水曜日, 10月 22, 2008

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより

先月の9月に読者さんのNaojiさんというDJをされている方から届いた手紙です。TBSで放送されたイスラエルとパレスチナの関係を取り上げた番組を観られての疑問です。Naojiさんと同じように何らかの疑問をもたれた方が他にもいらっしゃるかもしれないし、そうではないかもしれない。

以下、Naojiさんの質問と大桑の返答です。


Naojiさん始めましてこんばんは。
福嶋直次といいます。

コメントなどはしたことが無いのですが
以前から大桑さんのBlogを読ませていただいております。
僕は自分自身を怪しいものでは無いと思いたいのですが
確固たる自信がありませんのでその判断は大桑さんにゆだねます。
身元不明も不安材料になるかもですので
始めに僕のこと紹介しておきます。
下記のリンクが私が管理しているプライベートスペースです。
http://djnaoji.ddo.jp/
http://us.myspace.com/djnaoji

ここから本題に入らせていただきます。
先日私は日本のTBSのNews23を見ていたのですが
その番組内でイスラエルとパレスチナの関係について
20分ほどの放送がされました。
私にとってその番組はパレスチナサイドからの視点に感じられたのですが
実際に過去イスラエルで過ごされていた方は
どのように感じられるのか知りたいと思いメールしてみました。


→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらからその番組が観られるようにと
Naojiさんが設定してくださったのですが、
残念ながらこちらからは観られなかったため、
イスラエルとパレスチナの問題を扱った報道の裏側について少々。

わたしをはじめ在イスラエルの邦人は、
各々様々な理由でイスラエルに住んでいるわけですから、
イスラエルという国に対する思いも様々だと思いますが、
こういった報道に対する意見の多くは
「現状とはかなりちがうのでは」というものです。
例えば、以前にも他のブログなどでも書いたのですが、
よくニュースなどで映し出される
パレスチナの少年たちが
イスラエル軍に向かって投石する姿すらも、
報道カメラマンたちがずらりと待ち構えるところで
指示に従って少年たちが「ハイ、いっせーのーで!」
遠くに向かって石を投げ、
向こう側はIDF(イスラエル軍)の兵士がいるように
あとで編集する。
それが事実として報道される。
そこには報道側とアラブ諸国やパレスチナとの
なんらかの利害関係があるのかもれません。
もちろんこういう作られたものがすべてではないですし、
実際に目に当たりでもすれば失明しかねるほど思いきり
IDFの兵士目がけて投石している場合もあります。

また、ラマッラというパレスチナ自治区の街では、
テレビで見る悲惨な土地とは思えないほど裕福で、
豪邸が建ち並んでいる一郭に
瓦礫の山の場面用の場所が作られている。
そんなこともあります。
この土地に関する報道の何をどこまで信じていいのか、
まずそこに疑問が起きますね。

Naojiさん報道されていることは真実の一面であるとは思っているので
それらが完全な嘘だとは思えないのですが
国などの争いの場合お互いの主張で争いの理由が
複雑な場合が多いと思います。
しかしながら僕にはそのNews23の報道がイスラエルが
酷いことをしていると報道しているように感じるのです。
実際にイスラエルがワンサイドで殺害などをしているのでしょうか?
パレスチナの人々はいわれのない虐待を受けているのですか?
その報道では60年前にフォーカスが当てられているようなのですが
それらの問題は60年前以前については重要視されないのでしょうか。。。
僕個人はTV Newsがディレクターの一思想を
民衆に一方向的に押し付けるものではないと信じたいので
大桑さんに感想を聞かせていただけたらと思いました。
図図しいですね。僕、、、


→大桑:いえいえ、本当に図々しい人は
自分で図々しいとはいいませんから大丈夫です(笑)。

世界の視線を集めたいパレスチナ側は
イスラエルによる虐待などを
まったくの事実だと主張するでしょうし、
国家としてのイスラエルはそれは事実ではないと言うでしょう。
だけどもしかしたら、
イスラエルの左派はパレスチナ側と同じく
それは事実だと言うかもしれません。
どこまでなにが本当なのかは
外からでは非常にわかりにくいのも事実です。
どちら寄りのメディアが伝えるのかによって
まったく事実ではないことが
まるで事実かのように伝わることはよくあります。

