土曜日, 8月 27, 2005

メディアと対話と和平と -ガザ撤退にあたって- (O)

日本ではもうお盆も過ぎて、夏の終わりが近づきつつあるのでしょうか。イスラエルはまだまだ夏真っ盛り、11月の末まで雨粒の一滴も空からは落ちてこない、長い長い夏です。

さて、ここしばらくはヨーロッパへと話が流れてゆきましたが、ここらでちょっと方向をイスラエルへともどして見ましょう。イスラエルでは、先週からのガザ地区撤退でごったがえしていましたが、ユダヤの住民とIDF(イスラエル国防軍)の両方があの土地から撤退するという話は、遠い日本でも様々なメディアを通して耳にすることもあったのではないでしょうか。そのお陰で私の頭と心はかなり憔悴しました。私の憔悴の理由のひとつは、今回のことを通して改めて感じた「いかに人というものは都合の良いものか」ということで、そこにはメディアという避けがたいものがありました。

インターネット上の数々のウェブで、そして本屋の棚にも、イスラエルとパレスチナ問題に限らず、真実と題されてはいるものの、どう見ても自分たちに都合の良いように書かれたものが恥ずかしげもなく並んでいる。しかも、それなりに名の知れたジャーナリストと称した方ですら、言ってしまえばまるで偏ったゴシップ並みの記事を、それらしく発表されている。そういうものを書く側もそれを出版または報道する側も、自分の名を上げたり何かの利益に繋がればそれでよいということなのでしょうか。個人の求める様々な情報が、インターネットなどで簡単に手に入る時代といえば、一見とても豊かな時代のように聞こえますが、実際はなんだかとても混乱しやすい難しい時代になったように思います。一昔前まではオブジェクティヴだったメディアがサブジェクティヴとなったご都合主義の情報のあふれる現代では、情報を与える側にはもう期待は出来ず、情報を与えられるこちら側の目を養うしかないなのでしょうか。出版に携わっていらっしゃる大黒さんは、そのあたりの裏の世界はよくご存知でしょうし、そういうメディアのプロパガンダにある程度免疫のある私でも、このような状態を目の当たりにすればするほど、がっくりと気が萎えてしまうのです。

イスラエルとパレスチナの問題では、日本を含めた世界中で、メディアと政治の思惑によってイスラエルという国や入植地と呼ばれるものは、イスラエルがパレスチナから奪い取り占領している土地なのだから、当然パレスチナの人々に返還するべきだと謳われます。そして例に漏れず、イスラエル国内のメディアも、自分たちに都合よく振舞います。1970年ごろでは、イスラエル政府は国民にガザの入植地への居住を勧め、それにあたり様々な面でのサポートを行いました。当時、それに賛成していた左派のメディアは、それから1993年のオスロ合意までの20年間以上に渡り、入植地の住民をまるで国のヒーローのように扱いました。しかしオスロ合意が失敗に終わると、左派のメディアは入植地は政府の提案だったことすらをあやふやにし、入植者をまるで和平の障害物のように書き立て、その思惑通りに国民の多くは入植者たちを非難します。このようにこの土地ですら、メディアによって事実を見極める目を人々は失い、混乱しているのですから、それらを情報源とする日本のメディアやジャーナリストと称する人たちの発信する情報は、さらに偏ったものとなって日本の人々に伝わるのは、ある意味どうしようもないのかもしれません。

日本などでも見られるイスラエルとパレスチナに対する多くの意見では、1948年のイスラエル建国以前のことは一言も触れません。その理由が何であれ自分たちには都合が悪いので、1948年以降だけを拾い集めて事実として、この土地はイスラエルがパレスチナから奪った土地だとします。そこにイスラエルは悪者で、パレスチナはかわいそうという白黒のイメージが出来上がってゆきます。それをニュースで見たり何かで読んだ人々は、それ以外の異なった意見を聞く機会が少なければ、盲目的またはほぼ自動的に「なるほど」とそう思い込みます。この土地に住むすべてのパレスチナの人々は、占領者イスラエルの圧力に日々苦しめられ追い詰められた状態の、かわいそうな難民なのだろうと。覆面をして銃を取りマーチングし、まだ何もわからない小さな子供たちにも、侵入者イスラエルを憎めと銃を持たせ、ジバクするのがすばらしいと教えることは、もっとも理解できることだと涙を浮かべます。同じように、先週に撤退をはじめたガザの入植地についても、あの土地はもともとイスラエルがパレスチナの人々を追い出した奪った土地なのだから、パレスチナの人々に返還するのが当然だとも思い込んでしまいます。しかし、それほどこの土地の現実は、短絡的なことではないのではないでしょうか。

