木曜日, 11月 11, 2004

イランに留学している清水さんからの投稿。(D)

ずいぶんとポストの間があいてしまいました。ひとはやはり、自分の周囲半径何メートルのことに追われだすと、努力しないと想像の及ばない遠い国や人々の間で起きていることに対して、気がまわらない状態におちいってしまうということなのでしょうか。日々のいくらやっても終わらない仕事の数々、私的な心配ごと、あるいは逆にお祭り騒ぎの興奮などが、今日明日に直接影響を及ぼすことのない遠くの出来事への思考を遠ざけます。

大桑さんの前回のポストに、今年の夏、イスラエルに投獄されているパレスチナ人たちによるハンガー・ストライキがあったけれど、世界はアテネ・オリンピックに夢中で、なんの注目も集めなかったとありました。ひとりの人間が抱えこめる問題の種類と総量の限度、日常でつながっていない事柄への興味の持続と切実感。一筋縄ではいかないことだと思います。もし自分が、自分の暮らす社会にたいして関心(や不満)を持てなくなったら、良い悪いの判断を停止したら、その時点で、イスラエルやパレスチナ、あるいはイラクやチェチェンで起こっていることに対しての関心も跡形もなく消えることでしょう。世界で起きていることへの反応や関心は、その人が日常をどのように生きているかの反映でもあると思います。

さて、前回の大桑さんのポストからは、パレスチナの人々はグロスマンが本を書いた時点(最後の部分の2年前)から、ずいぶん変わったのではないか、という意見が書かれていました。それが状況を改善できない自分たちの政府への不満から起きていることだったとしても、少なくとも生活レベルでは、イスラエルへの対立感情が弱まっているのではないか、という見方だったと思います。

今日、アラファト氏が亡くなったという正式のニュースが流れました。パレスチナの人々は自分たちの行く末を心配しているのか、それともホッとしているのでしょうか。アラファト後のパレスチナは和平の方向に動いていきやすい状態になっていくのでしょうか。

このページに設けた専用メールアドレスに、イランに留学生として住んでいる清水さんから投稿をいただきました。いただいたのは9月中旬のことで、掲載が大変遅れましたが、今回やっとご紹介することができます。

清水さんのメールを読んで印象的だったのは、イスラムは基本的には旅の宗教であり、ムスリムたちは土地への執着が少ない人々ではないか、という視点でした。(土地への執着については、わたしと大桑さんの間でも、最初のころに随分議論された問題でした。)そういうムスリムたちが、なぜパレスチナにおいては、民族国家の設立にこだわるのか、その原因はどこからくるものなのか、そのように考えておられるようでした。

清水さんは、メールの中で、イランという同じムスリムの世界に住んでいるとはいえ、イランの人々はアラブの人々とは異なるメンタリティーを持っていること、パレスチナで起きている戦闘状態はテレビで見ているけれど、やはりイランとイスラエル/パレスチナでは、どこか遠い出来事として受けとめていること、などの注釈を加えています。

以下に清水さんの了承を得て、投稿のテキストを転載しますので、お読みください。(大黒)

 ずっと以前から気にかかり、しかし目の前にある忙しさに取り紛れ、調べることをしていなかった問題に、大桑さんのブログに接したことでもう一度目を向けることができました。そして、「グロスマンを読みながら」を興味深く読ませていただきました。

なぜ、アラブ人がパレスチナに執着しなくてはいけないのか、平和的な共存は可能なのかという問題は、中東に関わるようになった大学生の頃からずっと頭の片隅にこびりついていました。

私は現在イランに留学生として住み、暮らしています。

以前から不思議に思っていたこと、そして私の個人的な印象と疑問についてお話しさせてください。

イスラームがジハード=神の道において戦うことがムスリムの義務であるとしているために、ムスリムが住み着いた土地をイスラーム化する傾向にあったことはその通りだと思います。

私はイランで、13世紀にイスラーム世界を広く旅して回った一人の神秘主義者が残した作品を元に、イラン人の倫理観について分析しています。

この研究を通して、また実際にイランという国に住んでみて思うのは、イスラームは基本的に旅の宗教なのではないかということです。

古典文献に出てくるムスリム(アラブ非アラブを問わず)たちも、また現代のイランに住むムスリムたちも、実に気軽に他の土地へ移住し、あるいは長期の旅に出て行きます。こうした文献と実際のイラン人を見ていると、土地に対する執着はムスリムにとって本来、非常に薄いものなのではないかと思われてなりません。もちろんこれは、都市部の住人にとっての話で、土地に縛られる農民はまた別なものかもしれませんが。

彼らの書くものから、あるいは今を生きるイラン人からは、自分の故郷は故郷として愛しているが、そこは何が何でも帰らなくてはならない土地ではない。帰りたくなったら帰るし、それができなければそれはそれで仕方がない。そういう考え方が随所に見られるのです。滞在した先でもムスリムであり続ければ良いだけ。

十字軍の当時、エルサレムをその手にしていたアラブ人たちが、なぜキリスト教徒が攻めてくるのか理解できずにいたことも、文献の中からは読み取れます。

彼らは書いています。「巡礼に来たいなら来ればいいじゃないか。どうしてエルサレムがキリスト教徒だけのものでなければないのだ?どうしてムスリムを閉め出さなければならないのだ?」

