水曜日, 10月 22, 2008

読者からの手紙 ー DJのNaojiさんより

先月の9月に読者さんのNaojiさんというDJをされている方から届いた手紙です。TBSで放送されたイスラエルとパレスチナの関係を取り上げた番組を観られての疑問です。Naojiさんと同じように何らかの疑問をもたれた方が他にもいらっしゃるかもしれないし、そうではないかもしれない。

以下、Naojiさんの質問と大桑の返答です。


Naojiさん始めましてこんばんは。
福嶋直次といいます。

コメントなどはしたことが無いのですが
以前から大桑さんのBlogを読ませていただいております。
僕は自分自身を怪しいものでは無いと思いたいのですが
確固たる自信がありませんのでその判断は大桑さんにゆだねます。
身元不明も不安材料になるかもですので
始めに僕のこと紹介しておきます。
下記のリンクが私が管理しているプライベートスペースです。
http://djnaoji.ddo.jp/
http://us.myspace.com/djnaoji

ここから本題に入らせていただきます。
先日私は日本のTBSのNews23を見ていたのですが
その番組内でイスラエルとパレスチナの関係について
20分ほどの放送がされました。
私にとってその番組はパレスチナサイドからの視点に感じられたのですが
実際に過去イスラエルで過ごされていた方は
どのように感じられるのか知りたいと思いメールしてみました。


→大桑:Naojiさん、こんにちは。
こちらからその番組が観られるようにと
Naojiさんが設定してくださったのですが、
残念ながらこちらからは観られなかったため、
イスラエルとパレスチナの問題を扱った報道の裏側について少々。

わたしをはじめ在イスラエルの邦人は、
各々様々な理由でイスラエルに住んでいるわけですから、
イスラエルという国に対する思いも様々だと思いますが、
こういった報道に対する意見の多くは
「現状とはかなりちがうのでは」というものです。
例えば、以前にも他のブログなどでも書いたのですが、
よくニュースなどで映し出される
パレスチナの少年たちが
イスラエル軍に向かって投石する姿すらも、
報道カメラマンたちがずらりと待ち構えるところで
指示に従って少年たちが「ハイ、いっせーのーで!」
遠くに向かって石を投げ、
向こう側はIDF(イスラエル軍)の兵士がいるように
あとで編集する。
それが事実として報道される。
そこには報道側とアラブ諸国やパレスチナとの
なんらかの利害関係があるのかもれません。
もちろんこういう作られたものがすべてではないですし、
実際に目に当たりでもすれば失明しかねるほど思いきり
IDFの兵士目がけて投石している場合もあります。

また、ラマッラというパレスチナ自治区の街では、
テレビで見る悲惨な土地とは思えないほど裕福で、
豪邸が建ち並んでいる一郭に
瓦礫の山の場面用の場所が作られている。
そんなこともあります。
この土地に関する報道の何をどこまで信じていいのか、
まずそこに疑問が起きますね。

Naojiさん報道されていることは真実の一面であるとは思っているので
それらが完全な嘘だとは思えないのですが
国などの争いの場合お互いの主張で争いの理由が
複雑な場合が多いと思います。
しかしながら僕にはそのNews23の報道がイスラエルが
酷いことをしていると報道しているように感じるのです。
実際にイスラエルがワンサイドで殺害などをしているのでしょうか?
パレスチナの人々はいわれのない虐待を受けているのですか?
その報道では60年前にフォーカスが当てられているようなのですが
それらの問題は60年前以前については重要視されないのでしょうか。。。
僕個人はTV Newsがディレクターの一思想を
民衆に一方向的に押し付けるものではないと信じたいので
大桑さんに感想を聞かせていただけたらと思いました。
図図しいですね。僕、、、


→大桑:いえいえ、本当に図々しい人は
自分で図々しいとはいいませんから大丈夫です(笑)。

世界の視線を集めたいパレスチナ側は
イスラエルによる虐待などを
まったくの事実だと主張するでしょうし、
国家としてのイスラエルはそれは事実ではないと言うでしょう。
だけどもしかしたら、
イスラエルの左派はパレスチナ側と同じく
それは事実だと言うかもしれません。
どこまでなにが本当なのかは
外からでは非常にわかりにくいのも事実です。
どちら寄りのメディアが伝えるのかによって
まったく事実ではないことが
まるで事実かのように伝わることはよくあります。

