月曜日, 7月 04, 2005

ヨーロッパの反ユダヤ伝承文化 (O)

ここしばらくガザ撤退の賛否で揺れているイスラエルですが、さて、大黒さんの前回のポストでは、文化価値の異さから起こる各国への知的移住の話でしたが、これをEUに当てはめてみるとどうなるのでしょうか。EU移民の層をピラミッドでたとえるなら、知的移住者は上部のほんの一握りであって、大半の移民つまりピラミッドの下部は、おそらく、生きるためには切っても切れない金銭、つまり経済的な問題での移住なのではないでしょうか。

現在、EU統一後のヨーロッパではそのような移民とEUの住人との問題を抱えています。そこには政治問題はもちろんのこと、経済問題、アイデンティティー問題、そして宗教問題が右往左往している状態で、しかもそれらの問題の一つ一つがバラバラなのではなく、互いにリンクしあっています。たとえば、トルコのEU加入反対の理由としては、彼らがヨーロッパには馴染まない(つまり彼らがキリスト教文化とは異なるイスラームであること)、男女不平等、そして彼らの加入によってEUに起こりうる経済的なダメージの問題、移民の流入の問題などでした。

オランダで2004年11月に起きたある事件は、ある意味でその象徴的なものでした。画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホの遠縁にあたるテオ・ファン・ゴッホ映画監督の製作した、イスラム社会を批判した映画に反発したムスリムの若者が、アムステルダムの路上で監督を殺害するという事件がおこりました。それを期に、ヨーロッパの大衆は、増え続けるムスリムと相容れることのできないイスラームの価値観に対してようやく目を覚まし、異民族そして異教徒であるムスリムとの共存、そしてトルコの加入を、キリスト教のEUでは快く受け入れるムードではなくなってしまいました。

さらにEU憲法の批准への反対理由を見ても、オランダはEUの中でも他国より多文化共存の道を説いて来たにもかかわらず、オランダとフランスの両国では国民の55~60%がEU憲法の批准を反対しています。その一番の理由はオランダのEU拠出金が高くなることでした。そして、オランダの政治が自分たちのものでなくなること、EUへの依存度が高まること、オランダのアイデンティティーがなくなることなどが挙げられました。アイデンティティーと経済問題としては、ドイツやイタリアではユーロではなく各々の通貨を復活させる動きが盛んになってきています。

では、大黒さんの前回のこの質問、

「ヨーロッパでの反ユダヤ人感情が、第二次世界大戦以降では最悪の状態と大桑さんのポストを読んで、驚いています。それはどのような経緯で強まってきているのでしょうか。」

ですが、これを説明するには一体どこからはじめたらよいのかと、思わず、うーむ、と小さな頭を抱えてしまいました。

そもそも、今また、どうしてヨーロッパでの反ユダヤの感情は起こるのか、そしてそれがどうしてこれまで以上に高まっているのか、この疑問の明確な答えというのは、実は正直なところ私にはわかりません。でも、それは私がヨーロッパの文化やアイデンティティーに馴染みのない異邦人、アジアの人間、であるからではなく、むしろヨーロッパに住む反ユダヤの運動に賛成する人々に「なぜ今また反ユダヤなのか」と突き詰めてみたところで、実際その答えや理由はかなり曖昧で根拠のはっきりしないものではないのだろうか、と思います。