マジョリティーとしての傲慢さと、イスラームがそう規定しているということから、同じ町に住むキリスト教徒やユダヤ教徒に対してさほど親切ではなかったであろうことは、文献からも、そして実際にイスラーム世界に住んでいて容易に想像できます。しかし、基本的に、彼らが一緒に住むことは、あるいは国境を接して住むことはイスラームの教義の上からは何の障害もないはずです。

こうした文献上、イスラーム教義の上からの理解と、本来ムスリムが持っている性質を考えると、今、イスラエルあるいはパレスチナの地で起こっていることに理解しがたい部分を感じるのです。

ユダヤ人とユダヤ教徒の歴史や思想については初歩的なことしか知りませんので、ここでは触れませんが、イスラエルが出してきた妥協案を振り払ってまで、なぜアラブ人がそこまで一片でも多くの土地をイスラエルからせしめなくてはならないのか、私には理解しがたいのです。

現在難民となっている人々の多くは、出稼ぎ労働者としてやってきた人々であることはご指摘の通りです。農民ではない彼らには、経済的理由を除けば、土地に執着する理由はないように感じるのです。彼らは本来、そこに住む権利と働く権利、信仰の自由を保障されれば、統治者がどの民族でありどのような宗教を持っているかはそれほど重視しないはずでもあります。もちろんムスリムであれば最も良いのですが。

イスラームが本来持っていた自由な気風をゆがめてしまったナショナリズム、あるいは原理主義に名を借りたイスラーム至上主義を恨めしく思わずにはいられません。

それほど豊富ではない体験と文献からの印象記のようになってしまい申し訳ありません。

しかし、なぜ、彼らが「民族国家」の設立にこだわらなければならないのか、その概念を植え付けたのがいったい何ものなのか世界全体が考えてみなければならない問題であるように思うのです。これはパレスチナを超えて、世界各地で起こっている紛争を考えてみることでもあると思います。

お聞きしてみたいことは次の点です。

現在のイスラエルでは、大きく右派と左派の間で対アラブ政策に対する見解が大きく違っているということですが、この右派と左派の間での歩み寄りは可能なのでしょうか?

首相暗殺という手段に出てしまうくらい両派の溝は深いように見えるのですが、もし、万が一にでもアラブ側が妥協をしてきた場合、イスラエル国内の意見をまとめることはできるのでしょうか?

現在の状況ではアラブ側が妥協してくるとは思えないのですが、是非この点をお聞きしたいのです。

ここからは全く、私と友人の個人的な話です。

私には宗教的に、非常にまじめな友人が何人もいます。彼らに聞いてみたことがあります。「現在イスラエルで起こっていることをどう思うか」と。

彼らのほとんどは、ばかばかしいの一言に尽きると言っています。

彼らはイラン人ですので、アラブのやっていることに対して批判的ということもありますし、アラブがエルサレムを手に入れたところで、自分たちが自由に巡礼できるようになると思っていません。(メッカへの巡礼を見れば明らかです)

彼らの一人が私に言いました。

「預言者は、聖戦に参加するには両親の許可が必要だと言っているのよ。まず父親が賛成しなくてはいけない。父親が亡くなっているのなら母親が賛成しなくてはいけない。こう言っているわ」

「でも、周囲の状況で賛成せざるを得ないんじゃないの?」

「それは確かだと思う。でも、誰かがそれを教えなきゃいけないんじゃないかしら。今、彼らに必要なのは、武器じゃなくて教育だと思うのよ。イラン政府はパレスチナに武器やお金を援助したと宣伝しているけど、そんなことでこの状態が終わるわけがないってことは私たち自身が体験しているわ」

「イラクとの戦争のこと?」

「そうよ、あの戦争末期、子供たちが民兵として戦争に行って、イラクの戦車に自爆攻撃を仕掛けたりしたわ。でも、そんなことで戦争なんて終わらなかった。ホメイニー師が決断をすることで終えることができたのよ(※)。彼は国民がうんざりしていることや、国自体がもう限界に来ていることを分かってそうしたんだと思うの。アラファトでも誰でも、ホメイニー師を見習うべきだわ」

理想論にすぎず、優等生的な意見かもしれません。しかし、誰かがパレスチナの指導者たちに「苦杯を飲む」決断をするよう勧めるべきだという彼女の言葉に、私は納得しました。

(※)戦争末期、現在のイラク国内に占領地を持ち、多少なりとも有利な条件を持っていたにもかかわらず、国際社会の調停を受け入れ、占領地を全て手放し、戦争を終えることに同意した。その際に「苦杯を飲む決断をした」と述べている。

つたなく、長い文章になってしまい申し訳ありません。

しかし、毎日のように、パレスチナの殺し合いの映像を見ていると、いらいらと心の片隅が落ち着かないのです。

戦闘が終わったところでそれは終わりではなく、始まりにすぎないのだと思います。それでも、始まりに至るため、イスラームにおける数少ない「妥協」が行われるよう願ってやみません。

イスラーム倫理を研究する者として、イスラーム原理主義者たちの唱えるイスラームが、預言者の唱えたイスラームだとは思えないのです。

お二人の対話がこれからどのように発展するのか、楽しみにしております。

清水直美