わたしはIDF(イスラエル軍)の行動の
すべてが正しいとは言いません。
正直言ってなんてバカなことをしてと
呆れることも多々ありますし、
イスラエルに対して「もっとかしこくなれ」と言いたい時も
たくさんあります。
ですが、とどのつまり「軍」というもの、
アメリカにしても国連にしても、
かつての日本軍にしても、
かなり身勝手でバカなことをするものだと。
ですが、イスラエル側による自治区の民間人を殺害せよという
指令はないと思っています。
軍を退職した友人などからもそういったことは
聞いたことはありませんし、
現役で兵役に就いている20代の男の子に聞いても
そんなことはないと言います。
ですが、人生経験の少ない若い兵士たちの行動は未熟で、
間違いも多いでしょう。
(沖縄で起こる様々な事件をみてもお分かりだと思います)
戦闘中に民間人を巻き込んでしまうこと、
思い違いはあるでしょう。
敵の主要人物を暗殺する、
その時に民間人が巻き添えになったりする、
戦争や紛争とはそういうものだと思います。


虐待について。
番組を観ていないので
何をどう虐待と言っているのかわかりませんが、
例えばガザ地区などのゲート封鎖による物資断絶、
仕事の激減などによって起きる
自治区の生活苦などの問題ですが、
これをイスラエル側による虐待と非難するのか、
それとも自治区が独立して経済を立て直してゆけるように
サポートするのか、そのどちらが大切なのかと。
イスラエル非難ではなく、
どうしたらそんな自治区が独立してゆけるのか、
そういった視点で語られなければいけないのではと。
そしてこういった封鎖が起きるには、
その前にハマスなど自治区側による
イスラエルに対する攻撃やテロがあるということ、
そのリアクションであるということ、
しかしそれらはニュースにもならなかったり、
語られないことも多いということ。
そして、もう一つ踏み込んで言えば、
なぜ他のアラブ諸国は
それほど酷いという自治区の立て直しをサポートしないのか、
なぜ彼らは同じ宗教を持つ者として、
せめてムスリムのパレスチナ人の受け入れをしないのか
(パレスチナ人にはキリスト教徒もいます)。
そのことはなぜ誰も指摘しないのか。
(このブログでは過去にそれについて触れていますが)


60年前以前について。
イスラエル建国前後のこの60年以前を持ち出すと
一方的にイスラエルを非難するのに都合が悪くなるわけで、
それでたいていは無視されています。
もし誰かがこのイスラエルとパレスチナの問題について語るとき、
私個人としてはそこをきっちりと見直す必要があると
思っています。
この対話ブログでも
で、60年前よりもっと前の、
この土地の歴史について書いていますので、
ご興味があればぜひ読んでみてください。
いかにねじ曲げられたかということが少しは見えて来ると思います。

Naojiさんただ不思議なのがTV Newsなどで頻繁に言論について
責任を持つべきであると言っているTV局関係者が
自分たちが世界に向けて発信しているNews発言について
その議題の番組を再確認しながら討論する機会を
民に与えていないのが理解できないところがあります。
(有料ならば可能なのでしょうが、
多くの民衆は映像使用料金や制作費を作ることが出来ないでしょう。)


→大桑:そうですね、
本当に解決に向けてのための報道であれば
一方的な視点でなく、
様々な角度や過去の時代からの視点も含めるべきではないかと。

ですが、中東問題についての報道は複雑ですね。
イスラームの石油大国のスポンサーや
その他様々な利害関係がバックにあるなど、
外国の大手、BBCやCNNにしても
「真実を伝えるための報道」ではないと思っています。
TBSのくわしい立ち位置はわかりませんが、
日本の報道の90%もしくはそれ以上が親パレスチナの視点、
「かわいそうなパレスチナとイスラエルの悪事」
にスポットにあてての報道でしょうね。
そのほうが視聴率も上がるし、
番組のコンセプトとしてはおもしろいのかもしれません。
そういった報道の意味とゴールがわかりませんし、
わたしからすれば、パレスチナ自治区のあり方の問題定義をして、
そこからの改善をしていく時期だと思っています。
いくらイスラエルを非難しパレスチナの
お涙ちょうだい物語を語っても
堂々巡りなだけではないでしょうか。
パレスチナ自治区を立て直すことを目的として
自治区の一部の市民の悲惨な状況を世界に知らせるのであれば、
それはそれでよいと思いますが。

