金曜日, 10月 08, 2004

大衆の思いと混乱、そして光 (O)

グロスマンはこの本の終わりに、国際社会の介入も国際的な軍隊の派遣をも含んだ援助によって、イスラエルとパレスチナの和平を実現とすることもありえると書いています。しかし、イスラエルの先日のテレビでは、イスラエル軍のヘリコプターから撮影された国連の救急車へとミサイルのようなものがパレスチナ人によって運ばれている映像が繰り返し流れ、こちらではかなり大々的に取り上げていました。イスラエル軍の専門家はこれはミサイルだと認識しましたが、当然国連はそんな事はあり得ないと反論し、一個人の私には実際にこれがミサイルなのかどうなのかは解りかねてしまいます。でも、ハマスなどのイスラエルへの攻撃を国連が補助しているのではないかとの疑惑をイスラエルが訴えたことは過去にも度々あり、それに加えてこれまで国連はイラク、イラン、スーダン、北朝鮮などの大量殺戮のあった他のどの国よりもイスラエルの行為に対して批判的で、したがってイスラエルの多く人々はこの土地の問題への国連の介入を望んではいません。そして他の仲介役になれる国々、EUやロシアなどはこの土地の解決に関与する意味が見当たらず、米国に反発するためにアラブ諸国に対してほほ笑みかけます。

イスラエルが現在考えなくてはならないのは、ガザ地区からのイスラエルの町に向けられたミサイル攻撃に対してであり、イスラエル側にとってはこの国連の救急車の一件は非常に重要な事だったのでしょう。シャロン首相の一方的なガザ地区からの撤退の決断の結果、イスラエルとパレスチナ問題の焦点をガザ地区に当てる事となって、パレスチナ側はシャロン首相のガザ地区撤退の決断を受け入れて交渉を始めることよりも、さらにイスラエルを攻撃する道を選んだように思います。彼らはオスロの後でも同じようにバスに自爆犯を送り込み、またキャンプ・ディビッドの後にはインティファーダを起こしました。パレスチナ側はイスラエルの行為には、すべて暴力によって答えるという道をとってきたこと、そして正直言ってそれについてイスラエル側はとても混乱しているようにさえ感じられます。そしてイスラエルがその存在を保つためにはパレスチナの町や村に兵士を置き、チェックポイントを置いて道を遮断し、しかしそのためにパレスチナの大衆の生活を苦しめる事になりました。

イスラエルの大衆はこの状態をどう思っているのか、私自身そのことについて常々疑問に思ってきましたが、先週のエルサレム・ポスト紙(イスラエルの英字日刊紙)である記事を見つけました。エルサレム・ポスト紙のトップ・ジャーナリストであるカロリン・グリック氏は、西岸地区のサマリアにいるイスラエル軍の指揮官(彼女の近しい友)が個人的に行なったあるミロイムの兵士*¹とのインタヴューについて語っていたのですが、以下がその兵士の発言です。(エルサレム・ポスト紙の原文を日本語訳しました。)

「私は西岸・ガザ地区はパレスチナ側に渡すべきだと主張するために、自分のユニットがガザ地区に設置されていた過去の3年間は兵役を拒否しましたが、その後パレスチナ側はイスラエル側がどういう行為をとろうともイスラエル人を殺すのだということに気がついたのです。このことに気がついてからは何をどう考えていいのか悩み、妻はイスラエルから他の土地へ移住したいと嘆きましたが、私は今は戦う時だと決断したのです。私はイスラエルはパレスチナに国家を与えるべきだと思う反面、キャンプ・デイビッドでそれを一度提案したにもかかわらず、受け入れるどころかイスラエルを攻撃に掛かった事実から、パレスチナ側はそれを本心からは望んでいないと思っています。でも、イスラエル軍が西岸・ガザ地区に駐屯する事が、彼らの正気を失わせるのかもしれないとも。それでも彼らは私たちが何をしようとも関係なく、私たちを殺すでしょう。だからこちらも戦い続けなければならないのです。彼らは決して私たちをほおっておきはしないでしょう。私は混乱しています。ここへ戦いに来ました。それが私のしなければならない事だから。でも実際にはそれが正しいかどうかは私にはわからないのです。」