わたしはIDF(イスラエル軍)の行動の
すべてが正しいとは言いません。
正直言ってなんてバカなことをしてと
呆れることも多々ありますし、
イスラエルに対して「もっとかしこくなれ」と言いたい時も
たくさんあります。
ですが、とどのつまり「軍」というもの、
アメリカにしても国連にしても、
かつての日本軍にしても、
かなり身勝手でバカなことをするものだと。
ですが、イスラエル側による自治区の民間人を殺害せよという
指令はないと思っています。
軍を退職した友人などからもそういったことは
聞いたことはありませんし、
現役で兵役に就いている20代の男の子に聞いても
そんなことはないと言います。
ですが、人生経験の少ない若い兵士たちの行動は未熟で、
間違いも多いでしょう。
(沖縄で起こる様々な事件をみてもお分かりだと思います)
戦闘中に民間人を巻き込んでしまうこと、
思い違いはあるでしょう。
敵の主要人物を暗殺する、
その時に民間人が巻き添えになったりする、
戦争や紛争とはそういうものだと思います。


虐待について。
番組を観ていないので
何をどう虐待と言っているのかわかりませんが、
例えばガザ地区などのゲート封鎖による物資断絶、
仕事の激減などによって起きる
自治区の生活苦などの問題ですが、
これをイスラエル側による虐待と非難するのか、
それとも自治区が独立して経済を立て直してゆけるように
サポートするのか、そのどちらが大切なのかと。
イスラエル非難ではなく、
どうしたらそんな自治区が独立してゆけるのか、
そういった視点で語られなければいけないのではと。
そしてこういった封鎖が起きるには、
その前にハマスなど自治区側による
イスラエルに対する攻撃やテロがあるということ、
そのリアクションであるということ、
しかしそれらはニュースにもならなかったり、
語られないことも多いということ。
そして、もう一つ踏み込んで言えば、
なぜ他のアラブ諸国は
それほど酷いという自治区の立て直しをサポートしないのか、
なぜ彼らは同じ宗教を持つ者として、
せめてムスリムのパレスチナ人の受け入れをしないのか
(パレスチナ人にはキリスト教徒もいます)。
そのことはなぜ誰も指摘しないのか。
(このブログでは過去にそれについて触れていますが)


60年前以前について。
イスラエル建国前後のこの60年以前を持ち出すと
一方的にイスラエルを非難するのに都合が悪くなるわけで、
それでたいていは無視されています。
もし誰かがこのイスラエルとパレスチナの問題について語るとき、
私個人としてはそこをきっちりと見直す必要があると
思っています。
この対話ブログでも
で、60年前よりもっと前の、
この土地の歴史について書いていますので、
ご興味があればぜひ読んでみてください。
いかにねじ曲げられたかということが少しは見えて来ると思います。

Naojiさんただ不思議なのがTV Newsなどで頻繁に言論について
責任を持つべきであると言っているTV局関係者が
自分たちが世界に向けて発信しているNews発言について
その議題の番組を再確認しながら討論する機会を
民に与えていないのが理解できないところがあります。
(有料ならば可能なのでしょうが、
多くの民衆は映像使用料金や制作費を作ることが出来ないでしょう。)


→大桑:そうですね、
本当に解決に向けてのための報道であれば
一方的な視点でなく、
様々な角度や過去の時代からの視点も含めるべきではないかと。

ですが、中東問題についての報道は複雑ですね。
イスラームの石油大国のスポンサーや
その他様々な利害関係がバックにあるなど、
外国の大手、BBCやCNNにしても
「真実を伝えるための報道」ではないと思っています。
TBSのくわしい立ち位置はわかりませんが、
日本の報道の90%もしくはそれ以上が親パレスチナの視点、
「かわいそうなパレスチナとイスラエルの悪事」
にスポットにあてての報道でしょうね。
そのほうが視聴率も上がるし、
番組のコンセプトとしてはおもしろいのかもしれません。
そういった報道の意味とゴールがわかりませんし、
わたしからすれば、パレスチナ自治区のあり方の問題定義をして、
そこからの改善をしていく時期だと思っています。
いくらイスラエルを非難しパレスチナの
お涙ちょうだい物語を語っても
堂々巡りなだけではないでしょうか。
パレスチナ自治区を立て直すことを目的として
自治区の一部の市民の悲惨な状況を世界に知らせるのであれば、
それはそれでよいと思いますが。

