
「人は祖先を誇りに思う権利はない」 

アメリカの黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンと文化人類学者マーガレット・ミードの対話集「怒りと良心/人種問題を語る」(1973年出版)でのミードの発言。わたしはこのフレーズに、訳者である作家の大庭みな子の個人全集のエッセイの中で出会った。以来この言葉の意味するところを考え続けている。「祖先」とは何か。「誇りに思う」とはどういう状態か。中でも一番気になったのは「権利」というところだ。「義務」ではなく「権利」と言っているところにこのフレーズの尋常ならざるところが見えているように感じる。その後まったく別のテーマの10冊を超える本を読んでいるが、このフレーズになんらかの光をあてているように感じた文章が少なからずあった。たとえばどんな本かというと、「ホノルル、ブラジル/熱帯作文集」(管啓次郎著)、「驢馬とスープ」(四方田犬彦著)、「北朝鮮へのエクソダス」(テッサ・モーリス-スズキ著)、「トオイと正人」(瀬戸正人著)、「瞬間の山」(港千尋著)、「ごく普通の在日韓国人」(姜信子著)、「愛国心を考える」(テッサ・モーリス-スズキ著)、「ディア・ピョンヤン」(梁英姫著)、「チャイナタウン発楽園行き」(林巧著)、「Borderlands / La Frontera」(Gloria Anzaldua)、このような本である。これらの本に何か共通するものがあるとするなら、個人とその人間が属している(いた)集団や社会との関係性について何か述べられている、ということが言えるかもしれない。最後にあげた「Borderlands」とは境界地域のことだが、チカーナ(メキシコ系アメリカ人)の作家アンサルドゥーアは地理としてのボーダーのみを指しているのではなく、言語、性、宗教などによる集団間のボーダーランズについても書いている。そしてその書く言語も、英語とスペイン語のミックスだ。詩や散文の中でアンサルドゥーアはこの二つの言語をスイッチしながら書いていく。このcode-switchingという手法を(そう呼ぶのだとこの本で初めて知った)、その後、在日朝鮮人に関する文章の中に見つけ、やはり一つの問題は、特にある集団とその境界域に触れる問題は、他の似た状況の問題と地続きだと思った。去年葉っぱの坑夫が出版した「ぼくのほっぺのちいさなあざ/ The little mark on my cheek」も、code-switchingによる本ということになる。

ところで、後に上記の引用フレーズに導かれて、「怒りと良心」の本を手にしたが、その中でユダヤとイスラエルに関することが熱心に語られていて印象的だった。中でも、イスラエル建国について、イギリスが自国の利益のために進めたことがシオニズムと合致して建国となったというくだりに興味をもった。また詳しくは書かれていなかったが、ミードは建国に賛同の意を、ボールドウィンは反対の考えを述べていた。ミードがどのような理由と論理で賛同していたのかは興味ある。著書を探せば、詳しく触れられているものが出てくるのではないか。

また季刊雑誌「考える人」の最新号に、小林秀雄賞を受賞した内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」の紹介とインタビュー記事、未来&歴史学者ローレンス・トーブとの対話が掲載されている。大変興味深い内容だった。本はまだ手に入れていないが、近いうちに読んでみたいと思っている。

読むことから、また考えることを続けていきたいと思っている。

日曜日, 5月 14, 2006

マイノリティー・リポート (O)

「光陰矢のごとし」とは本当によくいったもので、学なりがたしの私にはとても追いつけないほどの速度で、びゅんびゅんと時間が過ぎ去ってゆきます。前回の大黒さんのポストが、まだ冬のあいだだったということにすら驚いています。日本では桜の季節も終わり、そろそろキャンパスや社内に5月病が訪れる頃でしょうか。

さて、私はといえば、イスラエルの短い雨季の冬の終わり、3月末に行われた総選挙の直後にエルサレムを抜け出して、東欧の小国クロアチアへ。一ヶ月ほどの旅をしてきました。ユネスコの世界遺産に指定されている、中世イタリアの宮殿跡の壁に作られたアドリア海の街や、100ほどもある滝と湖で有名なプリトヴィツェ湖群国立自然公園。豊かな自然がとても美しいクロアチアを含む旧ユーゴ・スラヴィア、南スラヴ民族の国。ここもまた、イスラエルまたはパレスチナと呼ばれる土地と同様に、異なる民族と宗教の共存が大変難しい土地ではないでしょうか。