Naojiさん極端に言うと
放送が終わったらその映像について知りませんのようなのは
なんとなく私にとって不可解なのです。
そのような勝手な理由でメールいたしましてすみません。
怪しいものかどうか判断してご対処ください。
それでは宜しくお願いいたします。
長文失礼いたしました。
ふぅ疲れた。。。僕は何をしているのでしょう。。。
すみません。
Naojiより


→大桑:テレビ局の報道も以前のように
真実を伝えるための物ではなくなりつつありますし、
責任ある報道は少ないのではないでしょうか。
報道だけに限らず、視聴率をあげるために
おもしろおかしく構成される番組も少なくはないでしょうね。
いま自分たちはそういう時代に生きているわけですから、
その番組を観られて、それをそのまま鵜呑みにされず、
こうして疑問を持っていただけるのはよいと思います。
ただ、Naojiさんのように疑問を抱いても、
それを解いてゆく手だてがあまりにも限られているため、
どうしようもないことも多いのかもしれません。

どうもありがとうございました。

(大桑)

大黒さんへの返信 (O)

6月30日の大黒さんのポストを読んでいくと「たくさんの宿題を出された夏休み」そんな気分です。

さて、まずは個人的なわたしの気持ちの変化について少々。今年の冬の終りにエルサレムを出てから半年以上過ぎたわけですが、予想どおり、これまでの「生活の場としてのイスラエル」で見失っていたものが見え始めた、大げさにいえば汚れを取り除いてきれいになった石みたいなものでしょうか。今こうしてイスラエルとの距離を少し置くことによって、イスラエルのよい面がふたたび光りはじめて来ました。そしてイスラエル人でもアメリカ人でもないちがうタイプのユダヤの人たちや、そういったユダヤのコミュニティーを知ること、それによってさらにグローバルでダイナミックなユダヤ世界とその他の世界の関わりが見えて来るのでは、そんなことを思っています。

ザグレブに来てからここしばらく、わたしはクロアチアの一政党の党首でもある友人の話しから考えさせられることが多く、「過去の歴史を忘れ、互いを尊重しあい、そこから共存が生まれる」とその彼は言います。たしかにそうだと思います。わたしもこのブログで似たようなことをイスラエルとパレスチナの解決策として言って来たと思います。世界が、いかにイスラエルがくだらない悪事をし続けているかを声を大にして非難し続ける結果は解決には結びつかないでしょう。それよりもさらに憎しみが生まれると。しかし過去を謝罪し互いを認めあう、これは現実として可能なのか。人はなかなかそう簡単に自分や家族に対して行われたことは忘れませんし、墓場まで持って行ってもまだ足りない。子や孫、子孫にその憎しみを受け継がせる。身近なところでは日本と韓国と中国の関係、国内では部落問題、在日韓国人や中国人への差別など、過去に基づいたそれを双方が引きずっての今ではないでしょうか。

クロアチアのユダヤ人たちをみていても、彼らはまだゲットーに住んでいる、時々そんな気がします。ファシスト思想のウスタシェ(一般的に英語や日本語ではウスタシャですが、クロアチア現地の言葉ではウスタシェが組織の総称。ウスタシャは単数個人を指す)の色濃いクロアチアで、戦後60年以上たってもユダヤ人はホロコーストを忘れず、ホロコーストをテーマにした学会や展示会、家族を自民族を虐殺された記憶はいまだに薄れることなく語り継がれます。それまで存在していたユダヤ社会と文化、家族を失った側とすればそれは当然のことなのかもしれませんが。また、90年はじめにユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの人たちの隣国セルビアの人たちへの排除の念もいまだに沈下することなく燻り続けています。きっかけさえあれば、また同じことがくり返すされるでしょうね。自己の利益やエゴ、憎しみ、痛み、それらを乗り越えてまで本気でその紛争を終えようとしている人たちはいるのか。以前、戦争のない世界は来ると思うかと尋ねられたことがありましたが、来ないでしょうというのがかなり楽観的な人間であるわたしの答えでした。くり返される人の歴史からも隣近所のいざこざからも、それははっきりしています。文明は進化しても人は進化しない。

