木曜日, 6月 09, 2005

EU村の多文化共存とアイデンティティー (O)

まずは私から謝らなければならないことがあります。一月、そう、今年の初めに大黒さんが「国という垣根の低くなった後の世界では・・・」を書かれてから、気がつけばなんともう6月。5ヶ月もの月日が経ってしまいました。私事(仕事?)でごたごたしておりまして、今まで頭をクリアにできずこんなにもの時間が経ってしまったことをお詫びいたします。歳を重ねるにつれて時間がどんどんと早く加速されるよう過ぎていくように思います。本当に申し訳ありませんでした。


さて、前回の大黒さんがおっしゃる二重的アイデンティティーと共同体についてですが、確かに国と国という垣根は昔と比べると非常に低くなっているように思います。私が子供のころでは考えられないほど毎日たくさんの飛行機が世界各国の空を飛び、アジアへ南アフリカへノルウェーへと人々は地球上をあっちへこっちへと移動しています。ちょうど大黒さんが前回の記事を投稿されてからすぐに、私自身も中東からヨーロッパを経由してアジアの日本まで30時間以上の旅をしました。毎回何年ぶりかで自分の国に一歩足を踏み入れる途端に、まちがいなく日本人であるのにもかかわらずクラクラと目眩がするくらいの文化のギャップにぶつかります。思いっきり、カルチャーショックです。まるで外国の人が映画に見る「Japan」というどこか滑稽なものを見ているような、そんな感覚に襲われて、長い間他の国で暮らしている自分はいったい何者になってしまったのか、日本人としてのアイデンティティーが薄れてしまったのかと不安にさえなります。

アイデンティティー。そこで、はたと、自分とは一体なんなのだろう、そしてアイデンティティーってなんなのだろう、と思うのです。ぼんやりとはわかるのですが、それは故郷というもの(それが物理的なものであっても精神的なものであっても)から来るものなのか、しかしそれすらもうつろいで行くようなものなのか、またはその他にも色々なエレメントを含んでいるのか。アイデンティティーという言葉はよく使われますが、なかなか手ごわい相手のようにも思います。おっと、少し話がずれてきました。

話を元に戻しますが、昔のように村から一度も出たことのないような時代、おなじ土地のおなじ言葉のおなじ文化や価値観を共用しあう共同体(コミュニティー)に生きていたのであったなら、そこに他人とはまったく異なる確固たる自分を見出す必要はなかったかもしれませんし、反対にそうすることは共同体に生きるには面倒なものですらあったのではないでしょうか。しかしそういった社会体系が変わりつつある現代に生きる私たちは、大黒さんもおっしゃるように、ひょっとすると各自のアイデンティティーを問い直す必要に否応でも迫られているのかもしれません。こう考えてみると、他との異なりによって見出す「自分とはこういうものだ」というアイデンティティーは、異なる目の色の隣人同士、または生まれ育った以外の他の土地で暮らし、国と国との垣根が低くなればなるほどさらに重要になってくるのではないでしょうか。

EUにおいても、国境を取り払うというアイデアはすばらしいと思いますし、EU村の共同体の一員としてはこれまでの国籍や民族などはあまり意味を持たないものになるとも言えるかもしれません。しかし、もともと異なる文化を持つヨーロッパの国の人々が、EUという大きなひとつの新しい垣根の中に吸収されて生きていく時に、互いの異なりを認め合い理解して共存してゆくのは大変な時間も努力も必要なわけです。それよりも、異なる文化の隣人と同化するのではなく、反対に各自の文化とアイデンティティー、それぞれのテリトリーを確保したいのではないかと思うのです。

ヨーロッパのユダヤのアイデンティティーという面から見てみれば、歴史的に見てもドイツなどのユダヤの人たちの間でも、他の人々とのアイデンティティーを区別するためにユダヤの言葉であるイディッシュ語などが生まれましたし、例えばオーストリアに育ったフロイトは、そこに生きながらもヨーロッパの文化や思考とは異なるユダヤとしてのアイデンティティーをしっかりと自覚していたようです。そして現在、ヨーロッパでは、その政府はMulti-culture(多文化)を説きながらも、EUに移住する人たちはキリスト教に則ったヨーロッパ文化を認めることを条件とされ、オランダとデンマークではオランダとデンマークの文化を受け入れない人には永住権を与えないという新しい法律を発表しました。また、同性結婚を公で認めたオランダではそれに反対する人々による同性愛者への暴力が恐れられ、ドイツでは若者の間で再びネオナチのムーブメントが怪しくうごめき、外国人やユダヤの人々を襲い、ロシア、セルビア、フランス、英国などでの反ユダヤの感情は第二次大戦以後では最悪の事態となりつつあります。

ここ数年のイスラエルでは、ユダヤに対して圧力のかかっているフランスからの移民が増大する一方です。確かに、以前のシオニズム概念はもう過去の意識でしかないとも言えますが、やはりそれでもEUの統一が行われた今日において、それによって起こりつつある新しい危機をユダヤの人々は感じています。この土地でユダヤと他者とがどう共存していくかももちろん別の大きな問題点ですが、やはりヨーロッパのように他者を恐れる必要が少ないイスラエルという土地への帰属を願うのではないでしょうか。これからもユダヤの人々のイスラエルへの帰還への思いは続いていくのではないでしょうか。 さて、大黒さん、どうでしょうか。 (大桑)