月曜日, 8月 02, 2004

マサダでの誓い (O)

あまりにも日本の現実とかけ離れた時点で書いてきたようなので、とてもわかりにくい、または、なんだかピンとこない話(または対話)、になってしまった気がするので、もう少しイメージの湧いてきそうな話をひとつ。


マサダの砦にて。

エルサレムから海抜をどんどん下がって、マイナス400メートルあたりに来ると、左手に世界最古の町、エリコが見えて来ます。そこからTの字の道をエリコとは反対の左に折れて死海を横手にさらに南下して行くこと約20分。左側のぼーっと暑く霞のかかった、波もなくただ静かに広がる死海とは裏腹に、反対の右手側には赤茶けたゴツゴツした岩肌の山々が太陽に照らされて雲ひとつない、真っ青な空の下にそびえ立つ砦があります。

マサダの砦。

1世紀の初めにローマ軍がエルサレムを奪い、そこから逃げ延びたユダヤの人々が、ヘロデ王が残したこのマサダの砦に立てこもりました。そして、ローマ軍に降伏することを最後まで抵抗したという、歴史的な砂漠の中の砦です。ここには当時1000人ほどのユダヤの人々が没落したエルサレムから逃れ、水を蓄え、町を作り、砦の下から攻めてくるローマ軍との戦いに挑みました。そして西暦73年、3年という長い月日をこの荒野のマサダで生き延びたユダヤの人々は、遂に最後の時を迎えました。山の裾野からどんどん押し寄せるローマ軍は、今にもこの高くそびえる砂漠の赤茶けた砦を攻め落とそうとしています。それを悟った9960人のユダヤの人々は、互いにくじを引きあい、誰がどの順で誰を殺すかを決めてゆきました。彼らはローマ軍に降伏してユダヤの誇りを捨てるよりも、ユダヤの誇りと共に死ぬことを選び、敵の手にかかる前にマサダの住人の960人全てが、身内によって誰がどういう順序で亡くなっていくかの、そのくじを引いたのです。

現在マサダの砦は、イスラエルでもエルサレムに次ぐ人気の遺跡観光地となっています。死海近くの山のすそからはロープウェイが砦のある山頂まで人々をあっという間に運び、ループウェイから見下ろす足元はるか下には、当時ユダヤの人々が砦まで登った「蛇の小道」やローマ軍が野営していた跡地があちこちに点々と見えます。頂上の砦跡には、宮殿のテラスや住人の使用したサウナやシナゴーグの遺跡などがあり、そこからの景色はまさに絶景といわんばかり。見渡す限り生き物の気配のない赤い乾いた砂漠と、それを照りつける太陽。そして、じっとただ横たわる幻のような死海。


イスラエルの若者は18歳になると男子は3年から4年、女子は2年間に渡って徴兵されますが、軍隊のユニットによって、その入隊式がこのマサダの砦にて行われます。そして、このマサダで敵に降伏することなく、誇り高く死んでいった彼らの先祖の魂を忘れまい、そして二度とその悲劇を繰り返さないように「Masada shall not fall again」と胸に誓います。 もしもそれまでに一度たりとして、イスラエルの土地やユダヤの民に属するということを考えたことなどなかった若者がいたとしたら、マサダの砦の入隊式は、この土地に対する思いやユダヤとしてのアイデンティティを考えるきっかけのひとつになるのかも知れません。  (大桑)