さて、今回の投稿はすでにあれこれ詰め込み過ぎですが、前回大黒さんが書かれた「イスラエル/パレスチナ問題についてのリベラルな発言」と「アメリカと日本のイスラエル/パレスチナ問題の受け止め方のちがい」について。もしかしたらわたしが呆れ顔かと言われますが、そんなことはないですよ。誰にでも「ピン!」とくる話しとタイミングがあると思いますから。大黒さんが聞かれたオバマ氏のスピーチは聞いていませんが、ニュースの記事には目を通しました。イスラエルではアメリカの政治家のイスラエルに対しての発言がテレビで放送されることがあったり、イスラエルの英字新聞 Jerusalem Post ではそれらの発言がよく取り上げられていて、大黒さんが驚かれたという彼らの視点はそれほど珍しくもなく耳にします。それよりも、そういったアメリカの発言が新鮮であるということが、わたしにとっては新鮮で興味深かったです。

「日本のリベラルな発言」というもの一般について、実はわたしはそれがどういうものなのかよくわかりません。大江氏のサイードに対する理解も「ピン!」とこず、リベラルと言われる報道やジャーナリズムも偏りが目につくだけで「これだ!」と思うものに出会ったことがない。2000年あたりのイスラエルとパレスチナのきな臭い頃、同じ事件をいくつかの新聞で読み比べても、朝日新聞は意図的なフィルターがかかり過ぎていてとにかく在イスラエルの邦人の間では不評でしたし、客観的で中立とも言えそうなのは読売、それよりもさらに事件の詳細のみを伝えるのに徹底しているロイター、そんなところでした。イスラエルに住む者からすれば、日本は他人の火事を横で冷やかし楽しんでいるような、どこかの夫婦げんかにわざわざ首を突っ込み感情的にそのどちらかだけに加担しているような、そんな気がします。もし日本にもユダヤの人が多く住んでいたり政治家にいたりすると現状とはまたちがった報道や意見が出るのでしょうけど。少し前にひとりの読者から日本の報道に対し疑問を感じられるという手紙をいただきました。まさに大黒さんとのこの対話の意図するところの一つだと思うので、わたしの返答と供にまたのちほどこちらに掲載しますね。

そして、一方では賞賛され、もう一方では歴史をねつ造しているとんでもない嘘つきであるとすら言われることもあるサイード。彼が日本でそれほど賞賛されている間は、このイスラエルとパレスチナの問題を理解することは無理ではないかとも思えます。誰が誰を賞賛してもかまいませんが、そこからどう真の和平に繋がるのか、そこから生まれるものは何なのか。これから大黒さんとサイードの本を読んでいくうちに、もっとなにか具体的にそういうことが見えてくればおもしろいと思います(この対話をはじめてからサイードの本を実は一冊読みました。今手元にないのでどの本だったか題名は忘れましたが、自伝のような一冊でした)。