もし仮に、パレスチナについてのこのような日本の意見が現実ならば、エルサレムの近辺のパレスチナ自治区内の町に住む、難民でもなく武器も取らない多くのパレスチナの人たちは、暑さでボケた私が見る砂漠の中の幻想なのでしょうか。また、イスラエルによって圧迫されているとされる、追い詰められたパレスチナの人々が、小さな子供たちと共に武器を取ることやジバクはすばらしいと教えることへの賛成が、イスラエルとパレスチナのふたつの民族の和平と共存にはつながらないと思うのはおかしなことなのでしょうか。それよりも、パレスチナ自治区に住む人々がこれまで以上に保障された生活を送れるように、ヨーロッパや日本からの巨額の寄付金が、するりと当たり前のように政治家のポケットへと消えてゆく自治区政府を建て直すことのほうが、遥かに意味のあることなのではないかと思う私がおかしいのでしょうか。プロパガンダをそのまま思い込んでいる人たちと、そうではないのでは?と思っている同じ日本の人との間でさえ対話は果たして可能なのか、そんなことを思いました。

ガザ撤退にあたり、日本では未だにプロパガンダにうまく乗せられたパレスチナに同情する意見が大多数なのだと思い知らされて、ちょうど一年ほど前にこのブログで書いた「パレスチナ問題の発端」「それぞれの思惑」、そこからの私と大黒さんの一年はまったく無駄だったのかと、またまたここでがっくーんと落ち込んでしまったわけです。もちろん、大黒さんと私がインターネットとメディアの大海の片隅でちょこちょこと、でもがんばって、意見を述べ合ったところでどうだというのだ、と言われればそれまでなのですが・・・。

さて、以前には左派と右派のメディアの特色がはっきりと分かれていた、イスラエル国内のメディアを追ってみました。今回のガザ撤退と共に、左派のメディアはイスラエル社会の価値を探すことに、フォーカスを当てているように思います。そこでまたまたグロスマンの登場となりました。現在のイスラエル社会は傷つき、国民はしばらくの間は喪に服すべきであるとメディアで語りはじめた第一人者のグロスマンと、左派のその他の作家たちは、左派のスポークスマンとして、今回のガザの入植者たちと右派の負けを祝う必要があるようです。しかし、そこで他の左派の作家とグロスマンが異なるのは、8月15日の「The Jerusalem Post」に彼が投稿した文中(このポストの一番下にあります)に見られるように、グロスマンは入植者たちについて、一言すらも理解を示してはいないことです。グロスマンはイスラエルの世俗社会と共に、家を追い出される同じユダヤの入植者たちに対して同情するでもなく、“頭のよい”入植者たちは、ユダヤの人々が祖国を持てなかったことや、その離散の歴史を都合よく使う、イスラエル社会のパラサイトであると冷たく非難しています。これまでのユダヤの人々の歴史では、常に彼らは他民族の政府によって住んでいた土地を追い出されて来ましたが、今回のガザ撤退ではユダヤが同じユダヤを追い出すという、ユダヤの歴史上初めて起きたことであり、そして自国の政府によってその自国民を自国の軍隊を用いて撤去させるという、世界史上でも初めての出来事について、他の左派の作家たちとは異なりグロスマンは明確な意見を述べていません。

グロスマンは、入植者たちを政治と和平プロセスの邪魔者としてではなく、「人」として扱うように、そしてこれまで数十年に渡って作り上げてきたイスラエル社会の傷つき-これから入植者たちが引きづりながら生きてゆくであろう壊れされた夢と、グシュカ・ティフなどの入植地を作り上げた危険性、そしてそのような状況に陥ったこと、同じユダヤ人同士が対立してしまったことなど-に対して喪に服すようにとイスラエル国民に伝えました。そして、すべてのイスラエルの国民のひとりひとりが、デモクラシーとして、入植地を撤去する責任を担い喪に服すべきだと。それがイスラエルがこれからもひとつになって生き残る方法なのだと。

このグロスマンの意見は、一見すばらしいとも思えますが、これを深く掘り下げていくと、実はこの意見はとても混乱したものだということが見えてきます。まさに方向を失い、混乱したイスラエル社会そのものを反映しているように。グロスマンは「イスラエル社会の深刻な疾患」と文中で繰り返しますが、それが一体何かは明確にしていません。しかし、他の左派の作家(またはジャーナリスト)たちは、そのことについてはっきりと考えを述べています。例えば左派の作家の中でも著名なアリ・シャヴィットは、グロスマンと同じように、入植地の撤去については賛成ですが、入植地の建設はパレスチナに対してフェアではなく、イスラエル史上でもっとも間違った行動だったと指摘します。しかしガザの入植地撤退が完了し、それが入植者と兵士たちの双方に、そしてイスラエル社会と人々に一体どのような傷と影響を与えたのかは、誰にもわかないと、イスラエルの世俗社会の入植者たちに対する冷たく蔑むような扱いには彼は同意していません。そして、さらにシャビットは、自国民である入植者の危機の時に対して、何の同情や少しの慰めをも示さなかったグロスマンなどのイスラエルの知的エリート層の人々を非難し、イスラエル社会は入植者たちから何かを学ぶべきだといいます。イスラエル社会で失われてしまったコミュニティー、または自治体としての絆、友情、目標や理想、努力など、日本でもおそらく失われてしまったものたち。グロスマンの言葉を借りるならば、これがイスラエル社会の深刻な疾患ではないかと思います。

