日曜日, 1月 23, 2005

国という垣根が低くなった後の世界では・・・(D)

自分のルーツについて考えること(そしてそれに沿って生きること)と、ルーツの違う人々と共存して生きていくこと、この二つには矛盾や相容れないことがたくさんあるのでしょうか。

世界標準で言うところの年も改まったことでもあるので、こんなところから始めてみたいと思います。

今の時代に生きている人間はみんな少なからず、二重的なアイデンティティのもとに身を置いているのではないかと思います。たとえばヨーロッパの人間は、EU成立後、それぞれの属する国家の市民である意識と同時に、ヨーロッパ市民であるという気持ちが強まっているといいます。とくに若い層では、ヨーロッパ人であるという意識が自国への帰属意識より優先されているという話しも聞きました。

あるいは世界各地の移民の人々。彼らは自分の出身国というルーツをもちつつ、言語や文化の違う国外で生活を営む二重的なアイデンティティをもつ人々です。人の移動は、20世紀終盤になって個人レベルにおいても非常に活発になり、昔は旅行するのも難しかったような国も、自分の意志で生活圏として選びとれるようにもだんだんなってきています。また、仕事や学業などを目的に国外の何ヵ国かを生活圏として選び、そこに定住するのではなく、状況や目的によって移動していく人々も珍しくありません。

そして自国で暮らす人にとっても、自分の国に多くの外国人が訪れたり暮らしたりすることで、社会の構成要員が変わり、国内の状態や境界が少しずつ変質していくのを経験しています。自分はじっと同じ場所で自分のアイデンティティを守って生きているつもりでも、その地盤自体が変化しているのです。

たとえ自国にいて母語で暮らしていたとしても、自分のアイデンティティを問い直さなければならない時代、それが今という時代なのかもしれません。

こういう変化の多くの部分が、経済の論理によるものだったとしても、(そのことも含めて、良くも悪くも)総体としての人間という生き物の意志の方向性のようなものを感じます。個人レベルでも、国家レベルでも、人間は豊かな経済の方にむかって動き、移動していくという法則があるということなのでしょう。

最近読んだ新聞のシリーズ記事に、旧東欧圏でユダヤ人街が復活しているというものがありました。ユダヤ人の生き方の選択肢として、「イスラエルに帰る」こと以外に、イスラエルの外で共同体を復活させそこでユダヤ人として暮らすこともありえるとの考えが出てきているということのようです。東ベルリン、ブタペスト、プラハ、クラクフ(ポーランド)、ビリニュス(リトアニア)などで戦前のユダヤ人街が復活し始めているのだそうです。

それもひとつには経済が関係していて、EUが東欧圏にまでひろがってきていて、ユダヤ人街が復活している都市も豊かさの恩恵を受けられる見込みがあるからかもしれません。長らく問題を抱え、解決のめどがたたないイスラエルに帰るより、より現実的な幸せに近い場所で生きることを考えても不思議はありません。

またそれとは別に、EUという超国家的共同体のモデルが育ちつつあるヨーロッパ諸国では、国、言語、民族などの違いが、よそ者と自分とを隔てるものではなくなりつつあり、その結果、差別や偏見も徐々に無化されつつあるのかもしれない、という想像もできます。

そういう経済をベースに置いた共同体の中では、ユダヤ人にかぎらず、何国人、何民族、ということがそれほど大きな意味を持たなくなるのは、ありえることだと思えます。そうであれば、ユダヤ人にとっても、そこがイスラエルでなくとも、ユダヤ人として生きるのに満足の得られる地域社会が存在するのなら、他のローカルグループ(他の宗教、他の言語など)ともども、共存して幸せを築いていく道があると考えるのは自然なことかもしれません。

世界的な民族移動の傾向は今後も強まるでしょうし、民族間の出生率や労働人口などの違いからも、民族分布が大きく塗り替えられていく国があらわれることも想像できます。国という枠組とその構成要員の関係が、民族や言語というものではくくりきれなくなったとき、国家という思想も後退していくのでしょうか。そして国という思想が世界的な傾向として今後後退していくとしたら、ユダヤ人たちのシオニズム運動にも変化があらわれてくるのか、それとも変わることなく約束の地、故郷イスラエルに帰ることを願い、親から子、子から孫へとその思想は受け継がれ続けていくのでしょうか。
(大黒)