日曜日, 7月 12, 2009

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより② 

昨年10月の投稿から随分と時間がたってしまいましたが、その前回の「読者からの手紙ーDJのNaojiさんより」へ今年始めにいただいたNaojiさんから返事です。

Naojiさん:大桑千花さんへ

こんばんは。西暦において新年を迎えました。
大桑さんにとって良いお年になることを願っております。
ご迷惑でなければ今年も宜しくお願いいたします。
まず最初に大桑さんからのメールへの私からの返事が
およそ三か月もかかってしまったことをお詫び申し上げます。
ちなみに10月23日から少しずつですがお返事を書いていたのですが
やはり三か月経過するとその文章は時系列のずれが生じています。
以下 途中まで作っていたメールです。

「大桑千花さんへ

こんばんは。そちらは今夕方でしょうか?
お身体回復しつつあるとのことなによりですね。
そして私の質問を大桑さんたちのブログで利用してくださり有り難く思っています。グロスマンを読みながらの過去ログを読ませていただこうと思っているのですが夜に四時間ほどアルバイトを始めたこともあり他に時間を使ってしまいましてなかなか見させていただくことが出来ない状態です。

先日、私の地元の図書館でグロスマンさんの本を借りてきたのですが
それも読むことができぬまま返却期限が来てしまいました。
読める時間が作れないのに大桑さんに気軽にブログを読ませていただきますと書いてしまったことを申し訳なく思っています。どうしても自己収入に繋がるものを優先してしまいまして。。。すみません。私自身が私の遺志で大桑さんたちの”グロスマンを読みながら”を読むことを望んでいますので私は私が読める時間を作れる機会が訪れると思っています。」

と、ここまで少しずつ変更しながら書いていた次第です。
でもこれはもう効力を持っていませんです。
言い訳がましいのですがセカンドジョブを持ったことと
私自身が引越をしたのと大桑さんの”グロスマンを読みながら”にて
僕の疑問について取り上げていただいた記事にあった
大桑さんがピックアップされた三つの対話記事を読んで理解してから
私の思うことをまとめてメールにてお返事しようと考えていまして
数回その記事を読もうと試みていたのですが
世界史実に疎い僕にとってそれらを記憶するというか
自分の知識内に追加しようと試みることがちょっと難しかったようです。
ですから私は今日あきらめ半分で流し読みというか理解できなくてもいいや。。。などと思いながら読んでみました。

→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらこそお返事に長い時間がかかってしまい、すみません。
この対話の場で進んでゆく時間の流れも非常にゆっくりなので
どうぞ気長におつきあいください。
図書館でグロスマンの本を借りられたこと、
読んでみようと行動に移されたこと、
それだけでもNaojiさんはもちろんのこと、
大黒さんそしてわたし、みんなが一歩前進したように思います。
少しでもこれまでとちがった新しい意識を持ち始める事が
この対話の目的の一つだと思っていますので、
時間がかかっても、ほんの小さな一歩でも、
仮にその時はそれで終ってしまっても、
時間と供に忘れてしまっても、
またいつかなにかの機会に「ああそういえば、」と、
この問題についてそれまでとはちがうなにかが見えてくれれば、と思います。


Naojiさん:大桑さんのレポートを見る限りイスラエルの地は
元々ユダヤの民が暮らしていたのかなぁと思ったりしたのですが
私が思うに現代においてはもう先住者がユダヤ人、
パレスチナ人であるかという事よりも
お互いが似通った一人間であると考えて争わないようにすることが
ベターだと感じます。
大桑さんのレポートでパレスチナーイスラエル問題が多くの国の関与で
現在の問題へと引き継がれていることを少しだけ理解しました。

→大桑:はい、そういった過程があっての現状だというご理解、
どうもありがとうございます。
今回Naojiさんがこれまでとちがった視点に気がつかれたということで、
これまでここで大黒さんと対話して来たことが
少しでも実りつつあるのかもと思えました。