1980年に、ユーゴ・スラヴィアのティトー大統領(日本語ではチトーとなりますが、本来の発音はTito 《ティトー》 なので、ここではあえてそう呼ぶことにします)が亡くなって、その後、どんどんと民族同士の対立が表面化し、争いが激しくなりました。それまでは、ティトー大統領によって統一されていたユーゴ・スラヴィア。南スラヴ民族の国という名の、ひとつの国家のもとで共存していたいくつもの民族の人々。彼らはもはや同じ町に隣人として住むことなど、到底できない状況になってしまいました。そして「Ethnic Cleansing 民族の浄化」という言葉によって、美しい自然に囲まれたプリトヴィツェ周辺では、隣人同士だったセルビアとクロアチアの人々は、何世紀にも渡り住み続けてきた互いの家を焼き払い、破壊しいのちを奪い合い、相手にそこから立ち退くことを強いました。そしてクロアチアでは、民族としてだけではなく宗教においても、悲惨な争いが続きました。カトリックとセルビア正教が対立し、異なる者の存在を認めるのではなく、その反対に他者を否定し排除することによって。

今回、2年ぶりで訪れたクロアチアの旅の途中の道々で出会った、あの当時の爪あとや、その土地の宗教を主張するいろいろなもの。首都のザグレブから南へ、プリトヴィツェ国立自然公園に向かう旅の途中で通り過ぎた町では、あの当時、とても激しい争いが繰り広げられていました。走り行く車の窓からでもはっきりとわかるほど、今でも民家の壁一面にはびっしりと銃弾の跡が刻まれたまま。そこに不自然に、新しい窓が取り付けてあったりしました。おそらく窓は銃撃によって割れて壊れてしまったのでしょう。そして当時のことを忘れないようにと、茶色く錆びた戦車の残骸などのオブジェがその町の広場に残されていました。

車がさらにプリトヴィツェ国立自然公園に近づくと、道の両脇にはおとぎ話のような、とてものどかで牧歌的な田園風景が続きます。畑のきれいな緑色のグラデーション。羊の群れ。ブーフーウーの子豚物語で見たような、赤いレンガの家の脇に咲いているのは、白い桜の花や色彩豊かなチューリップ。名もない野の小さな花々。イワン・ラブジンなど、ナイーヴアートが生まれた土地。なんともやさしく響いてくるその風景を、うっとりと車の窓から眺めていると、ぽつん、ぽつん。道の脇や遠くの丘の上に空き家があることに気がつきます。壁の一部だけを残して、屋根もなにもかもが見事に崩れ落ち、見すてられて廃墟となったレンガの家々。この土地で激しい争いがあったことを知らなければ、他の国でも見られるように、ただ、近代化によって村の生活を捨てた人たちが多い国だと思ってしまうことでしょう。

そして隣国のスロヴェニアに近いクロアチア北部では、時間はゆるやかに流れていました。白鳥がのんびりと水面をすべる美しい湖のほとりや、村の高台には古城がそびえ、まるでドイツかどこかのような優雅さえも。そのあたりの村々をつなぐ街道の分かれ道では、扉のない小さな小屋のようなものをたびたび見かけました。その小屋には、大きな十字架に架けられたキリスト像や、ベールをかぶったマリア像がおかれ、それらはそこを通る異国からの旅人にさえ、その土地の人々の宗教がなにであるかを語りかけます。日本でいえば、国道沿いのお地蔵さまのような感覚なのかもしれませんが、土着したカトリック文化にあまりなじみがなければ、多少の戸惑いと威圧感を与えるかもしれません。または、この土地の人々はなんと信心深いのだろうかと感銘するかもしれません。しかし、「Ethnic Cleansing 民族の浄化」という名目でこの土地を追われた、それとは異なる宗教と民族の人々がその象徴を目にしたときに、いったいその象徴がもたらすのは何か。そんなことなどがぼんやりと、心をよぎりました。

