水曜日, 10月 22, 2008

大黒さんへの返信 (O)

6月30日の大黒さんのポストを読んでいくと「たくさんの宿題を出された夏休み」そんな気分です。

さて、まずは個人的なわたしの気持ちの変化について少々。今年の冬の終りにエルサレムを出てから半年以上過ぎたわけですが、予想どおり、これまでの「生活の場としてのイスラエル」で見失っていたものが見え始めた、大げさにいえば汚れを取り除いてきれいになった石みたいなものでしょうか。今こうしてイスラエルとの距離を少し置くことによって、イスラエルのよい面がふたたび光りはじめて来ました。そしてイスラエル人でもアメリカ人でもないちがうタイプのユダヤの人たちや、そういったユダヤのコミュニティーを知ること、それによってさらにグローバルでダイナミックなユダヤ世界とその他の世界の関わりが見えて来るのでは、そんなことを思っています。

ザグレブに来てからここしばらく、わたしはクロアチアの一政党の党首でもある友人の話しから考えさせられることが多く、「過去の歴史を忘れ、互いを尊重しあい、そこから共存が生まれる」とその彼は言います。たしかにそうだと思います。わたしもこのブログで似たようなことをイスラエルとパレスチナの解決策として言って来たと思います。世界が、いかにイスラエルがくだらない悪事をし続けているかを声を大にして非難し続ける結果は解決には結びつかないでしょう。それよりもさらに憎しみが生まれると。しかし過去を謝罪し互いを認めあう、これは現実として可能なのか。人はなかなかそう簡単に自分や家族に対して行われたことは忘れませんし、墓場まで持って行ってもまだ足りない。子や孫、子孫にその憎しみを受け継がせる。身近なところでは日本と韓国と中国の関係、国内では部落問題、在日韓国人や中国人への差別など、過去に基づいたそれを双方が引きずっての今ではないでしょうか。

クロアチアのユダヤ人たちをみていても、彼らはまだゲットーに住んでいる、時々そんな気がします。ファシスト思想のウスタシェ(一般的に英語や日本語ではウスタシャですが、クロアチア現地の言葉ではウスタシェが組織の総称。ウスタシャは単数個人を指す)の色濃いクロアチアで、戦後60年以上たってもユダヤ人はホロコーストを忘れず、ホロコーストをテーマにした学会や展示会、家族を自民族を虐殺された記憶はいまだに薄れることなく語り継がれます。それまで存在していたユダヤ社会と文化、家族を失った側とすればそれは当然のことなのかもしれませんが。また、90年はじめにユーゴスラヴィアから独立したクロアチアの人たちの隣国セルビアの人たちへの排除の念もいまだに沈下することなく燻り続けています。きっかけさえあれば、また同じことがくり返すされるでしょうね。自己の利益やエゴ、憎しみ、痛み、それらを乗り越えてまで本気でその紛争を終えようとしている人たちはいるのか。以前、戦争のない世界は来ると思うかと尋ねられたことがありましたが、来ないでしょうというのがかなり楽観的な人間であるわたしの答えでした。くり返される人の歴史からも隣近所のいざこざからも、それははっきりしています。文明は進化しても人は進化しない。

さて、今回の投稿はすでにあれこれ詰め込み過ぎですが、前回大黒さんが書かれた「イスラエル/パレスチナ問題についてのリベラルな発言」と「アメリカと日本のイスラエル/パレスチナ問題の受け止め方のちがい」について。もしかしたらわたしが呆れ顔かと言われますが、そんなことはないですよ。誰にでも「ピン!」とくる話しとタイミングがあると思いますから。大黒さんが聞かれたオバマ氏のスピーチは聞いていませんが、ニュースの記事には目を通しました。イスラエルではアメリカの政治家のイスラエルに対しての発言がテレビで放送されることがあったり、イスラエルの英字新聞 Jerusalem Post ではそれらの発言がよく取り上げられていて、大黒さんが驚かれたという彼らの視点はそれほど珍しくもなく耳にします。それよりも、そういったアメリカの発言が新鮮であるということが、わたしにとっては新鮮で興味深かったです。