そして、何よりも今回のガザの撤退が露にした事は、イスラエルという国は、異なる二つのグループの祖国だということではないでしょうか。左派と右派、または世俗と宗教社会というふたつの相容れないグループのギャップは深く、まるで異なる二つの民族のようにさえ映ります。そして、これが現在のイスラエルという国の本当の悲劇ではないのかとさえ思えてしまいます。イスラエルのメディアを徘徊してみて、もうひとつ決定的なことに気がつきました。政治家やグロスマンなどの和平を唱える人たちは「なぜ将来建国されるであろうパレスチナという国に、ひとりとしてユダヤの人は住むことが許されないのか」という問いについては、まったく触れていないのです。ガザの入植者たちは、ガザの家に残れるのならば、そこがもはやイスラエルでないのならばパレスチナの住民となってもよいとまで表明しました。しかし、パレスチナ政府はこれを拒否しました。もし、本当にふたつの国の実現と和平を現実にするつもりがあるのであれば、なぜパレスチナには一つの民族しか住んではいけないのか、EUのように多国籍に多文化が謳われる時代になったにもかかわらず、本当にこの土地の和平をみな願っているのだろうかと問わずにはいられません。現在、この地球上には約200近い国が存在しますが、そのどの国を取っても単一民族の国は見当たりませんが、将来のパレスチナという国だけはそうなるということです。今、こうしている間にも、この土地ではまた、イスラエルとパレスチナの双方に新たな死者が増えました。もう一度聞き返さずにはいられません。人々は、そして世界は、この土地についてのどのような和平をめざして対話しているのでしょうか。 (大桑)



以下は8月15日のイスラエルの英字新聞「The Jerusalem Post」のグロスマンの記事です。


「Something to mourn By David Grossman Last Update: 15/08/2005 14:21

For decades, the settlers have excelled at finding the weak points and illnesses within Israeli society and exploiting them to their own advantage. With a keen intuition, they operated in the gray areas of the Jewish-Israeli soul, in the places where fears, past nightmares, the urge for revenge and hopes for redemption are intertwined. They succumbed to the temptation - usually suppressed - of being drunk with power after thousands of years as a humiliated people. They indulged the human desire to bend rational considerations and the demands of reality to the unyielding concepts of messianic religious faith. Above all, they shined at exploiting the deep wound of the Jewish experience - that of the sacrificial victim - and convinced many into believing that sacrifice itself justified any action or injustice.

The lawless struggle being waged by West Bank settler activists against the disengagement plan, and their dismissive attitude toward what is dear to the majority of Israelis undoubtedly makes it more difficult to respond to the evacuation itself, to the violent uprooting, and sometimes obstructs the natural tendency simply to identify with the pain of those who are being uprooted.

Perhaps this is also because the settlers have often turned themselves into a kind of monolithic, impersonal body. They do not even hesitate to use their children as accessories to their protests and provocations. Nevertheless, supporters of the withdrawal and all those who for years have struggled against the settlers would be erring if they were to deny the human and ideological complexity of their political rivals in their most difficult hour and treat them like political and religious arguments rather than human beings. That would only aggravate the serious illness of Israeli society, the overwhelming and mutual dehumanization process that is the necessary precondition for any confrontation - and, God forbid, for war.

We should all take a deep breath right now and remind ourselves that, in the final analysis, the days to come are days of mourning for all Israelis. Mourning for the personal and ideological pain of the settlers whose dreams have been shattered; mourning for the fact that Israel was drawn into such a dangerous and unrealistic adventure like the creation of Gush Katif; mourning for the fact that the state brought itself to the place where it was forced to do such a violent, warlike and brutal thing to thousands of its citizens; mourning for the abyss that is being created inside our home, and for the disaster that could befall us very soon; mourning for the situation in which we are trapped, Jew against Jew with a foreign, naked hostility that stands in complete, existential contradiction to our own interests.

Both "blue" and "orange" Israelis can mourn today for the passion, the pioneering spirit, the purposefulness that for years pulsed through Gush Katif and which will soon dissipate like smoke, and for the fabric of life there that will be shredded come tomorrow. Mourn, too, for the enormous energy that could have achieved so much had it been directed toward reality and not illusion; for the evacuees whose lives have been changed forever and who will probably always bear the scars of what will be done to them tomorrow; for the men and women and children who gave their lives for their faith - or for their naivete; and for the hundreds of soldiers who were killed defending the hopeless settlement enterprise. We should all mourn bitterly for the terrible human and material cost to the entire nation.

At the end of the day, the uprooting of the settlements and the people is an act in which all Israeli citizens have a role and responsibility, whatever their beliefs. Anyone who is part of the democratic system that made this decision is a signatory to it. Perhaps the most humanitarian and ethical way for any Israeli to participate is to expose himself to these feelings of mourning, to attempt to confront them in all their unbearable contradictions. Maybe that is the way to enable us to continue together in this painful and irreversible process, to heal some of the wounds and to save ourselves from the landslide whose boulders are perched just above our heads.」