第二次世界大戦のころへと時代をさかのぼってみると、クロアチアにはウスタシュと呼ばれるナチ主義の人々がいました。このウスタシュによって、多くのセルビアとユダヤの人々、そしてロマ(ジプシー)と呼ばれる人々が、異民族であるという理由によっていのちを失ってしまいました。この土地の80%とも90%とも伝えられているユダヤの人々が、そのホロコーストによって亡くなり、現在のクロアチアでは、ほんの2000人ほどのユダヤの人々がマイノリティー(少数民族)として認識されています。そして認識されていない残りの1000人ほどのユダヤの人々は、自分の子供たちや隣人が気付かないように、ユダヤとわかる名をクロアチアの名前に変えて生きています。そしてクロアチアの大きな街に生きるセルビアの人々も、また同じように。とある民族がその土地から消え失せたあと、そこに生きながらえた人々は、その過去の記憶になにを学んだのでしょうか。彼らは、自分たちの民族の伝統も宗教も、そしてそのアイデンティティそのものをまるで否定し、または隠すかのようにして、異なる宗教と民族であるクロアチアの人々と同化することによっての共存、という道を歩いています。

これまでの人生で、自分の持つアイデンティティや宗教において危機的な迫害をされたことも、それに対していのちをかけて戦った経験もない。そんな外国人である私には、その土地で起きたすべてを短時間で理解すること、ましてやそこに住む友人たちと気軽にそれらについて話すことすらも、とても難しいと思われました。そして、ティトー亡きあとにこの土地で起こったこと。武力によってのその争いは終わっても、人々のこころの中ではそれらの争いと葛藤はいまだに終止符が打たれていないという現実。そんな現実とはまったく別の世界であるかのような、クロアチアの豊かで美しい自然に、なんともアイロニーを感じてしまった旅でした。

プリトヴィツェの森を一日かけて探索しました。美しい自然に感嘆をあげる観光客に疲れて、あまり旅人の歩くことのない山道へと逸れました。人気のない静かな森の透き通った清流には、蕗が伸び花が咲き、のんびりと鴨が泳いでいます。今ではもう使われていない古い水車小屋も。そして山道の脇には、すっかり雑草におおわれて朽ちかけたレンガの家が一軒、ぽつん、と誰に知られることなく残されていました。玄関も窓もないその廃墟に足を踏み入れると、かつてキッチンだった、ああ、きっとリビングだったんだろうと思える部屋、そんな記憶がそこにありました。かつて、ここで生活を営んでいたのがクロアチアの人だったのか、またはセルビアの人だったのは、もう誰にもわかりません。そして、争いが終わってからも長いあいだ、セルビアの人がこのあたりへ踏み入ることは、できませんでした。

すると、廃墟の脇の山道を一台の車が走り去りました。ゆっくりと走り去る車のバックに見たのは、驚いたことにセルビアのナンバー。ひょっとすると、未来への明るい光はもう挿しはじめているのかもしれないと、森に落ちる光と陰の矢がそう伝えたような気がしました。

(大桑)

金曜日, 1月 27, 2006

シオニズムとユダヤ教。黒豆と無宗教。(D)

前回の大桑さんのポストからずいぶんと日がたってしまいました。間があいてしまったことで、さらに書くきっかけがつかめず、またこの5ヶ月間この問題について書くことから離れていた分(書くことは考えることなので、考えることから離れていたことにもなります)、回りからの情報がわたしの中に入りこみやすくなり、自分の中でこの問題に関する焦点のあれこれに、巻き戻しが起きているような気がしていました。それがまた、書くことに向かうことを遠ざけていたように思います。

前回大桑さんは、入植者のガサ撤退にあたってメディアがいかにご都合主義にふるまうか、日本の報道関係者や学者や知識人もふくめた寄稿者、著者、出版社たちがいかに安易にこの問題について発言しているかについての焦燥感を書かれていました。「巻き戻し」と書いたのは、日本にいて新聞、テレビ、雑誌などのメディアに日常接していると、そして能動的に考える態度を少しでもゆるめ、受ける一方の状態になっていると、流れて来る情報に自分が侵食されそうになるのです。