では、なぜヨーロッパで昔もそして現代においても、このように反ユダヤが深く染み込んでいるのか。それを少し明らかにするには、歴史をずっと昔にさかのぼってみましょう。

キリストがこの世を去ってから2000年ほどもの間、ヨーロッパではユダヤの人々がキリストを受けいれなかったことへの憤慨、そして彼らを「キリスト殺し」と呼び、常に宗教差別の対象としてきました(実のところ現在においてもそのようにユダヤの人々を呼び、キリストを受け入れなかったことはバチカンがイスラエルを国として認めない理由ともなっています)。そしてユダヤの人々は彼らのいう「この世界の王」である神に対しては頑なまでの忠誠心を見せても、その土地の権力者や王などには易々と平伏すことはない。そうなると、やはり王やその家臣や他の民衆はおもしろくありません。そして多くの民衆や農夫などが字も読めずに学もなく生きていた時代にも、ユダヤの人々は聖書を読み、そこから様々な知識を学んでいました。中世では教会によって定められた法において、ユダヤの人々は普通の職業に就くことや土地を所持することを禁じられていました。また、キリスト教徒同士が金貸しをしてはいけないという理由から、シェイクスピアの著書「ベニスの商人」にあるように、ユダヤの人々が商人や金貸しのような職業に就くしかなかったのですが、往々にしていつの時代でも金貸しとは嫌われるものです。

ここまでサッと少し挙げただけでも、ヨーロッパでユダヤの人々はキリスト殺しと呼ばれて以来、嫌われる要素をたくさん持っていたのがわかります。ヨーロッパに根付いたキリスト教文化の生活の中で、このように彼らは常に妬み嫌われ、蔑まれ、ことあるごとに迫害する格好の的になりました。そして今からさほど遠い昔ではない60年ほど前、現代になって、ヒトラーがヨーロッパで受け継がれてきたこの反ユダヤ文化にとどめを刺し、大衆に対して「ユダヤ=それだけで嫌うもの」というホロコーストを成し遂げるための完璧な方程式を打ち出しました。そしてそれは驚くことに、決して忘れ去られた、または過ちであったと認められた過去のものではなく、現在のドイツなどでもいまだ生き続けています。

1998年に私がベルリンに住んでいた時ですら、あるドイツ人の友人の祖母は、ヒトラーが消えアウシュヴィッツが解放され、ベルリンに大きなユダヤ博物館が建てられてすらも、いまだに反ユダヤを当たり前のように唱えていました。その理由はいうまでもなく、彼らがユダヤだから、という以外の何でもなく、私の友人である孫に「くれぐれもあの角の店で買い物をしないように。あそこはユダヤだからね」といつも言うのです。彼の祖母にしてみれば、そういう観念の中に育ち、戦後半世紀が過ぎた今でも変わらず、そこにいちいち深い理由づけはいらないのでしょう。そしてドイツ人には珍しくどこかユダヤの風貌をした若い女性の友人は、ネオナチらしい数人の若い男性のグループを通りの向こうに見かけると、「ユダヤにまちがわれるから鼻を隠さなくちゃ!」と慌てて言いました。もちろん大多数のドイツの人々がこうだとは思いませんが、大衆の日常生活のレベルでこのような観念がいまだに続いているということです。

前回のポストでも書いたように、どれだけEUが多文化国のスローガンを掲げていても、ヨーロッパという土地は、やはりキリスト教とその文化が奥深く根ざした土地だということは紛れもないことでしょう。そこでこのようにヨーロッパの人々が彼らのアイデンティティーと経済と文化を保持しようとする時に、当然のことながら、排除する対象になるのは常に異邦人であり異教徒であり、これまではイスラームとのかかわりが少なかったために、いつもその矛先はその土地に共存してきたユダヤの人々となってしまいました。

そして現代では、そこには政治の絡んだマスコミの思惑も見え隠れし、2002年4月にフランスで起こったシナゴーグ襲撃事件では、メディアは1938年に起きた「クリスタルナハトの前触れ」との物々しさで伝え、大衆はそれにうまく踊らされてしまいました。

EUの統一により起こっている諸問題と、そして今回は触れませんでしたがイスラエル・パレスチナ問題に関するヨーロッパのかけ引きにおいても、ヨーロッパで2000年ほども受け継がれてきた伝承文化ともいえる大衆の反ユダヤの感情を利用し、それに加えてヨーロッパに移住したムスリムによる反ユダヤ主義が拍車をかけ、またもや歴史はくり返している。人はいい加減ここらで未来に向けて過去から学ばなければならないのですが、なかなかそうは行かないのが人というものなのかもしれません。 (大桑)