月曜日, 6月 30, 2008

大桑さんの旅、わたしの旅、答えではなく(D)

前回の大桑さんのポスト「終りは新しい始まり」を読んで、その率直な書きぶりに少なからず驚き、心うたれた。自身のユダヤへの道のりについての気づき、そしてイスラエルの現状と未来についての考え、最初に大桑さんに出会ったときから聞いてみたかったこと(でもそんなに簡単に聞くことも、答えることもできるものではない、とも思っていた)、それがこうして今、率直に誠実に語られている。そのことに驚きもしたし、何かひとつ突き抜けたような、あるいはふと気づいたらそこにあった山を越えてその向こう側の景色を眺めていた、というような気分になった。終りは新しい始まり。エルサレムを離れたことで、新たな視点が引き寄せられたのかもしれないと思った。人は自分が足を置いている地面、地形、風景、気候、地理条件、それらのものから思っている以上に影響を受け、木や草や野生動物同様、土地の一部として存在しているのかもしれない。

それと大桑さんの今回のポストを読む前になるが、わたしの方にも変化があった。ここでも何回か書いてきた自分の「無神論」あるいは「非宗教」的指向に対して、顧みる機会があった。それはその思考の内容そのものに対してというよりは、そう「宣言」する自分の態度、考えの示し方に小さな疑問をもったのだ。何らかの信仰を持つ人々に対して、もともと否定する気持ちはなかったけれど、理解があったかと問われれば、それもなかったように思う。ことさら「わたしは無神論者である」と「宣言」しなければならない理由はどこにあったのか。そう言わずにおれない気持ちというものがはっきりあるとするなら、神の存在や宗教をめぐるもろもろのことをおおまかに括って、おおざっぱに否定し嫌っていた、という可能性もある。

このことに思い至ったのは、ある本を読んでいるとき、シカゴの黒人教会に触れた部分があり、教会というものがその地域の中で担っている役割に目を開かされたからだ。社会の最下層で暮らし、貧困や慢性的な差別の中でかろうじて日々を送っているアフリカ系アメリカ人の人々の面倒をなんであれまるごと引き受けている、それが地域の黒人教会ということであった。そこでは個人的救済と集団的救済をわけて考えられるような贅沢はなく、精神生活だけでなく食料や着るものなど日々の生活や生命維持に欠けているものを埋め合わせていた。こんなことは初めて聞くことではないし、そのこと自体に驚いたわけではない。日本という環境の中で、「自分の自由意志」で信仰を否定したり、信仰にのめり込んだりすることとは決定的に違うものが存在するのではないかと思ったのだ。

宗教一般に対する自分の敬遠や拒否的な気持ちは、もしかしたら子ども時代、家に病人が出たときどこから聞きつけたか宗教関係の勧誘者が次々やって来て、入信を勧め、迷惑を顧みず居座り、日参する、その執拗さや人の弱みにつけこむ精神の貧しさに呆れ、怒りを感じたことが元になっているのかもしれない。自分の宗教観について今回考える過程でふと思い出したことで、一要素にすぎないかもしれないが。

大桑さんと東京でお会いしたとき、大桑さんのパーソナリティとその基本的な考え方に触れ、そのこととユダヤの思想を結びつけて考えることはなかったが、前回のポストを読んで納得がいった。そして、たとえば物質(文化)との希薄な関係性(物欲のなさ)、人と争うことへの絶望感、拒否的な気持ち、が違った価値観の世界への旅の始まりになっていたのだと知った。濃度は別にして、どこの国の人であれ多くの現代人が空気のようにまとっている物質主義、競争社会、そういった逃れられない環境に対して異議を唱えることから始まった旅なのだということがわかった。そしてわたしも、葉っぱの坑夫を始めた理由の根本を思い返せば、市場至上主義や日本社会の一様性、排他性への拒否感が強くあり、違う道を探したい、オルタナティブな可能性を見つけたいということから始まったものだった。文学やアートそのものから出発したのではない。いやそうではなくて、文学やアートの中に光が、道が、可能性があると感じたのだ思う。

信仰のあるなしや宗教観の違いは、根本の違いとはならないのかもしれない。どっちを向いて歩いているのか、何を探し求めているのか、そのことが問題なのだ。そう考えると、今更だけれど、何年か前に大桑さんが葉っぱの坑夫を見つけてくれたこと、メールを送ってくれたこと、作品を送ってくれたこと、そのことと今はしっかり繋がっていると感じる。