最初にわたしがこの対話ブログをはじめたいと思い、大桑さんに声をかけた理由も、あまりに日本語で流れている情報や発言がどのメディアでも、一方的かつ一種類しかない、ということが一番にありました。わたしにとっては、ユダヤ系イスラエル人作家のこの問題に関する著書が訳された、というだけでトピックであり貴重でした。違う視点に触れられると思ったからです。(前回のポストで大桑さんが書いているように、グロスマンにも問題があったとしても、です) その当時も今も、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードの日本の知識人への影響力は絶大に見えます。この問題に関する日本の知識人の拠り所はサイードの発言とその著書のみにあるのではないかとさえ思えるほどです。大桑さんが指摘するように、あの人が、と思われるような(進歩的と見られているような、海外の大学で教鞭をとったり西欧知識人との対話を本にしているような)知識人たちでさえ、「圧倒的な軍事力でパレスチナを虐待するイスラエル」という単純な構図からしか発言していないこと、それも詳細がない発言であること(その定型文だけを繰り返すというような)は、事実に近いとわたしは感じています。

ポストがあいてしまったしばらくの間、繰り返し(と言っても取り上げられる機会は少ないですが)これらの見方に接し続けていると、大桑さんとの対話を1年以上にわたりしてきたわたしでさえ、問題の見方に揺らぎが起きる瞬間があるのです。それほど日本で得られる発言や情報は単一です。自分自身にしっかりとしたものの見方や、メディアに接するときの能動性(書かれていることの背景や、記事の公表の意味なども含めて情報を受け取ろうとする)がなければ、いとも簡単に(多分意図されているであろう)同一性指向の渦に巻き込まれ、「自分」を見失います。

そんな中、2、3週間前のことですが、四方田犬彦著「見ることの塩 - パレスチナ・セルビア紀行」(作品社)を手にしました。2004年に数カ月間、イスラエルに滞在してテルアヴィブ大学で教鞭をとっていたときのことが前半約半分に書かれています。最初の方で、サイードの名前があがったことや、中東問題でよくメディアに登場する酒井啓子による朝日新聞の書評で首をかしげる部分はあったものの、またとない最近の現地レポートなので読んでみることにしました。四方田氏のまえがきには、自分のまわりには「パレスチナ人とイスラエル人の錯綜した物語について充分な知識をもっている者は皆無」であり、自分もふくめて「支配者であるユダヤ人と悲惨な犠牲者であるパレスチナ人によって、きれいな形で二項対立が構成されているものだと漠然と信じているだけで、それ以上のことは知らなかった」との記述があり、日本の、未知の社会に対する閉鎖的かつステレオタイプな認識を感じていたようで、それがイスラエル滞在を選択するきっかけとなっていたとのことでした。そのあたりの動機を信じて、でも批評的に読むことは忘れずに、とそんな心づもりで、少しずつ読み進んでいるところです。

読んでいていくつかの未知のことにぶつかり、そのあたりを大桑さんの口から話を聞いてみたいという好奇心が沸いてきました。そのひとつは「正統的なユダヤ教とシオニズムが歴史的に対立してきた」と書かれていたことです。前回の大桑さんの記述の中にも「世俗と宗教社会というふたつの相容れないグループのギャップは深く」とありました。「見ることの塩」では、現在のイスラエルで世俗派(日常的にシナゴーグに行かない人々)が全体の7割を超えているとありました。つまりユダヤ教徒として宗教的な生活を送る人は、イスラエルの中でむしろ少数派ということになります。教会(シナゴーグ)に行かない世俗派が主導する国家がイスラエルとするなら、世俗派の人々はいかにしてユダヤ人なのでしょう。グロスマンも確か無宗教つまり世俗派の一員だと思いますが、このあたりはもうひとつ理解しにくい点です。

シオニズムというのはユダヤ人の国家をどこかにつくるという思想と理解していますが、この本の中では、イスラエル建国のきっかけとなったヘルツルという活動家の考えを「西欧文明を代表するエリートのユダヤ人のみからなる国家を地球上のどこかに建設すること」として記述していました。またヘルツルは「ユダヤ教徒の退嬰的な映像を払拭し、従来のユダヤ人をめぐるステレオタイプから解放されるために懸命であった」とのことで、このあたりがシオニストとユダヤ教徒との対立のあらわれの一つなのかもしれないと想像しています。ユダヤ教徒の中には、宗教上の教義と相容れない現在のイスラエル国家を否認する傾向もある、とこの本には書かれており、そのあたりのことも大桑さんの考えをぜひ聞いてみたいと思いました。