日本(または日本語)で目にするイスラエルとパレスチナ問題に関する情報はまだまだ一方的で、
歴史的な事にしてもよくてここ100年ぐらい過去のこと、
それ以前、英国統治以前についてまではなかなか話しに登る機会も知る機会もない。
この問題を考える時に1920年の英国統治後からか、
それともそれ以前の何千年前に存在したイスラエル王国、
または神がイスラエルの民にこの土地を授けた視点からなのかによって、
まったく異る意見が出て来るわけです。
しかし誰の土地なのかということをメインとして
現在のイスラエルとパレスチナの問題を論議すると、
もうただただどこまでも平行線で、
建設的な解決への道へは繋がらず、
論点としてはもう外してしまったほうががいいとさえ思います。
だけど一つ言えるのは
英国統治以前を知らずに、
この土地が元々はパレスチナの土地なのだという情報のみを
基にして考えるのではなく、
ひょっとすればここはイスラエル、
ユダヤ人の土地でもあったのではないか、
そんな視点も交えて捉えていくと
現在、一般に語られているような善と悪の物語のような
単純なものではないことも気がつくでしょうし、
これまでとは異なった視界が開けていくと思えるのです。

そしてNaojiさんも仰るように、
今そしてこれからしていかなければならないのは、
そのどちらの土地なのかを宣言するための争いではなく、
互いの存在を認め、どこに境界線、つまり国境を引くのか、
そしてパレスチナを一国としてイスラエルから経済的、
精神的に独立させる、それしかないのではないでしょうか。
もう何度もこの場で言って来ているので、
またか、と思われるかもしれませんが、
パレスチナを一国として独立させる、それしかないと。
欧米社会はイスラエルのやり方がアパルトヘイトだとかナチ同様だとか、
そんな否建設的なことを言い合っている場合じゃない。
現実的にパレスチナ単独での独立が不可能なのであれば、
欧米諸国とアラブ諸国とが団結して独立させてあげればいい。
故アラファト氏が活動していた頃から
これまでもうとてつもない額と量の資金や物資が
投資されているわけですから。
(それがどこに消えてしまったのかという問題もありますが)
もちろんこのパレスチナの独立という案に賛成するアラブ諸国はないわけですけれど。

独立に関して、例えばですが、
イスラエルでは周知の事としてこんなことがあります。
パレスチナ自治区の人たちの多くは携帯電話を一つのみならず
二つぐらいは所持していますが、
それはどこから供給されているのか。もちろんイスラエルからです。
イスラエルが彼らにそういったものを無料提供し続ければ、
自治区の人たちは独立して自力でやっていこうなどと思わない。
自分たちの国を作り自立し、自分たちで何もかも始めるよりも
このまま施しにすがっている方がある意味楽なわけですから。
そういうと
「何言ってんだ!そんなことがあるか!みんな自立したいに決まってる!」
と思われるかもしれませんが実際にはそういうもの、
長年の環境からの影響もあり、
そういったメンタリティーが蔓延っていることは否めない。
だからこそ、本当にこのパレスチナとイスラエルの和平を願うのであれば、
世界各国はパレスチナを独立を実現させるように動くしかないのだと。

Naojiさん:大桑さんが言われるように
これは二国間で解決できる問題では無いと感じます。
なぜならこれまでの経緯においてイギリス、トルコ、シリア、
イラク、エジプト、など、いやそれだけでなく、
当時の世界情勢などが関与して現代につながっているようだからです。
僕には守りたくなるほどの人種意識があまりないかもしれません。
そのように考えると日本のアイヌ民族やアメリカのネイティブアメリカン
の所有地を奪われてからの生活方法にある意味のリスペクトを感じます。
ひとところにいないで移動して暮らす遊牧民にもリスペクトを感じますが
僕自身、自宅でひとところに落ち着いて作業をしたい人間ですので
パレスチナーイスラエルの人々の気持ちもなんとなくですが理解できます。
私を含めた多くの人々が自分の家を持ちたいでしょうね。
うーむ、やはり僕は意思が弱いようです。具体案が浮かびません。
ただ武器によって人を殺す行為は痛いと思います。
私のエゴにおいて殺害はやめてほしいです。
具体案もなくまとまりのないお返事となっていますがご了承ください。
それでは。福嶋直次ことNaojiより