「日本のリベラルな発言」というもの一般について、実はわたしはそれがどういうものなのかよくわかりません。大江氏のサイードに対する理解も「ピン!」とこず、リベラルと言われる報道やジャーナリズムも偏りが目につくだけで「これだ!」と思うものに出会ったことがない。2000年あたりのイスラエルとパレスチナのきな臭い頃、同じ事件をいくつかの新聞で読み比べても、朝日新聞は意図的なフィルターがかかり過ぎていてとにかく在イスラエルの邦人の間では不評でしたし、客観的で中立とも言えそうなのは読売、それよりもさらに事件の詳細のみを伝えるのに徹底しているロイター、そんなところでした。イスラエルに住む者からすれば、日本は他人の火事を横で冷やかし楽しんでいるような、どこかの夫婦げんかにわざわざ首を突っ込み感情的にそのどちらかだけに加担しているような、そんな気がします。もし日本にもユダヤの人が多く住んでいたり政治家にいたりすると現状とはまたちがった報道や意見が出るのでしょうけど。少し前にひとりの読者から日本の報道に対し疑問を感じられるという手紙をいただきました。まさに大黒さんとのこの対話の意図するところの一つだと思うので、わたしの返答と供にまたのちほどこちらに掲載しますね。

そして、一方では賞賛され、もう一方では歴史をねつ造しているとんでもない嘘つきであるとすら言われることもあるサイード。彼が日本でそれほど賞賛されている間は、このイスラエルとパレスチナの問題を理解することは無理ではないかとも思えます。誰が誰を賞賛してもかまいませんが、そこからどう真の和平に繋がるのか、そこから生まれるものは何なのか。これから大黒さんとサイードの本を読んでいくうちに、もっとなにか具体的にそういうことが見えてくればおもしろいと思います(この対話をはじめてからサイードの本を実は一冊読みました。今手元にないのでどの本だったか題名は忘れましたが、自伝のような一冊でした)。

大黒さんはサイードとグロスマンはちがった立場だと言われますが、わたしからするとサイードもグロスマンも同じサイドの人間だといっても過言ではないと。というのは、グロスマンはイスラエルの左派、しかも極右という言葉に対しての極左、つまりパレスチナ側にかなり近い意見の持ち主であるといってもいいかもしれません。2年前にグロスマンの息子さんがレバノンで戦死した後、果たしてグロスマンはそこからどう変わるのか、そこに興味がありましたが、テル・アヴィヴで(だったと思いますが)行われた息子さんの追悼スピーチではむしろさらに反イスラエル、イスラエル否定の思いが強まったように映りました。今年はイスラエル建国60周年ということで、わたしもそれにちょっとだけ参加させていただきました。いま生活しているクロアチアの首都ザグレブでイスラエルの写真展「No Concept 60」を5月〜10月まで行いました。しかし主催側の左派のユダヤ人女性とのイスラエル建国と現在に対する意見の違いから、写真の選択は主催側に任せたのですが、左派の反イスラエルの主張は理解に苦しみます。グロスマンの時にも思ったように、その時も今後イスラエル国内の分裂はさらに拍車がかかるだろうなと思わずにはいられなかった。長くなるので詳細はまた他の機会にでもお話ししますが、建国60年が過ぎて、かなりの数のユダヤ人ではないロシア人の移住や年々進むユダヤ人の世俗化によって、イスラエル=ユダヤ国家というコンセプトは過去のものになる可能性すらある。今のイスラエル、これからのイスラエルがどうなるのか、ユダヤのアイディンティティとその混乱という意味もあって未来展望がNo Conceptなイスラエルとしたのですが、ユダヤ人国家としてまたは単にイスラエルというひとつの国の100周年は来るのか、どうでしょうか。40年後のその時、誰かがこのブログを読み返すことがあったらおもしろいでしょうね。

(大桑)