大黒さんはサイードとグロスマンはちがった立場だと言われますが、わたしからするとサイードもグロスマンも同じサイドの人間だといっても過言ではないと。というのは、グロスマンはイスラエルの左派、しかも極右という言葉に対しての極左、つまりパレスチナ側にかなり近い意見の持ち主であるといってもいいかもしれません。2年前にグロスマンの息子さんがレバノンで戦死した後、果たしてグロスマンはそこからどう変わるのか、そこに興味がありましたが、テル・アヴィヴで(だったと思いますが)行われた息子さんの追悼スピーチではむしろさらに反イスラエル、イスラエル否定の思いが強まったように映りました。今年はイスラエル建国60周年ということで、わたしもそれにちょっとだけ参加させていただきました。いま生活しているクロアチアの首都ザグレブでイスラエルの写真展「No Concept 60」を5月〜10月まで行いました。しかし主催側の左派のユダヤ人女性とのイスラエル建国と現在に対する意見の違いから、写真の選択は主催側に任せたのですが、左派の反イスラエルの主張は理解に苦しみます。グロスマンの時にも思ったように、その時も今後イスラエル国内の分裂はさらに拍車がかかるだろうなと思わずにはいられなかった。長くなるので詳細はまた他の機会にでもお話ししますが、建国60年が過ぎて、かなりの数のユダヤ人ではないロシア人の移住や年々進むユダヤ人の世俗化によって、イスラエル=ユダヤ国家というコンセプトは過去のものになる可能性すらある。今のイスラエル、これからのイスラエルがどうなるのか、ユダヤのアイディンティティとその混乱という意味もあって未来展望がNo Conceptなイスラエルとしたのですが、ユダヤ人国家としてまたは単にイスラエルというひとつの国の100周年は来るのか、どうでしょうか。40年後のその時、誰かがこのブログを読み返すことがあったらおもしろいでしょうね。

(大桑)

月曜日, 6月 30, 2008

大桑さんの旅、わたしの旅、答えではなく(D)

前回の大桑さんのポスト「終りは新しい始まり」を読んで、その率直な書きぶりに少なからず驚き、心うたれた。自身のユダヤへの道のりについての気づき、そしてイスラエルの現状と未来についての考え、最初に大桑さんに出会ったときから聞いてみたかったこと(でもそんなに簡単に聞くことも、答えることもできるものではない、とも思っていた)、それがこうして今、率直に誠実に語られている。そのことに驚きもしたし、何かひとつ突き抜けたような、あるいはふと気づいたらそこにあった山を越えてその向こう側の景色を眺めていた、というような気分になった。終りは新しい始まり。エルサレムを離れたことで、新たな視点が引き寄せられたのかもしれないと思った。人は自分が足を置いている地面、地形、風景、気候、地理条件、それらのものから思っている以上に影響を受け、木や草や野生動物同様、土地の一部として存在しているのかもしれない。

それと大桑さんの今回のポストを読む前になるが、わたしの方にも変化があった。ここでも何回か書いてきた自分の「無神論」あるいは「非宗教」的指向に対して、顧みる機会があった。それはその思考の内容そのものに対してというよりは、そう「宣言」する自分の態度、考えの示し方に小さな疑問をもったのだ。何らかの信仰を持つ人々に対して、もともと否定する気持ちはなかったけれど、理解があったかと問われれば、それもなかったように思う。ことさら「わたしは無神論者である」と「宣言」しなければならない理由はどこにあったのか。そう言わずにおれない気持ちというものがはっきりあるとするなら、神の存在や宗教をめぐるもろもろのことをおおまかに括って、おおざっぱに否定し嫌っていた、という可能性もある。

このことに思い至ったのは、ある本を読んでいるとき、シカゴの黒人教会に触れた部分があり、教会というものがその地域の中で担っている役割に目を開かされたからだ。社会の最下層で暮らし、貧困や慢性的な差別の中でかろうじて日々を送っているアフリカ系アメリカ人の人々の面倒をなんであれまるごと引き受けている、それが地域の黒人教会ということであった。そこでは個人的救済と集団的救済をわけて考えられるような贅沢はなく、精神生活だけでなく食料や着るものなど日々の生活や生命維持に欠けているものを埋め合わせていた。こんなことは初めて聞くことではないし、そのこと自体に驚いたわけではない。日本という環境の中で、「自分の自由意志」で信仰を否定したり、信仰にのめり込んだりすることとは決定的に違うものが存在するのではないかと思ったのだ。

宗教一般に対する自分の敬遠や拒否的な気持ちは、もしかしたら子ども時代、家に病人が出たときどこから聞きつけたか宗教関係の勧誘者が次々やって来て、入信を勧め、迷惑を顧みず居座り、日参する、その執拗さや人の弱みにつけこむ精神の貧しさに呆れ、怒りを感じたことが元になっているのかもしれない。自分の宗教観について今回考える過程でふと思い出したことで、一要素にすぎないかもしれないが。

