月曜日, 7月 19, 2004

土地と人々、それぞれの望郷の思い (O)

人と土地の結びつき、これは非常に興味深いテーマだと思います。個人的な話をすれば、今から思い返せば日本に住んでいた二十歳頃は、ただひたすらに、がんじがらめの狭苦しい日本という土地から逃げ出したかったような気がします。そして実際には、良くも悪くも当面は日本には住まない道を歩んできたのですが、やっとここ数年になって自分がどれほど日本という国を美しく思い出し、また望郷の念にかられることでしょうか。それの気持ちを例えてるならば、女性が結婚して初めて実家の心地よさとありがたみが身に染みる、というようなことでしょうか。そしてどれだけもがいてみたところでも、結局は自分のルーツは日本であり、生まれ育った家系であり、他の何者でもない日本人でしか有り得ない自分に行き当たる。しかし、日本に住んでた頃はこんなことはまったく考える機会も理由もなくて、日本の外に出てから初めて嫌というほど考えさせられました。 
 
ある時、エルサレムのアパートの寝室で、イギリスの詩人であるW.B.Yeats(ウィリアム・イェーツ)の『Under Saturn』という詩を、大江健三郎氏のある著書と合わせて読んでいた時に、
 
『 I am thinking of a child’s vow sworn in vain
 Never to leave that valley his fathers called their home.』
 
という詩の最後の箇所を読んで、自分の中で恐らくは帰ることのない故郷に涙が止まらなくなってしまったことがありました。大江健三郎氏もよく、彼の出身の四国の在にいつか戻るはずだったという望郷心を書に書かれいてました。その望郷という共通の思いに、読み物は大江氏一色という時期がしばらく続きました。
 
ユダヤの人の望郷の念、これもまたその土地との非常に強い繋がりがあります。彼らはイスラエルの地を去ってから二千年も近くも流浪していたこと、そして何代にも渡って、いつの日にか必ずやイスラエルの地へ帰るという希望を胸に生きてきた人々です。そして歴史のある時点の流浪の過程で、何代にも渡り暮らしていたスペインを追われました。そして東へ東へと流れたユダヤの人々は、追われたスペインのあの我が家へ戻る日を胸に秘め、彼らの子供、そのまた子供たちにその思いを語り伝え、そしてスペインの彼らの家の鍵を今でも大切に保管しています。

第二次世界大戦では、ドイツからはじまりその後にはヨーロッパ全域から追われて、彼らが命からがらやっと祖国イスラエルにたどり着いたのは、イスラエルを去ってから二千年という長い長い時間を経てのことでした。しかし、世界中からユダヤの人々がこの土地に帰還したことで、それまでこの土地を祖国として暮らしていたパレスチナの人々が彼らの祖国を失なってしまいました。そのパレスチナの彼らもまた、追われた家の鍵を大切に持っています。彼らの失った故郷への思いは、ごくごく普通の暮らしをしている日本や他の国々の人々の胸に共鳴することはとても難しいでしょう。日本でのロングラン・ミュージカルで「屋根の上のバイオリン弾き」という物語があります。この物語りは、ウクライナのユダヤ家庭を通して伝統というものの大切さ、そして政治によって突然故郷を追われた彼らの悲しみを語りますが、このミュージカルが世界の中でも日本という国でこれ程までに長い期間に渡り非常に多くの人々の心に響くのには、やはり日本人の心には、ユダヤやパレスチナの人々と同じように、その土地または祖国というものに対しての思いが今でも心の中にしっかりと生きているからではないかと思いたい。  (大桑)