この年頭、ぼんやりと国家と家族の関係について考えていました。わたしは無宗教ですが、お正月をどのように過ごすかについては気まぐれです。ここ何年かは神社にも行っていませんが、おせち料理は習慣で少し食べます。今年は気まぐれついでに、圧力鍋というものの成果を試したくて、黒豆を煮てみたりもしました。それが宗教的な気分とどれくらいリンクしているのか、考えてもよくわかりません。たぶん、強い否定はないのでしょう。でも近所の神社のお正月のチラシに厄よけに関する記述がずらずらと書かれているのを見るのは、気分を害されます。そういうものに対して大きな距離を感じるからです。ふと、デュシャンもシェーンベルク(あるいはケージ)もないんだろうな、厄よけの世界に生きていたら、と思いました。でも厄よけで神社に通いつつデュシャンを熱心に論じる人だっているだろうな、それが現実だろうな、とも。もしわたしが、確信犯的に無宗教で、ナショナリズム的国家幻想に直結する伝統的な家族観を全否定していたら、お正月をはじめとするさまざまな季節行事のときは、日本人内異邦人として「無味乾燥」に過ごすはめになることでしょう。人の生活とはそういうものなのだな、と思うから。でも、それでもいいではないか、そこから先には何があるのか、そこから先にたとえばどんなものが建設できるのだろうか、という好奇心もあります。ひょっとしてそれを考えるのは、原理主義者のすることかもしれませんが。(大黒)

<ノート>
デュシャン, マルセル:1887-1968。フランス出身で後にアメリカ定住。既製品の便器に署名した『泉』などの作品で知られる。
シェーンベルク, アルノルト:1874-1951。ハンガリー出身のユダヤ人で後にアメリカ移住。調性を放棄した作品をつくり、後に12音音楽を発明。
ケージ, ジョン:1912-1992。アメリカ生まれの音楽家。何も音を発しない作品など。南カリフォルニア大でシェーンベルクの教えを受けている。

土曜日, 8月 27, 2005

メディアと対話と和平と -ガザ撤退にあたって- (O)

日本ではもうお盆も過ぎて、夏の終わりが近づきつつあるのでしょうか。イスラエルはまだまだ夏真っ盛り、11月の末まで雨粒の一滴も空からは落ちてこない、長い長い夏です。

さて、ここしばらくはヨーロッパへと話が流れてゆきましたが、ここらでちょっと方向をイスラエルへともどして見ましょう。イスラエルでは、先週からのガザ地区撤退でごったがえしていましたが、ユダヤの住民とIDF(イスラエル国防軍)の両方があの土地から撤退するという話は、遠い日本でも様々なメディアを通して耳にすることもあったのではないでしょうか。そのお陰で私の頭と心はかなり憔悴しました。私の憔悴の理由のひとつは、今回のことを通して改めて感じた「いかに人というものは都合の良いものか」ということで、そこにはメディアという避けがたいものがありました。

インターネット上の数々のウェブで、そして本屋の棚にも、イスラエルとパレスチナ問題に限らず、真実と題されてはいるものの、どう見ても自分たちに都合の良いように書かれたものが恥ずかしげもなく並んでいる。しかも、それなりに名の知れたジャーナリストと称した方ですら、言ってしまえばまるで偏ったゴシップ並みの記事を、それらしく発表されている。そういうものを書く側もそれを出版または報道する側も、自分の名を上げたり何かの利益に繋がればそれでよいということなのでしょうか。個人の求める様々な情報が、インターネットなどで簡単に手に入る時代といえば、一見とても豊かな時代のように聞こえますが、実際はなんだかとても混乱しやすい難しい時代になったように思います。一昔前まではオブジェクティヴだったメディアがサブジェクティヴとなったご都合主義の情報のあふれる現代では、情報を与える側にはもう期待は出来ず、情報を与えられるこちら側の目を養うしかないなのでしょうか。出版に携わっていらっしゃる大黒さんは、そのあたりの裏の世界はよくご存知でしょうし、そういうメディアのプロパガンダにある程度免疫のある私でも、このような状態を目の当たりにすればするほど、がっくりと気が萎えてしまうのです。