大桑さんと東京でお会いしたとき、大桑さんのパーソナリティとその基本的な考え方に触れ、そのこととユダヤの思想を結びつけて考えることはなかったが、前回のポストを読んで納得がいった。そして、たとえば物質(文化)との希薄な関係性(物欲のなさ)、人と争うことへの絶望感、拒否的な気持ち、が違った価値観の世界への旅の始まりになっていたのだと知った。濃度は別にして、どこの国の人であれ多くの現代人が空気のようにまとっている物質主義、競争社会、そういった逃れられない環境に対して異議を唱えることから始まった旅なのだということがわかった。そしてわたしも、葉っぱの坑夫を始めた理由の根本を思い返せば、市場至上主義や日本社会の一様性、排他性への拒否感が強くあり、違う道を探したい、オルタナティブな可能性を見つけたいということから始まったものだった。文学やアートそのものから出発したのではない。いやそうではなくて、文学やアートの中に光が、道が、可能性があると感じたのだ思う。

信仰のあるなしや宗教観の違いは、根本の違いとはならないのかもしれない。どっちを向いて歩いているのか、何を探し求めているのか、そのことが問題なのだ。そう考えると、今更だけれど、何年か前に大桑さんが葉っぱの坑夫を見つけてくれたこと、メールを送ってくれたこと、作品を送ってくれたこと、そのことと今はしっかり繋がっていると感じる。


* * *

ところで、大桑さん、6月初旬にアメリカのユダヤ人ロビイストの前で、アメリカ大統領候補バラク・オバマ氏がやったスピーチを聞かれましたか? あるいはそちらのユダヤ人社会の中で、この演説が話題になったりはしていませんか? わたしはたまたまテレビで見る機会があったのですが、アメリカからみたイスラエルという国、イスラエル/パレスティナ問題、周辺アラブ諸国についての考えがわかって興味深かったです。もちろん政府見解ではなく、オバマ氏という大統領候補、民主党上院議員の語ったことですが。オバマ氏独自の話法というものもあり、またユダヤ人ロビイスト(AIPAC=アメリカ・イスラエル公共問題委員会)の前でのスピーチということもあって、そこに照準を合わせて話していることは間違いないですが、それを差し引いても、全体として非常に面白かったです。イスラエル建国の正当性や現在のイスラエル国民の置かれている状況と安全確保の重要性、そしてこの問題の解決法と将来の青写真について耳にすることが、こんなにも衝撃的であるとは自分でも驚きでした。いかに日本では違った側面からこの問題が語られているか、ということなのでしょう。

イスラエル建国60年ということで、日本でも新聞などに関連記事が掲載されることも少なくないですが、朝日新聞では少し前に「歩く/パレスチナ60年/シャティーラの記憶」というシャティーラ難民キャンプを訪ねてインタビューしたコラムが15回に渡って載りました。一般に、そしてリベラルと日本で見られているメディアや知識人、それを信望する読者にとっては、この視点こそがパレスチナ/イスラエル問題を見るとき語るときの、唯一といっていい「ジャーナリスティックな」ものと思われている節があります。そういう日本に住むわたしだから、オバマ氏のスピーチが不思議な響きをもって聞こえてきたのでしょう。これだけこの対話ブログで話し、学んできたはずのわたしがこんなことを今更言うなんて、大桑さんはさぞかし呆れ顔をされているでしょうね。でも日本に住んでいるということがどういうことなのか、それを知っていただきたくて正直に書きました。