→大桑:特に日本人には民族とナショナリティーについて
なかなか理解しにくいのが現実です。
日本に生まれれば日本人、だけどそれがナショナリティーなのか、
民族としてのことなのか、それすらもどこか曖昧ですよね。
またそこに宗教が関わって来るともうこんがらがってしまって、
どう処理していいのかわからない。
そういう基本的な認識がとても曖昧になっているため、
他国や他国民、他民族の問題を理解するのはとても難しいですね。
結局は人は自分が同じような立場だったり
似たような体験をしたりしない限りは、
なかなか他人のましてや他国の問題など
理解できないのかもしれません。

イスラエルとパレスチナの双方の国民が
安心して住める家を持つこと、
それにはやはり何度も言いますが
彼らが二つの別々の国家として存在すること、それしかないでしょうね。
ですが、イスラエルもパレスチナも、
彼らの中東的なメンタリティーとしては、
相手への妥協は負けと見なしますから、
何がなんでもまずは自己主張の一点張りです。
これは政治だけではなく隣近所の口喧嘩ですらそうなので、
政治という晴れ舞台ではさらにいかにどれだけ自己主張したか、
そんなくだらない子供の喧嘩のようなものにさえ思えます。

とは言うものの、
ここ近年のイスラエルはかなり妥協案を打ち出したり
ガザ撤退に見られるようにそれを実行したりして来ましたが、
それでも自治区政府は手を打つ事はせずにもっと妥協しろと、
結局なんの解決へも結びつきませんでした。
そういったことでも少しでも変れば、
いつかは平和に暮らせる日が来るのではないでしょうか。

ちなみに、ミュージシャンのNaojiさんにはひょっとしたら
興味のある話題かもしれないのですが、
欧州では毎年春にユーロヴィジョン・コンテストという歌の祭典、
東欧、中欧、北欧、ロシアからマルタ共和国まで
欧州の様々な国の歌によるお国自慢合戦が行われるのですが、
中東のアラブ諸国に拒否されアジアの一国として認められてない
イスラエルもそのコンテストに参加しています。
(ちなみにサッカーのワールドカップでもイスラエルは欧州リーグです)

今年のイスラエル代表は、
イスラエルではアヒノアム・ニニという名で知られ、
80年代後半から人気の実力派イェメン系ユダヤ女性シンガー、Noa(ノア。日本でもCDをリリースしています)と、
イスラエル国籍のアラブ人女性シンガーMira Awad(ミラ・アワッド)のデュオが登場し、
「There Must Be Another Way」というヘブライ語とアラブ語、
英語が混合した歌詞で会場を湧かせました。
このユーロ・ヴィジョンというお国自慢歌合戦、
欧州の各国が自国の名誉をかけたコンテストのステージで、
イスラエルというユダヤ国家がアラブ系国民を
国の代表者の一人として出場させ、
しかもユダヤ人とアラブ人がヘブライ語で歌うだけでなく、
もう一つの公用語でもありながらマイノリティーな感が拭えない
アラブ語でも歌うというのは今回が史上初めての試みです。
当然、イスラエル国内では知的人(この呼び方が好きではないですが)
と呼ばれる人たちの間ではアラブ人を出場させることについて
偽善的だと言う声も多く、賛否両論でしたが。
これが欧州では評判の悪いイスラエルによる戦略的なアピールなのか、
それともなにかもっと純粋なものなのかわたしにはわかりませんが、

「泣いているのは自分のためだけじゃない。
あなたのためにも泣いている。
痛みに名などあるはずもない。
そして無情な空に向かって泣きながら言う。
ほかに道はあるはずと」