イスラエルとパレスチナの問題では、日本を含めた世界中で、メディアと政治の思惑によってイスラエルという国や入植地と呼ばれるものは、イスラエルがパレスチナから奪い取り占領している土地なのだから、当然パレスチナの人々に返還するべきだと謳われます。そして例に漏れず、イスラエル国内のメディアも、自分たちに都合よく振舞います。1970年ごろでは、イスラエル政府は国民にガザの入植地への居住を勧め、それにあたり様々な面でのサポートを行いました。当時、それに賛成していた左派のメディアは、それから1993年のオスロ合意までの20年間以上に渡り、入植地の住民をまるで国のヒーローのように扱いました。しかしオスロ合意が失敗に終わると、左派のメディアは入植地は政府の提案だったことすらをあやふやにし、入植者をまるで和平の障害物のように書き立て、その思惑通りに国民の多くは入植者たちを非難します。このようにこの土地ですら、メディアによって事実を見極める目を人々は失い、混乱しているのですから、それらを情報源とする日本のメディアやジャーナリストと称する人たちの発信する情報は、さらに偏ったものとなって日本の人々に伝わるのは、ある意味どうしようもないのかもしれません。

日本などでも見られるイスラエルとパレスチナに対する多くの意見では、1948年のイスラエル建国以前のことは一言も触れません。その理由が何であれ自分たちには都合が悪いので、1948年以降だけを拾い集めて事実として、この土地はイスラエルがパレスチナから奪った土地だとします。そこにイスラエルは悪者で、パレスチナはかわいそうという白黒のイメージが出来上がってゆきます。それをニュースで見たり何かで読んだ人々は、それ以外の異なった意見を聞く機会が少なければ、盲目的またはほぼ自動的に「なるほど」とそう思い込みます。この土地に住むすべてのパレスチナの人々は、占領者イスラエルの圧力に日々苦しめられ追い詰められた状態の、かわいそうな難民なのだろうと。覆面をして銃を取りマーチングし、まだ何もわからない小さな子供たちにも、侵入者イスラエルを憎めと銃を持たせ、ジバクするのがすばらしいと教えることは、もっとも理解できることだと涙を浮かべます。同じように、先週に撤退をはじめたガザの入植地についても、あの土地はもともとイスラエルがパレスチナの人々を追い出した奪った土地なのだから、パレスチナの人々に返還するのが当然だとも思い込んでしまいます。しかし、それほどこの土地の現実は、短絡的なことではないのではないでしょうか。

もし仮に、パレスチナについてのこのような日本の意見が現実ならば、エルサレムの近辺のパレスチナ自治区内の町に住む、難民でもなく武器も取らない多くのパレスチナの人たちは、暑さでボケた私が見る砂漠の中の幻想なのでしょうか。また、イスラエルによって圧迫されているとされる、追い詰められたパレスチナの人々が、小さな子供たちと共に武器を取ることやジバクはすばらしいと教えることへの賛成が、イスラエルとパレスチナのふたつの民族の和平と共存にはつながらないと思うのはおかしなことなのでしょうか。それよりも、パレスチナ自治区に住む人々がこれまで以上に保障された生活を送れるように、ヨーロッパや日本からの巨額の寄付金が、するりと当たり前のように政治家のポケットへと消えてゆく自治区政府を建て直すことのほうが、遥かに意味のあることなのではないかと思う私がおかしいのでしょうか。プロパガンダをそのまま思い込んでいる人たちと、そうではないのでは?と思っている同じ日本の人との間でさえ対話は果たして可能なのか、そんなことを思いました。

ガザ撤退にあたり、日本では未だにプロパガンダにうまく乗せられたパレスチナに同情する意見が大多数なのだと思い知らされて、ちょうど一年ほど前にこのブログで書いた「パレスチナ問題の発端」「それぞれの思惑」、そこからの私と大黒さんの一年はまったく無駄だったのかと、またまたここでがっくーんと落ち込んでしまったわけです。もちろん、大黒さんと私がインターネットとメディアの大海の片隅でちょこちょこと、でもがんばって、意見を述べ合ったところでどうだというのだ、と言われればそれまでなのですが・・・。