朝日新聞に限らず、日本でリベラルとされている主流の論調を紹介すると、日本でそこそこまっとうと思える発言をしたり、本を書き、記事をメディアに載せているリベラルな人々、わたも一読者であったりする作家や学者、批評家たち、その人たちの多くが絶対的信望を寄せているのが、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードです。四方田犬彦や姜尚中、大桑さんも読者という大江健三郎もサイードの賞賛者であり、友人でもありました。「グロスマン」を始めるとき、大桑さんにサイードについて聞いたら、まだ読んだことがないと言われていましたね。わたしは何冊か本は持っており、イスラエル問題に関する部分も読んではいますが、いまだ汲み取れるものを得ていません。もともとこの対話ブログでイスラエルのユダヤ人作家、平和活動家のグロスマンを選んだのも、サイードとは違った立ち場でこの問題について語れる知性、ということがありました。この対話のきっかけのひとつでもあるデイヴィッド・グロスマンの「死を生きながら/イスラエル1993ー2003」は出版後4年たっていますが、日本ではそれほど話題にもなっていませんし、グロスマンの名前もメディアで見ることがほとんどありません(2年前、グロスマンの息子がレバノンで戦死したとき小さな新聞記事になりましたが)。そこで思ったのですが、グロスマンをいっしょに読んでから4年、サイードを読んでみるというのはどうでしょう。適当な著書があるか少し探してみて、もし見つかれば日本語版をクロアチアにお送りしますが。

この対話ブログを読んでいるかたは、この書き手二人は、二人の真意はいったいどこにあるのか、いったい何派なのか、と疑問に思われているかもしれません。何か発言する人は、ある目的があって、ある立ち場があって、それにそって論理を展開し、その正当性を訴えるものだからです。でもわたしたちは(大桑さんもそうではないかと思うので)、さまよい、さすらい、横道へもときにそれ、ときに勘違いも起こし、でもそうやって問いを発しながら考えるということをやっているのだと思うのです。問いをもち、考えつづけることが、答えを得て安心することより大切ではないかと思っているのです。間違った発言をすることにも、それほど大きな恐れは抱いていません。ただし間違ったと気づいたら、その考えの経緯を書き、なぜそう思うに至ったかを書くと思います。それは自分一人に起こる間違いではなく、他でも、他の人の中でも起こりうる考え、理解の仕方だと思うからです。

野次馬的な興味をひとつ。バラク・オバマ氏は日本でも著書が翻訳され、リベラルな知識人、論客、そして朝日新聞の記者などからも、かなり好意的な支持を得ているように見えます。しかし上にも書いたように、オバマ氏はアメリカ大統領候補であり、アメリカ人という立ち場から常にものを語ります。イスラエル問題への発言のように、それは日本のリベラルな知識人のこれまでの考え方の基本とはかなり違ったものが含まれています。その亀裂を論客たちはどうやって埋めながら話しを展開していくのか、もしオバマ氏が大統領になったときには、注意深く観察していきたいと思っています。

水曜日, 3月 26, 2008

終りは新しい始まり (O)

*3月26日に一度投稿したのですが、どうにも未完成だったため、勝手ながら下記のものに差し換えさせていただきました。(3月28日)


前回の大黒さんが仰っているように、大黒さんとわたしは同じ日本人とはいえ明らかに異なる世界の住人かもしれない。しかし、だからこそこの対話プロジェクトに意味があるのではないかと思っている。

私個人としては「異なる世界の住人の話を聞くこと=様々な気づき」であり、そういう機会を持てること自体すらとても興味深いのだが、しかしみながみなそういうわけでもないらしい。たいていは対話相手を客観的に見れなかったり、どちらかが(または互いに)自分の価値観を押し付けようとしたり、または、「こんなおかしな人とは二度と話すもんか、こんちくしょう!」と憤慨したりする。その個人レベルの延長線が、この世界全体で起きている民族や宗教の争いなのだろう。そういう意味でも、これも大黒さんが仰っているように、ほとんど違和感を感じることなく、しかももっと時間があればとさえ思えたあの青山のカフェで、無神論者であると言われる大黒さんと過ごした時間は、その後、信仰の街エルサレムに戻ってからも非常に有意義なものとして継続していた。

