日曜日, 7月 11, 2004

なぜこの本を手に取らなかったか(O)

まずはじめに。

これからここで大黒さんと私が意見を交換していく上で、どのような意見が出てくるのかはまだ未知のものです。ひょっとすると、日本では少々驚くような、また、今まで受け入れられたことのないような見解も少なからず飛び出すのではないかと思います。そこで、これまでメディアを通して得た頭の中にあるイスラエルとパレスチナの両国についての情報を、一度白紙に近い状態に戻すことが可能であるならば、そのような状態で読んで頂きたいと思うのです。

実を言うと、これまで私は一冊たりとも、この手の中東政治関係の書物を完読したことがありません。そして実際に、私と同じように、この手の本を一度も手に取った事のないイスラエルの人々もとても多いのです。

なぜこの手の本を読まないのか。

これまでに、知識人というジャンルの人達は、ただ彼らの著書の中で中東平和にいかに哲学的な意味合いを持たせるかという事以外には、この何もしていないのではないかと思うのです。ここでの日常的な暮らしの中では、平和についての哲学は必要ではなく、ここに存在するのは毎日のように無意味に奪われる命と目前の死であり、哲学ではない。そして、多くのイスラエルの人々にすれば、彼らの一人一人がこの国について少なからずも意見を持っている。そして、例えば、この本の著者グロスマンの意見は、単にお隣のグロスマンさんの一意見でしかなっく、彼の伝えている日常的に感じる恐れ・悲観・そして希望は、ここに生きる誰もが同じように感じていることなのです。

そんな理由から、これまでこの手の本を手に取る気にはならなかったのです。しかし、この中東のイスラエルから遠く離れた日本に住む大黒さんが、「読んでみよう」と仰ったことに、なぜか意味があるような気がして、この本を手に取ったのです。

(大桑)