さて、以前には左派と右派のメディアの特色がはっきりと分かれていた、イスラエル国内のメディアを追ってみました。今回のガザ撤退と共に、左派のメディアはイスラエル社会の価値を探すことに、フォーカスを当てているように思います。そこでまたまたグロスマンの登場となりました。現在のイスラエル社会は傷つき、国民はしばらくの間は喪に服すべきであるとメディアで語りはじめた第一人者のグロスマンと、左派のその他の作家たちは、左派のスポークスマンとして、今回のガザの入植者たちと右派の負けを祝う必要があるようです。しかし、そこで他の左派の作家とグロスマンが異なるのは、8月15日の「The Jerusalem Post」に彼が投稿した文中(このポストの一番下にあります)に見られるように、グロスマンは入植者たちについて、一言すらも理解を示してはいないことです。グロスマンはイスラエルの世俗社会と共に、家を追い出される同じユダヤの入植者たちに対して同情するでもなく、“頭のよい”入植者たちは、ユダヤの人々が祖国を持てなかったことや、その離散の歴史を都合よく使う、イスラエル社会のパラサイトであると冷たく非難しています。これまでのユダヤの人々の歴史では、常に彼らは他民族の政府によって住んでいた土地を追い出されて来ましたが、今回のガザ撤退ではユダヤが同じユダヤを追い出すという、ユダヤの歴史上初めて起きたことであり、そして自国の政府によってその自国民を自国の軍隊を用いて撤去させるという、世界史上でも初めての出来事について、他の左派の作家たちとは異なりグロスマンは明確な意見を述べていません。

グロスマンは、入植者たちを政治と和平プロセスの邪魔者としてではなく、「人」として扱うように、そしてこれまで数十年に渡って作り上げてきたイスラエル社会の傷つき-これから入植者たちが引きづりながら生きてゆくであろう壊れされた夢と、グシュカ・ティフなどの入植地を作り上げた危険性、そしてそのような状況に陥ったこと、同じユダヤ人同士が対立してしまったことなど-に対して喪に服すようにとイスラエル国民に伝えました。そして、すべてのイスラエルの国民のひとりひとりが、デモクラシーとして、入植地を撤去する責任を担い喪に服すべきだと。それがイスラエルがこれからもひとつになって生き残る方法なのだと。

このグロスマンの意見は、一見すばらしいとも思えますが、これを深く掘り下げていくと、実はこの意見はとても混乱したものだということが見えてきます。まさに方向を失い、混乱したイスラエル社会そのものを反映しているように。グロスマンは「イスラエル社会の深刻な疾患」と文中で繰り返しますが、それが一体何かは明確にしていません。しかし、他の左派の作家(またはジャーナリスト)たちは、そのことについてはっきりと考えを述べています。例えば左派の作家の中でも著名なアリ・シャヴィットは、グロスマンと同じように、入植地の撤去については賛成ですが、入植地の建設はパレスチナに対してフェアではなく、イスラエル史上でもっとも間違った行動だったと指摘します。しかしガザの入植地撤退が完了し、それが入植者と兵士たちの双方に、そしてイスラエル社会と人々に一体どのような傷と影響を与えたのかは、誰にもわかないと、イスラエルの世俗社会の入植者たちに対する冷たく蔑むような扱いには彼は同意していません。そして、さらにシャビットは、自国民である入植者の危機の時に対して、何の同情や少しの慰めをも示さなかったグロスマンなどのイスラエルの知的エリート層の人々を非難し、イスラエル社会は入植者たちから何かを学ぶべきだといいます。イスラエル社会で失われてしまったコミュニティー、または自治体としての絆、友情、目標や理想、努力など、日本でもおそらく失われてしまったものたち。グロスマンの言葉を借りるならば、これがイスラエル社会の深刻な疾患ではないかと思います。

