木曜日, 7月 15, 2004

なぜ軸というものができない、またはできるのか。(O)

先日のポストでも述べたように、エルサレムからでは日本の現状の詳細な事にまではわからないにしろ、最近の日本は「何かがおかしい」ということが海の向こうにいても、あるいは海の向こうだから尚のこと感じられるのかもしれません。

ここ近年でよく使われている、あまり好きではない「癒される」や「癒し」という系統の流行言葉。この言葉を耳にする、または目にする度に、これは一体どういうことだろうと思います。多くの人が欲しい物を簡単に手に入ることができ、情報が溢れた非常に物質豊かで平和な日本。そんな日本という国に住む人々は、一体何に不満を持ち、危機を感じて、この「癒し」を求めているのか。この飽食時代に生きる者が見失った社会や伝統、おそらく人々は方向性や価値観を探し出せずにいる、そしてそれらを探す必要性をもまた見出せないでいる、ということに関係しているのではないでしょうか。

そのような社会では、国や個々の明確な思想などは、非常に馬鹿げた時代遅れなものなのかもしれません。そんな無駄なことに時間を費やして「考える」くらいならば、インターネットで現実味のないヴァーチャルなチャットやゲームをするほうが遥かに充実感を与えてくれる。仮にそれが一時しのぎであっても、いえ、ひょっとすると、一時しのぎがもてはやされている時代なのかもしれません。しかし、その一時しのぎの充実感とは、本当は虚無の仮の姿なのではないか。そして、その虚無感が「癒し」という言葉を求めさせ、そのどことなく心地よい響きに、なんだかわからないけれど癒されて安心してしまう。その辺りをぐるぐると回っているような、なんともおかしな実感のない世界が構成されているのではないかと思うのです。

この中東の端くれのイスラエルで、もし誰かが仮に「癒されたい」と思った時、それは今日本で起こっている「癒し」の現象と同じことなのでしょうか。いいえ、そうは思いません。もしこの国で誰かが癒されたいと願ったとすれば、それは家族の誰かが毎日通勤のために乗っていたバスがある朝突然爆発して亡くなってしまった、または西岸地区でIDF(イスラエル国防軍)の兵役を務めていた最愛の息子が、軍のオペレーションでの失敗、またはハマスやイスラム聖戦に狙撃されて無念の死を遂げた、そんな喪失の苦しみから回復するための癒しではないでしょうか。または、このいつ自分に降りかかってくるかもしれない死の現実にうんざりして、ほんの少しの安らぎでもいいから得たいと思う。それはパレスチナに住む人々にも同じことが言えるかもしれません。

果てしなくくり返される喪失からの悲しみや苦しみ。そういう、非常に現実的でありかつ非現実的な日常では、ヴァーチャルな絵空事のような癒しの世界は成り立たないでしょう。仮に癒されたいと願っても、誰かが助けてくれるわけでもない。まわりもみな、それぞれに喪失があり、苦しんでいるのですから。そうすると、そこから自分を助けられるのは誰でもない自分であって、するといやでも色々なことを考えていかなければならない。その延長線上に、イスラエルのあり方とパレスチナのあり方、その両者の共存、そういったことを身をもって考えざるを得なくなる。この「考える」ということが、イスラエルの建国後、戦後50年以上にも渡ってイスラエルで繰り返されている。そしてそれに加えて、第二次世界大戦中にヨーロッパで起きたホロコーストから生き延びた、または生き延びられなかった、その記憶も消えることなく存在しているのです。

このイスラエルという土地では、このようにして個人個人の軸というものが作り上げられてきたのではないかと。しかし、ここに来てすっかり物質社会となってしまった平和ボケした日本では、その土台すら固められないのではないでしょうか。大黒さんがおっしゃるように、日本にも昔はそういった「考え」または「軸」というものを持ったご老人や若者がたくさん存在していたのではないでしょうか。 (大桑)