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ところで、大桑さん、6月初旬にアメリカのユダヤ人ロビイストの前で、アメリカ大統領候補バラク・オバマ氏がやったスピーチを聞かれましたか? あるいはそちらのユダヤ人社会の中で、この演説が話題になったりはしていませんか? わたしはたまたまテレビで見る機会があったのですが、アメリカからみたイスラエルという国、イスラエル/パレスティナ問題、周辺アラブ諸国についての考えがわかって興味深かったです。もちろん政府見解ではなく、オバマ氏という大統領候補、民主党上院議員の語ったことですが。オバマ氏独自の話法というものもあり、またユダヤ人ロビイスト(AIPAC=アメリカ・イスラエル公共問題委員会)の前でのスピーチということもあって、そこに照準を合わせて話していることは間違いないですが、それを差し引いても、全体として非常に面白かったです。イスラエル建国の正当性や現在のイスラエル国民の置かれている状況と安全確保の重要性、そしてこの問題の解決法と将来の青写真について耳にすることが、こんなにも衝撃的であるとは自分でも驚きでした。いかに日本では違った側面からこの問題が語られているか、ということなのでしょう。

イスラエル建国60年ということで、日本でも新聞などに関連記事が掲載されることも少なくないですが、朝日新聞では少し前に「歩く/パレスチナ60年/シャティーラの記憶」というシャティーラ難民キャンプを訪ねてインタビューしたコラムが15回に渡って載りました。一般に、そしてリベラルと日本で見られているメディアや知識人、それを信望する読者にとっては、この視点こそがパレスチナ/イスラエル問題を見るとき語るときの、唯一といっていい「ジャーナリスティックな」ものと思われている節があります。そういう日本に住むわたしだから、オバマ氏のスピーチが不思議な響きをもって聞こえてきたのでしょう。これだけこの対話ブログで話し、学んできたはずのわたしがこんなことを今更言うなんて、大桑さんはさぞかし呆れ顔をされているでしょうね。でも日本に住んでいるということがどういうことなのか、それを知っていただきたくて正直に書きました。

朝日新聞に限らず、日本でリベラルとされている主流の論調を紹介すると、日本でそこそこまっとうと思える発言をしたり、本を書き、記事をメディアに載せているリベラルな人々、わたも一読者であったりする作家や学者、批評家たち、その人たちの多くが絶対的信望を寄せているのが、パレスチナ系アメリカ人批評家エドワード・サイードです。四方田犬彦や姜尚中、大桑さんも読者という大江健三郎もサイードの賞賛者であり、友人でもありました。「グロスマン」を始めるとき、大桑さんにサイードについて聞いたら、まだ読んだことがないと言われていましたね。わたしは何冊か本は持っており、イスラエル問題に関する部分も読んではいますが、いまだ汲み取れるものを得ていません。もともとこの対話ブログでイスラエルのユダヤ人作家、平和活動家のグロスマンを選んだのも、サイードとは違った立ち場でこの問題について語れる知性、ということがありました。この対話のきっかけのひとつでもあるデイヴィッド・グロスマンの「死を生きながら/イスラエル1993ー2003」は出版後4年たっていますが、日本ではそれほど話題にもなっていませんし、グロスマンの名前もメディアで見ることがほとんどありません(2年前、グロスマンの息子がレバノンで戦死したとき小さな新聞記事になりましたが)。そこで思ったのですが、グロスマンをいっしょに読んでから4年、サイードを読んでみるというのはどうでしょう。適当な著書があるか少し探してみて、もし見つかれば日本語版をクロアチアにお送りしますが。

この対話ブログを読んでいるかたは、この書き手二人は、二人の真意はいったいどこにあるのか、いったい何派なのか、と疑問に思われているかもしれません。何か発言する人は、ある目的があって、ある立ち場があって、それにそって論理を展開し、その正当性を訴えるものだからです。でもわたしたちは(大桑さんもそうではないかと思うので)、さまよい、さすらい、横道へもときにそれ、ときに勘違いも起こし、でもそうやって問いを発しながら考えるということをやっているのだと思うのです。問いをもち、考えつづけることが、答えを得て安心することより大切ではないかと思っているのです。間違った発言をすることにも、それほど大きな恐れは抱いていません。ただし間違ったと気づいたら、その考えの経緯を書き、なぜそう思うに至ったかを書くと思います。それは自分一人に起こる間違いではなく、他でも、他の人の中でも起こりうる考え、理解の仕方だと思うからです。

野次馬的な興味をひとつ。バラク・オバマ氏は日本でも著書が翻訳され、リベラルな知識人、論客、そして朝日新聞の記者などからも、かなり好意的な支持を得ているように見えます。しかし上にも書いたように、オバマ氏はアメリカ大統領候補であり、アメリカ人という立ち場から常にものを語ります。イスラエル問題への発言のように、それは日本のリベラルな知識人のこれまでの考え方の基本とはかなり違ったものが含まれています。その亀裂を論客たちはどうやって埋めながら話しを展開していくのか、もしオバマ氏が大統領になったときには、注意深く観察していきたいと思っています。