エルサレムに住むようになってから、会う人ごとに「なぜイスラエル、なぜユダヤの世界なのか」と問われ、その度に「なぜでしょうね?」と冗談ではなく自問自答してきたのだが、あの日の大黒さんとの対話の向こうに、ゆっくりとその霧が晴れはじめた。子供のころから寺という、物質や競争社会とはほとんど関りのない世界で生きてきたのだが、20代で惹かれ、その後の人間形成に大きく影響したのは他から見れば特異にすら映るユダヤの思想と価値観を礎にした社会であり、人々だった。現代社会では失われつつある多くのもの、例えば十戒に見られる基本的モラル、が厳粛に守られ、これからも守られようとしている世界とその住人たちとでもいえばいいのだろうか。このことについて話すと長い長い話になってしまうのだが、早い話、かくあるべき人間社会を探す旅の途中で見つけたのが、そんなユダヤの世界だったのだろう。と、そういうことが青山以来、ようやく言葉として表現できるに至った。

しかし、2008年2月に、その約9年間のエルサレムのお山のほぼ隠遁生活に、とりあえず一つの終止符を打つことになった。その主な理由は、世俗化、欧米化、競争社会化が急速に進むイスラエルに、かつて見い出した輝きと方向性を失ってしまったことにある。ここ数年そのことに悩みながらようやくこの結論に至ったのだが、イスラエル、そしてエルサレムと少し距離を置くことで再び見えて来るものに出会いたい、とここらで惰性の生活に区切りを打ち、思い切って拠点を変えてみることにした。そんな過程で旧ユーゴスラヴィアのクロアチアの首都ザグレブに移ったのだが、しばらくここでホロコーストとその生存者であるユダヤ人のお年寄りの話を記録していきたいと思っている。

このクロアチアという国もまたイスラエルに負けず劣らず民族紛争が激しく複雑なのだが、クロアチア人の知人たちに、隣国のセルビアやセルビア人の長所を少しでも言おうものなら、瞬時に苦虫をつぶしたような表情をされる。ユダヤ系イスラエル人にパレスチナ人を褒める(またはその反対)のがタブーに近いのと同じように、それも口にしてはならないタブーということなのだろう。また、在クロアチア・ユダヤ人に対するクロアチア人の反応は様々で、しかし本音はいまだにヨーロッパに根付く反ユダヤの文化、そして第二次大戦で勢力をふるっていたウスタシェというクロアチアのナチズムからも「このユダヤ人め!」と思っている人も少なくないのではないかと感じることがある。しかしこれらの土地に限らず、「他者または隣人の排除、差別」というのは、世界中で起きているわけで、身近な日本でも在日韓国人や中国人に対する偏見、また関西圏ではそれに加えて部落問題などもある。

さて、その民族と紛争の中心のひとつでもあるイスラエル / パレスチナの近況はというと、相変わらず一歩進んで一歩下がり、そしてまた半歩進む、といった状況ではあるものの、一応、パレスチナ自治政府が「イスラエル抹消派」のハマスを抑えて独り立ちする方向へと向かっているように見える。以前から言っているのだが、現状で「卵が先か鶏が先か」を争っても解決にはならず、アラブ諸国が声を荒げている「イスラエルを抹消しパレスチナのみ存在」という選択肢も非現実的でしかない。互いから完全に手を引くこと、そしてパレスチナが完全に独立した一国となることでこの延々と続く無意味な争いを終わらせ、そこから双方に新しい始まりが訪れるだろう。そう思っている矢先にまた、3月にエルサレムのユダヤの宗教学校でアラブ人による乱射事件が起きているし、イスラエルもガザへの攻撃を行っている。

本を読むことについて。本は知識であり、知識は酸素と同じほど人の成長に欠かせないエレメント。昨年の春の帰国時には、雑誌ともなんともいえないいわゆる情報誌が大半を占める店舗が圧倒的になっていた本屋の様変わり、そして京都の四条河原町にあった丸善など大手の書店の閉店など、かなりその状況に驚いたのだが、これからもその中から良い本を選択し、それを糧にしていきたいと思っている。昨年読んだ本の中に「四季(李 恢成著)」という、在日朝鮮人としての「私」を描いた一冊があるのだが、残念ながらなぜか途中で挫折してしまった。大黒さんが前回の投稿でも触れられている内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」は以前から気になっていたので、今度Amazonで購入してみようと思う。ぶらりと本屋に寄って本(特に日本語で書かれた)を買うのは、外国に住むわたしには夢のような話になりつつある。
(大桑)