土曜日, 8月 14, 2004

何と何がこの土地では本当に対立しているのか (D)

大桑さんの説明による、「パレスチナと呼ばれてきたもの」の実体、そして紀元前1000年にまでさかのぼるその語源について、わたしにとってはまったく未知の内容でした。中でもローマ帝国が、ユダヤの名残りをこの土地から消し去るために、「イスラエル」を「パレスチナ」と呼び改めたこと、それが世界史的に最初のパレスチナの登場だったという事実には驚かされました。さらには、その「パレスチナ」という言葉の元々の意味が、その昔この土地でユダヤ人に敵意を抱く人々を指すユダヤ人側からの言葉(ヘブライ語)のラテン語読みだということを聞いて、頭の中が混乱しました。何重にもよじれ、ひねられ、ひっくりかえされた歴史基盤の上に置かれた人々、ユダヤ人とこの土地。

そして現在「パレスチナ人」と一般に呼ばれている人々、イスラエルのアラブ人たちとの対立関係は、19世紀の終わり頃に起き始めたことのようだということがわかります。それが今回投稿メールを送ってくれたダニエルさんの言う、ヨーロッパからのユダヤ人たちが「故郷へ戻るため」にこの地に移住し、メソポタミア、シリア、エジプトからアラブ人たちが「労働のため」に移住した、その時期と一致していることに気づかされます。つまり、その頃に、それぞれの理由によって、現在イスラエルと呼ばれている土地のあたりに、ユダヤ人、アラブ人双方の人々がたくさん押し寄せ移り住むようになったのだということがわかってきます。ということは、パレスチナとイスラエルの問題は、大掛かりで長期にわたる移民問題、ということができるのでしょうか。移民というからには、普通、移民される側の主体となる国があるわけですが、それに当たるのが帝国時代のトルコであり、植民地体制でのイギリスとするなら、これら宗主国が去ったあと、移民同士が直接にぶつかりあうという事態が起きていると考えることもできそうです。ユダヤの人々にとっては、「移民」という考え方ではなく、「故郷へ戻る」ということではあると思いますが。

ダニエルさんの発言からも、いろいろ考えさせられました。いくつかを上げてみたいと思います。まず、問題の中心となっている地域イェシャ(Yesha)のユダヤ人にとっては、日本で「パレスチナ問題」と呼ばれているものは「イスラエル政府問題」として捉えられているという指摘です。わたしの理解では、今起きている問題は、よく言われているような単純な二項対立(ユダヤ人入植者対パレスチナ人先住民のような)ではないということ。ダニエルさんが兵役拒否をした理由は、イスラエル政府への反発、不服従の気持ちからと書かれています。イスラエル政府は結局のところテロリストたちを擁護しているのではないか、という疑問をお持ちのようです。もしそうだとしたら、そこにはどんな政治的な思惑あるのでしょうか。あるいはなんらかの妥協なのでしょうか。ガザのユダヤコミュニティーを破壊したがっているのがイスラエル政府であるとしたら、それはどんな理由からなのでしょう。

話は少し飛びますが、最近こんな記事を読みました。イスラエルのユダヤ人社会にはヒンドゥー社会におけるカースト制度のような階級がある、という話しです。つまりユダヤ人社会の中にもいくつかの対立事項が存在する、ということなのでしょうか。その階級とは、東欧からの移住者をトップに、イベリア半島からの移住者、そして最下層に北アフリカやイスラム文化圏からの移住者、というような順序づけがされているそうです。違う階層の男女が結婚するときのてん末をあつかった映画が「ブーレカ映画」と呼ばれて一ジャンルをなすくらい、この階級差は自明のことのようです。とすると、ユダヤ人とひとことでくくるには困難な民族集団としてのユダヤ人とその社会が見えてきます。出自や文化的背景、利害関係において、あまりにも立場が違うという意味で。こうしたことも、パレスチナ、イスラエル問題を複雑にしている要素のひとつなのでしょうか。(参照:「新潮」9月号/四方田犬彦『メラーの裔/モロッコ系ユダヤ人をめぐる6つの断章』)

もうひとつ、ダニエルさんの記述の中で、「Yeshaを発達して」良い土地にする、という箇所が気になりました。イェシャというのは問題となっているヨルダン川西岸とガザ地域のことです。ここを発達(発展)させる、といはどうことを指しているのでしょう。この地域で、イスラエル政府によって擁護されている「アラブ人テロリスト」を排斥して、ユダヤ人とアラブ人の共存関係の可能性を探り、それを育てていくということなのでしょうか。それともユダヤ、パレスチナの間にきっちりと境界を引き、今後問題の根となるようなものが残らないよう、合理的、公平に分離していくということなのでしょうか。

グロスマンの本を読んでいて印象的だったことは、この本の著者自身の考え方としては、さまざまな辛い妥協に双方が従わなくてはならかったとしても、二つの民族国家としてパレスチナ、イスラエルという別の主権国家をつくる道筋が必要であり、そのために具体的で集中的な交渉を重ねるべきであるということがはっきり書かれていることでした。パレスチナ人、イスラエル人両方にその解決能力がないなら、国際社会の介入も、国際的な軍隊の派遣もふくめて、求めたいということも2001年6月の日誌には書かれています。これが長年の戦争状態とテロの恐怖の中で日常を送ってきた、イスラエルに住むユダヤ人の一作家にとっての結論なのだということです。(大黒)