ケレン・イェダヤというイスラエルの映画監督はカンヌで賞を受賞した際のスピーチで、「イスラエルは300万人のパレスチナ難民を奴隷のように留めている責任があり、とても恥ずかしく思う」と発言しました。そして一般の左派の人々は入植地に住む入植者を見るとパレスチナの子供たちを思い浮かべ、彼らが入植者を毛嫌いすることへと導きます。またしても、混乱、と言うべきでしょうか。この映画監督や左派の人々は、彼らもまたこのイスラエル・パレスチナ問題の一部を担っていると考えがちです。ケレン・イェダヤが現在安心して自由にこの土地で映画を製作できるのは、彼女が言うパレスチナの奴隷をイスラエルの兵士がそこに留める事によってではないのか、左派の人は兎にも角にも入植者を非難する事で、彼らの住む家がもしかするとこの土地にかつて住んでいたアラブ人の家だと言う事実に目を伏せているのかもしれない。パレスチナ難民の問題は最初の入植地が建てられる20年前に起こっているにも関わらずに。

また、入植者には二つの考え方があります。一方のグループは宗教シオニストのグループで、彼らはイスラエル政府や軍が立ち退きを申し立てても、神に守られていると言う理由を持ち出して、入植地から去ることはないでしょう。そのもう一方のグループはもう少し柔軟な考え方で、イスラエル政府が立ち退きに当たっての補助金を支払うのを、そしてどこか新しい場所で再出発する事を今か今かと待ち望んでいます。

グロスマンは2年前にこの本の最後の部分を書いていますが、今その部分を読み返してみると、それが2年前ではなくてまるで2日前に書かれたような感覚に襲われます。つまり、あれから何も変わってはいないのと言う事なのでしょうか。グロスマンはあの当時、希望を見出せませんでしたが、でも私は希望の光はトンネルの向こうに見えていると思うのです。それがほんのかすかな光であったとしても。パレスチナの大衆はあれから変化してきたように感じます。4年も続く争いで、彼らは疲れています。そしてごくごく普通の生活を取り戻したいと切望しています。今年の夏にイスラエルに投獄されているパレスチナ人は、世界から注目を集めるためにハンガー・ストライキを起こしたのですが、これまたタイミング悪く、世界はアテネ・オリンピックに夢中で、パレスチナの人々はストライキにはほとんど関心を示さずに、あるアラブの国のテレビ局が行ったアラブ版スター誕生に出演したパレスチナ青年が優勝するかもしれないと、スター誕生物語に夢中になっていました。そこで、パレスチナ政府とハンガー・ストライキを起こした人たちの家族は、このストライキに人々の関心を集めようと躍起になりましたが、大衆はもうそんな事には無関心で、そのテレビ番組のために西岸地区の町々には巨大なスクリーンが設置され、人々はその前に集まりました。さらに2週間前に西岸地区では、パレスチナ政府によってインティファーダ4周年記念を祝う集会が計画され、主催者は何万人という大勢の人が集まるだろうと予想していましたが、実際に集まったのはたったの100人足らずでした。パレスチナの大衆が政府の汚職や、政府が彼らの生活をいつまでたっても向上させない状況にうんざりしているのことの表れではないでしょうか。それでも肝心のパレスチナ政府はこの事実を認めたくはないようでした。

そして東エルサレムに住むイスラエル国籍のアラブ人たちは壁の向こうのパレスチナ側には行きたくはないのでしょう。彼らはイスラエル国籍のアラブ人のジャーナリストに、どうしたらユダヤ人の住む地区に家を買うことができるのかと尋ね、ユダヤ人の地区に住居を購入し、そのジャーナリストに「住居を売ってくれたユダヤの人や近所の人たちは、アラブ人が近所に住む事についてなんら否定的な反応はなかった」と伝えました。そしてまだ壁の建設の始まっていない村々からは、数千というアラブの人々がエルサレム周辺に引っ越しをして来ています。

イスラエルのベストセラー作家で平和運動家でもあるアモス・オズは数週間前に、「この過去1、2年でイスラエルとパレスチナの大衆の間では、お互いの国家を持つことについて受け入れる姿勢が見えてきている。まだこのことがお互いの将来を確実に保障したいう訳ではないにしろ、非常に大切な変化である。そうやって僕たちは毎日一歩一歩進んで行くのだ。」と語っています。 (大桑)


*¹:一般成人の男性は、約一年に一度、ミロイムと呼ばれる3週間ほど兵役につく制度があります。この兵士は過去3年間のミロイムを拒否したと言う事です。