Naojiさん極端に言うと
放送が終わったらその映像について知りませんのようなのは
なんとなく私にとって不可解なのです。
そのような勝手な理由でメールいたしましてすみません。
怪しいものかどうか判断してご対処ください。
それでは宜しくお願いいたします。
長文失礼いたしました。
ふぅ疲れた。。。僕は何をしているのでしょう。。。
すみません。
Naojiより


→大桑:テレビ局の報道も以前のように
真実を伝えるための物ではなくなりつつありますし、
責任ある報道は少ないのではないでしょうか。
報道だけに限らず、視聴率をあげるために
おもしろおかしく構成される番組も少なくはないでしょうね。
いま自分たちはそういう時代に生きているわけですから、
その番組を観られて、それをそのまま鵜呑みにされず、
こうして疑問を持っていただけるのはよいと思います。
ただ、Naojiさんのように疑問を抱いても、
それを解いてゆく手だてがあまりにも限られているため、
どうしようもないことも多いのかもしれません。

どうもありがとうございました。

(大桑)

大黒さんへの返信 (O)

6月30日の大黒さんのポストを読んでいくと「たくさんの宿題を出された夏休み」そんな気分です。

さて、まずは個人的なわたしの気持ちの変化について少々。今年の冬の終りにエルサレムを出てから半年以上過ぎたわけですが、予想どおり、これまでの「生活の場としてのイスラエル」で見失っていたものが見え始めた、大げさにいえば汚れを取り除いてきれいになった石みたいなものでしょうか。今こうしてイスラエルとの距離を少し置くことによって、イスラエルのよい面がふたたび光りはじめて来ました。そしてイスラエル人でもアメリカ人でもないちがうタイプのユダヤの人たちや、そういったユダヤのコミュニティーを知ること、それによってさらにグローバルでダイナミックなユダヤ世界とその他の世界の関わりが見えて来るのでは、そんなことを思っています。

ザグレブに来てからここしばらく、わたしはクロアチアの一政党の党首でもある友人の話しから考えさせられることが多く、「過去の歴史を忘れ、互いを尊重しあい、そこから共存が生まれる」とその彼は言います。たしかにそうだと思います。わたしもこのブログで似たようなことをイスラエルとパレスチナの解決策として言って来たと思います。世界が、いかにイスラエルがくだらない悪事をし続けているかを声を大にして非難し続ける結果は解決には結びつかないでしょう。それよりもさらに憎しみが生まれると。しかし過去を謝罪し互いを認めあう、これは現実として可能なのか。人はなかなかそう簡単に自分や家族に対して行われたことは忘れませんし、墓場まで持って行ってもまだ足りない。子や孫、子孫にその憎しみを受け継がせる。身近なところでは日本と韓国と中国の関係、国内では部落問題、在日韓国人や中国人への差別など、過去に基づいたそれを双方が引きずっての今ではないでしょうか。

クロアチアのユダヤ人たちをみていても、彼らはまだゲットーに住んでいる、時々そんな気がします。ファシスト思想のウスタシェ(一般的に英語や日本語ではウスタシャですが、クロアチア現地の言葉ではウスタシェが組織の総称。ウスタシャは単数個人を指す)の色濃いクロアチアで、戦後60年以上たってもユダヤ人はホロコーストを忘れず、ホロコーストをテーマにした学会や展示会、家族を自民族を虐殺された記憶はいまだに薄れることなく語り継がれます。それまで存在していたユダヤ社会と文化、家族を失った側とすればそれは当然のことなのかもしれませんが。また、90年はじめにユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの人たちの隣国セルビアの人たちへの排除の念もいまだに沈下することなく燻り続けています。きっかけさえあれば、また同じことがくり返すされるでしょうね。自己の利益やエゴ、憎しみ、痛み、それらを乗り越えてまで本気でその紛争を終えようとしている人たちはいるのか。以前、戦争のない世界は来ると思うかと尋ねられたことがありましたが、来ないでしょうというのがかなり楽観的な人間であるわたしの答えでした。くり返される人の歴史からも隣近所のいざこざからも、それははっきりしています。文明は進化しても人は進化しない。

