月曜日, 7月 26, 2004

一人一人の生きた故郷としての記憶 (O)

ユダヤの人々の思う故郷は、実在する記憶としての故郷ではなく幻想としての故郷ではないかと大黒さんは仰います。それはある意味では確かにその通りなのかも知れません。前回のポストで書いたことを読み返してみると、やはりそういうふうに受け取れてしまうことにも気がつきました。これまでエルサレムとNYとに住み、様々なユダヤの人々と故郷エルサレムについて話をする機会を幾度となく持ちました。しかし、これまでユダヤの人々から故郷エルサレムは幻想の故郷だという意見を一度も聞いたことがなかったので、大黒さんのご指摘にはいい意味で驚かされたというか、新しい発見と言ってもいいかも知れません。そして実際、多くのユダヤの人々はこの意見を受け入れられないことも間違いではないでしょう。

ユダヤの暦は、私たちが日常使っているキリスト誕生を紀元とした西暦とは異なり、本日の日付は日本や他の国のように「2004年7月26日」ではなく「5765年アヴの月の8日」にあたります。そして実は、翌日のアヴの月の9日は、ユダヤの人々にはとって非常に悲しい記念日です。紀元前586年にはバビロニア人により、そしてさらに紀元70年にはローマ人によって、ユダヤの人々の生活の中心だったエルサレムの神殿が二度破壊されました。その日が偶然にも二度ともアヴの月の9日(ティシャ・ベ・アヴ)でした。その神殿の破壊以来、ユダヤの人々は、神殿の破壊と異邦人によってエルサレムから追い出され離散したことの悲劇を悲しみ続けています。神殿の破壊は決して過去だけではなく、たった今起こったかのように悲しみ、毎年このアヴの月の9日(ティシャ・ベ・アヴ)には、カラカラに乾いた炎天下の中、水一滴も飲まずに24時間の断食を行い、喪に服します。それだけではなく、その日の3週間前からは、肉類の使った贅沢な食事や散髪と髭の手入れは禁止され、人々は暑さと切なさと共に日増しに髭ボウボウのやつれた人相になってゆき、悲壮感が漂います。そして、かつて神殿の建っていたエルサレムでは、音楽演奏や祭りなどの娯楽は一切行われず、当時の神殿崩壊と離散の悲しみを街と人とが一体になり身をもって感じようとします。

ユダヤの教えの中には、過去の記憶をただ残してゆくだけではなく、その記憶を実際に現実のものとして、一人一人の生に取り込んで生きなければならないと言われます。例えば、毎年4月頃に訪れる出エジプトを祝う過ぎ越しの祭りでは、ユダヤの人々は各家庭で祭りの初夜の夕食に一家して出エジプトのしきたりに則り祈りや歌を歌い、かつてはエジプトで奴隷だったこととエジプトを後にしてから砂漠を40年の間彷徨った事などを話し合います。夕食の最後には「来年はエルサレムで」と必ず皆で歌います。その歌はエルサレムに現在住んでいる人によっても歌われ、彼らはそうして毎年エジプトからの脱出を経験します。つまり単なる過去の歴史話しでは終わらずに、先祖たちの経験は今を生きるユダヤの人々もまた経験した事実のものとして一人一人の中に生き続けます。

しかし、それでもそれは単なる疑似体験のようなものであり、実際に経験したことにはならないとも言えるでしょう。しかし、ただ単に幻想的に想像した故郷をノスタルジックに心に思い描くだけと、こうして疑似体験的経験ではあっても、かつてはそこに住みそして追われたことを一人一人の人生で起こったこととして受け止める。このふたつは異なるように思えはしないでしょうか。  (大桑)