そういうサビの部分があります。
つまりどちらかだけが悲しんでいるのではない、
イスラエルでも自治区でもこれまでたくさんの人々の命が
犠牲になってきたけれど、
その失望と痛みと悲しみは
自分たちだけでなく相手も同じなんだと、
そこに敵も見方もない。
これまでのやり方ではなく新しい方法があるはずだから、
もう互いを憎しみ合うのは終りにしよう。
そんなことを比喩しているのではないかと。

いずれにしても現実は甘くないわけで、
これは音楽パフォーマンスであり、
NoaとMiraの二人が歌うこの歌が、
イスラエルとパレスチナ問題のWake up callとなり、
実際にユダヤ人とパレスチナ人がこのステージ上の二人ように
手を取り合う可能性もなければ、
世界がこれまでの過去の過ちのくり返しをストップすることも、
世界が新しい方向に動き出すこともなかったわけですが。

「これまで長く辛い道を、
手に手を取り合って来たけれど
涙は空しくこぼれ落ちる。
痛みに名などあるはずもない。
ただ明日という日が来るのを、わたしたちは待っている」

以下、この歌の歌詞とYoutubeの動画です。



Einaiych (Your eyes)

There must be another
Must be another way

עינייך, אחות / Einaich, achot
כל מה שלבי מבקש אומרות / Kol ma shelibi mevakesh omrot
עברנו עד כה / Avarnu ad ko
דרך ארוכה, דרך כה קשה יד ביד / Derech aruka, derech ko kasha yad beyad
והדמעות זולגות, זורמות לשווא / Vehadma’ot zolgot, zormot lashav
כאב ללא שם / Ke’ev lelo shem
אנחנו מחכות / Anachnu mechakot
רק ליום שיבוא אחרי / Rak layom sheyavo acharey

There must be another way
There must be another way

عينيك بتقول / Aynaki bit’ul
راح ييجي يوم وكل الخوف يزول / Rakh yiji yom wu’kul ilkhof yizul
بعينيك إصرار / B’aynaki israr
أنه عنا خيار / Inhu ana khayar
نكمل هالمسار / N’kamel halmasar
مهما طال / Mahma tal
لانه ما في عنوان وحيد للأحزان / Li’anhu ma fi anwan wakhid l’alakhzan
بنادي للمدى / B’nadi lalmada
للسما العنيدة / l’sama al’anida

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

דרך ארוכה נעבור / Derech aruka na’avor
דרך כה קשה / Derech ko kasha
יחד אל האור / Yachad el ha’or
عينيك بتقول / Aynaki bit’ul
كل الخوف يزول / Kul ilkhof yizul
And when I cry, I cry for both of us
My pain has no name
And when I cry, I cry
To the merciless sky and say
There must be another way
והדמעות זולגות, זורמות לשווא / Vehadma’ot zolgot, zormot lashav
כאב ללא שם / Ke’ev lelo shem
אנחנו מחכות / Anachnu mechakot
רק ליום שיבוא אחרי / Rak layom sheyavo acharey

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way


(English Translation)

There must be another
Must be another way

Your eyes, sister
Say all that my heart desires
So far, we’ve gone
A long way, a very difficult way, hand in hand
And the tears fall, pour in vain
A pain with no name
We wait
Only for the next day to come

There must be another way
There must be another way

Your eyes say
A day will come and all fear will disappear
In your eyes a determination
That there is a possibility
To carry on the way
As long as it may take
For there is no single address for sorrow
I call out to the plains
To the stubborn heavens

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

We will go a long way
A very difficult way
Together to the light
Your eyes say
All fear will disappear
And when I cry, I cry for both of us
My pain has no name
And when I cry, I cry
To the merciless sky and say
There must be another way
And the tears fall, pour in vain
A pain with no name
We wait
Only for the day to come

There must be another way
There must be another way
There must be another
Must be another way

ありがとうございました。(大桑)