日曜日, 7月 18, 2004

人と土地の結びつき (D)

大桑さんの中立的解決についての具体的な説明、とてもわかりやすかったです。大掴みにこの問題のポイントが上げられていて、全体を一覧するのに役立ちました。いくつかのことを考えましたが、その中で人と土地の結びつきについて、今回は書きたいと思います。

ある土地と人との関係に意味や真理があるならば、それは何なんだろうと。今の世の中では、世界的にみても、自分の国(国籍で所属し、そこの標準の母語を話す)ではない国に、さまざまな理由で人が移動し、市民権を得たり、移住して帰化したりということが、そんなに特別なことではなく行なわれるようになってきています。つまり人は、土地と人のあり方において、じょじょに新たな段階に入ってきているのではないか、という気がしているのです。もっと昔であれば、一個人にとって、生まれた土地、言葉を覚えた土地、両親や親戚のいる土地は、絶対だったのではないかと思うのです。ヨーロッパや中東などでは、日本ほど事は単純ではないものの、大雑把にはそのように言える(少なくとも一個人にとっては)のではないでしょうか。

人間が生物のひとつである限り、土地との結びつきを生き方の根底に置くのは順当なことだと思います。植物も動物も発芽や繁殖によってある土地に根づきます。そして他の種との競合の中でテリトリー争いをして勝ったり負けたりして生き残ります。ただ人間は、植物や他の動物とはちがって、そのルールの中だけでは生きていない(いけない)ところがあるのでしょう。そこで出てくるのが再定住という考え方です。自分の出自に深く関係した土地から離れ、自分の思想に基づいた土地に、自分の意思で住みつくことです。

詩人の山尾三省は東京・神田に生まれましたが、自分の家族をもった後(インド・ネパール巡礼の旅を経て)、鹿児島県屋久島に定住しました。屋久島に「入植」し、廃村だった村を開墾して田畑を耕し、里づくりをしながら創作活動をして、そこで生涯を終えました。山尾三省の場合は、若いときに社会変革を志すコミューン活動(1960年代後半〜)をしていたとはいえ、「入植」は個人的な移住計画でした。またインドへの旅の前後から生涯にわたって仏教徒だったと思われます。

大桑さんによれば、イスラエル、パレスチナの人々にとっての土地の考え方は、宗教に根ざした歴史の理解や個々の人生観と強く結びついているとのこと。このことを理解するのは簡単なことではないですが、日本人にとって身近な例で考えると、今の70、80代くらいの日本人の「人と土地の結びつき」を見ると少しは理解できるように思うのです。その年代の人々にとって、自分の故郷(土地の言葉、お祭りやしきたり、風景や自然物、人々の気質など)は自分自身と同じくらい(あるいは自分以上に)大切で価値あるもので、よそものからけなされたり、軽く扱われたりしたら、気分を害して喧嘩にもなりかねないようなものだと思うのです。そこから離れることは痛みをともなうことであり、年をとって子どもの世話になるときも、できれば自分が子どもの住む土地に行くのではなく、自分の土地に子どもを呼び寄せたいと考えます。それがその世代の人々の土地との結びつきです。その子どもの世代(現在の40、50代)は、そういう故郷感に反発して(生まれた土地にしばられるのを嫌って)、若いころ親元を離れ都会へ向かった人々だと思うのです。

ただおおまかに言えば、こういった昔ながらの故郷感は今でも生きています。夏のお盆、冬のお正月には、どんなに電車や道路が最悪の混雑状況であっても、「お里帰り」の一局集中化、民族大移動はなくならない。それはこういった日本人の故郷感があらゆる世代の人に浸透し、根強く残っているからではないでしょうか。

わたしは両親の元々の故郷のどちらとも無縁の土地で生まれ育った、転勤サラリーマン家庭の子どもでした。また両親とも日本人ではあるものの先に書いたような故郷感を持たない人々であったこともあって、「お里帰り」に見られるような強い故郷感、所属する土地への強い愛(あるいは帰属意識)をずっと理解できないまま生きてきました。正直に言えば、違和感や反発の気持ちさえもっていました。そういう者にとって、たとえば山尾三省がやったような、血縁や出自とは別のところで発想された「再定住」という考えは、人間にとっての、土地との関係を見つめなおす、新たな段階について示唆しているのではないかと思えたのです。

ここで書いた日本人の「故郷感」についての所感が、イスラエル、パレスチナの人々にとっての土地への想いとは違ったものであることは、わたしにもわかっています。ただわからないことを考えるときに、漠然と考えるわけにもいかず、自分の知る例を上げてまずは書いてみました。またイスラエル、パレスチナについて考えを述べる対話者のひとりとして、自分の土地への考えを書いておきたいと思いました。 (大黒)