さて、今回の投稿はすでにあれこれ詰め込み過ぎですが、前回大黒さんが書かれた「イスラエル/パレスチナ問題についてのリベラルな発言」と「アメリカと日本のイスラエル/パレスチナ問題の受け止め方のちがい」について。もしかしたらわたしが呆れ顔かと言われますが、そんなことはないですよ。誰にでも「ピン!」とくる話しとタイミングがあると思いますから。大黒さんが聞かれたオバマ氏のスピーチは聞いていませんが、ニュースの記事には目を通しました。イスラエルではアメリカの政治家のイスラエルに対しての発言がテレビで放送されることがあったり、イスラエルの英字新聞 Jerusalem Post ではそれらの発言がよく取り上げられていて、大黒さんが驚かれたという彼らの視点はそれほど珍しくもなく耳にします。それよりも、そういったアメリカの発言が新鮮であるということが、わたしにとっては新鮮で興味深かったです。

「日本のリベラルな発言」というもの一般について、実はわたしはそれがどういうものなのかよくわかりません。大江氏のサイードに対する理解も「ピン!」とこず、リベラルと言われる報道やジャーナリズムも偏りが目につくだけで「これだ!」と思うものに出会ったことがない。2000年あたりのイスラエルとパレスチナのきな臭い頃、同じ事件をいくつかの新聞で読み比べても、朝日新聞は意図的なフィルターがかかり過ぎていてとにかく在イスラエルの邦人の間では不評でしたし、客観的で中立とも言えそうなのは読売、それよりもさらに事件の詳細のみを伝えるのに徹底しているロイター、そんなところでした。イスラエルに住む者からすれば、日本は他人の火事を横で冷やかし楽しんでいるような、どこかの夫婦げんかにわざわざ首を突っ込み感情的にそのどちらかだけに加担しているような、そんな気がします。もし日本にもユダヤの人が多く住んでいたり政治家にいたりすると現状とはまたちがった報道や意見が出るのでしょうけど。少し前にひとりの読者から日本の報道に対し疑問を感じられるという手紙をいただきました。まさに大黒さんとのこの対話の意図するところの一つだと思うので、わたしの返答と供にまたのちほどこちらに掲載しますね。

そして、一方では賞賛され、もう一方では歴史をねつ造しているとんでもない嘘つきであるとすら言われることもあるサイード。彼が日本でそれほど賞賛されている間は、このイスラエルとパレスチナの問題を理解することは無理ではないかとも思えます。誰が誰を賞賛してもかまいませんが、そこからどう真の和平に繋がるのか、そこから生まれるものは何なのか。これから大黒さんとサイードの本を読んでいくうちに、もっとなにか具体的にそういうことが見えてくればおもしろいと思います(この対話をはじめてからサイードの本を実は一冊読みました。今手元にないのでどの本だったか題名は忘れましたが、自伝のような一冊でした)。

大黒さんはサイードとグロスマンはちがった立場だと言われますが、わたしからするとサイードもグロスマンも同じサイドの人間だといっても過言ではないと。というのは、グロスマンはイスラエルの左派、しかも極右という言葉に対しての極左、つまりパレスチナ側にかなり近い意見の持ち主であるといってもいいかもしれません。2年前にグロスマンの息子さんがレバノンで戦死した後、果たしてグロスマンはそこからどう変わるのか、そこに興味がありましたが、テル・アヴィヴで(だったと思いますが)行われた息子さんの追悼スピーチではむしろさらに反イスラエル、イスラエル否定の思いが強まったように映りました。今年はイスラエル建国60周年ということで、わたしもそれにちょっとだけ参加させていただきました。いま生活しているクロアチアの首都ザグレブでイスラエルの写真展「No Concept 60」を5月〜10月まで行いました。しかし主催側の左派のユダヤ人女性とのイスラエル建国と現在に対する意見の違いから、写真の選択は主催側に任せたのですが、左派の反イスラエルの主張は理解に苦しみます。グロスマンの時にも思ったように、その時も今後イスラエル国内の分裂はさらに拍車がかかるだろうなと思わずにはいられなかった。長くなるので詳細はまた他の機会にでもお話ししますが、建国60年が過ぎて、かなりの数のユダヤ人ではないロシア人の移住や年々進むユダヤ人の世俗化によって、イスラエル=ユダヤ国家というコンセプトは過去のものになる可能性すらある。今のイスラエル、これからのイスラエルがどうなるのか、ユダヤのアイディンティティとその混乱という意味もあって未来展望がNo Conceptなイスラエルとしたのですが、ユダヤ人国家としてまたは単にイスラエルというひとつの国の100周年は来るのか、どうでしょうか。40年後のその時、誰かがこのブログを読み返すことがあったらおもしろいでしょうね。

(大桑)