そして、何よりも今回のガザの撤退が露にした事は、イスラエルという国は、異なる二つのグループの祖国だということではないでしょうか。左派と右派、または世俗と宗教社会というふたつの相容れないグループのギャップは深く、まるで異なる二つの民族のようにさえ映ります。そして、これが現在のイスラエルという国の本当の悲劇ではないのかとさえ思えてしまいます。イスラエルのメディアを徘徊してみて、もうひとつ決定的なことに気がつきました。政治家やグロスマンなどの和平を唱える人たちは「なぜ将来建国されるであろうパレスチナという国に、ひとりとしてユダヤの人は住むことが許されないのか」という問いについては、まったく触れていないのです。ガザの入植者たちは、ガザの家に残れるのならば、そこがもはやイスラエルでないのならばパレスチナの住民となってもよいとまで表明しました。しかし、パレスチナ政府はこれを拒否しました。もし、本当にふたつの国の実現と和平を現実にするつもりがあるのであれば、なぜパレスチナには一つの民族しか住んではいけないのか、EUのように多国籍に多文化が謳われる時代になったにもかかわらず、本当にこの土地の和平をみな願っているのだろうかと問わずにはいられません。現在、この地球上には約200近い国が存在しますが、そのどの国を取っても単一民族の国は見当たりませんが、将来のパレスチナという国だけはそうなるということです。今、こうしている間にも、この土地ではまた、イスラエルとパレスチナの双方に新たな死者が増えました。もう一度聞き返さずにはいられません。人々は、そして世界は、この土地についてのどのような和平をめざして対話しているのでしょうか。 (大桑)



以下は8月15日のイスラエルの英字新聞「The Jerusalem Post」のグロスマンの記事です。


「Something to mourn By David Grossman Last Update: 15/08/2005 14:21

For decades, the settlers have excelled at finding the weak points and illnesses within Israeli society and exploiting them to their own advantage. With a keen intuition, they operated in the gray areas of the Jewish-Israeli soul, in the places where fears, past nightmares, the urge for revenge and hopes for redemption are intertwined. They succumbed to the temptation - usually suppressed - of being drunk with power after thousands of years as a humiliated people. They indulged the human desire to bend rational considerations and the demands of reality to the unyielding concepts of messianic religious faith. Above all, they shined at exploiting the deep wound of the Jewish experience - that of the sacrificial victim - and convinced many into believing that sacrifice itself justified any action or injustice.

The lawless struggle being waged by West Bank settler activists against the disengagement plan, and their dismissive attitude toward what is dear to the majority of Israelis undoubtedly makes it more difficult to respond to the evacuation itself, to the violent uprooting, and sometimes obstructs the natural tendency simply to identify with the pain of those who are being uprooted.

Perhaps this is also because the settlers have often turned themselves into a kind of monolithic, impersonal body. They do not even hesitate to use their children as accessories to their protests and provocations. Nevertheless, supporters of the withdrawal and all those who for years have struggled against the settlers would be erring if they were to deny the human and ideological complexity of their political rivals in their most difficult hour and treat them like political and religious arguments rather than human beings. That would only aggravate the serious illness of Israeli society, the overwhelming and mutual dehumanization process that is the necessary precondition for any confrontation - and, God forbid, for war.

We should all take a deep breath right now and remind ourselves that, in the final analysis, the days to come are days of mourning for all Israelis. Mourning for the personal and ideological pain of the settlers whose dreams have been shattered; mourning for the fact that Israel was drawn into such a dangerous and unrealistic adventure like the creation of Gush Katif; mourning for the fact that the state brought itself to the place where it was forced to do such a violent, warlike and brutal thing to thousands of its citizens; mourning for the abyss that is being created inside our home, and for the disaster that could befall us very soon; mourning for the situation in which we are trapped, Jew against Jew with a foreign, naked hostility that stands in complete, existential contradiction to our own interests.

Both "blue" and "orange" Israelis can mourn today for the passion, the pioneering spirit, the purposefulness that for years pulsed through Gush Katif and which will soon dissipate like smoke, and for the fabric of life there that will be shredded come tomorrow. Mourn, too, for the enormous energy that could have achieved so much had it been directed toward reality and not illusion; for the evacuees whose lives have been changed forever and who will probably always bear the scars of what will be done to them tomorrow; for the men and women and children who gave their lives for their faith - or for their naivete; and for the hundreds of soldiers who were killed defending the hopeless settlement enterprise. We should all mourn bitterly for the terrible human and material cost to the entire nation.

At the end of the day, the uprooting of the settlements and the people is an act in which all Israeli citizens have a role and responsibility, whatever their beliefs. Anyone who is part of the democratic system that made this decision is a signatory to it. Perhaps the most humanitarian and ethical way for any Israeli to participate is to expose himself to these feelings of mourning, to attempt to confront them in all their unbearable contradictions. Maybe that is the way to enable us to continue together in this painful and irreversible process, to heal some of the wounds and to save ourselves from the landslide whose boulders are perched just above our heads.」